■宅地建物取引士(たくちたてものとりひきし)は、宅地建物取引業法に基づき定められている国家資格者であり、宅地建物取引業者(一般にいう不動産会社)が行う、宅地又は建物の売買、交換又は貸借の取引に対して、購入者等の利益の保護及び円滑な宅地又は建物の流通に資するよう、公正かつ誠実に法に定める事務(重要事項の説明等)を行う、不動産取引法務の専門家である


■略称:宅建士(たっけんし)


■宅地建物取引士は、1958年(昭和33年)に当時の建設省(現国土交通省)が宅地建物
の公正な取引が行われることを目的として創設した資格である


■宅地建物取引業法(昭和27年法律第176号)は、宅地建物取引業を営む者について免許制度を実施し、その事業に対し必要な規制を行うことにより、その業務の適正な運営と宅地及び建物の取引の公正とを確保するとともに、宅地建物取引業の健全な発達を促進し、もつて購入者等の利益の保護と宅地及び建物の流通の円滑化とを図ることを目的とする、日本の法律。所管官庁は国土交通省


■昭和27年、第13回通常国会に瀬戸山三男、田中角栄、外10名により提出、成立した議員立法である


略歴・経歴(プロフィール)
■瀬戸山三男(せとやま・みつお)
【1904年~1997年】日本の政治家。衆議院議員(当選11回)。都城市長・建設大臣・法務大臣・文部大臣を歴任。自民党の代表的な改憲論者としても知られた。1974年勲一等旭日大綬章受章。熊本県天草郡下津浦村(現・天草市)に、村の収入役を務めた河内寿松の三男として生まれる
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エメラルドの歴史


■エメラルドは、ベリル(緑柱石)の一種で、強い緑を帯びた宝石である


■和名は、翠玉(すいぎょく)、緑玉(りょくぎょく)である


■エメラルドの歴史は古く、世界の4大宝石にも数えられている。ギリシア時代、アリストテレスの弟子テオフラストスの「石について」に登場し、エジプトの紅海に近い砂漠で発見されたという


■プトレマイオス朝エジプトではクレオパトラも愛用し好みの大使に与え、シーザーは治療のためにたくさん集めたと伝えられている。このことから富と権力の象徴でもあったとされている


■ローマ帝国時代のプリニウスの「博物誌」では、ダイヤと真珠に次ぐ、第三位の宝石とされており、皇帝ネロはエメラルド製のモノクルを所有していたとの言い伝えもある。実際、ポンペイなどローマ帝国時代の遺跡からはエメラルド製品がよく出土する


■このように古い歴史を持つエメラルドではあるが、量的に出回るようになったのはアメリカ大陸発見後、新大陸で発見されてからである




■アリストテレスは古代ギリシアの哲学者である。プラトンの弟子であり、ソクラテス、プラトンとともに、しばしば「西洋」最大の哲学者の一人とされ、その多岐にわたる自然研究の業績から「万学の祖」とも呼ばれる


■プリニウス・セクンドゥスは古代ローマの博物学者、政治家、軍人。ローマ帝国の海外領土総督を歴任する傍ら、自然界を網羅する百科全書『博物誌』を著した
鹿屋市の歴史


■鹿屋市(かのやし)は、鹿児島県にある市。九州南東部、大隅半島の中央部に位置する


■縄文時代早期から人の定住があり、弥生時代には王子遺跡といった大規模な集落がみられるようになる


■1300年代初めに鹿屋院は肝付氏の一族である鹿屋氏によって統治され、鶴亀城(後の鹿屋城)を現在の城山公園の位置に置いた


■南北朝時代には荘園が崩壊し、肝付氏は南朝側(公家側)につき、守護大名となった島津氏と対立した


■高須港はこの頃から1573年に至るまで肝付氏の一大拠点として機能するようになり、大姶良は禰寝氏支配地との境界線上になったことから多くの山城が築かれた


■肝付氏亡き後の肝属は、伊集院忠棟が鹿屋城を拠点に地頭として管理した


■1871年 廃藩置県に伴い現在の鹿屋市全域が鹿児島県に属す。廃藩置県後の府県合併に伴い都城県に属す


■1941年 鹿屋町・花岡村・大姶良村が新設合併・市制施行により鹿屋市となる(初代)


■略歴
伊集院忠棟(いじゅういん・ただむね)
【1541年~1599年】戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。島津氏の家臣。島津氏の家臣・伊集院忠倉の子として誕生。初名は忠金で天正4年(1576年)までには忠棟と改名している。早くから島津義久に仕え、筆頭家老として島津氏の政務を取り仕切った。武将としても肥後国や筑前国などの出兵で多大な功績を挙げている。忠棟の死後、嫡男の忠真が家督を継いだが、領地の日向都之城に籠り庄内の乱を起こした
けん玉(剣玉、拳玉、剣球)の歴史


■けん玉(けんだま)は、十字状の「けん(剣)」と穴の空いた「玉」で構成される玩具である

■世界各国で遊ばれており、表記には剣玉、拳玉、剣球などがあるが、21世紀初頭では「けん玉」が一般的


■けん玉は日本発祥の玩具ではない


■ワイングラスと毛糸球、シカの角と木製の玉など2つのものを糸または紐で結び、一方を引き上げまたは振り、もう一方に乗せる・穴を突起物にはめるような玩具は昔から世界中に存在した


■日本に紹介されたのは江戸時代といわれ、1830年に喜多村信節が著した『喜遊笑覧(きゆうしょうらん)』に「安永六七年の頃拳玉と云もの出來たり」とあるのが知られており、当初は酒席の遊びであったと考えられる


■明治時代になり、文部省発行の児童教育解説『童女筌』(どうじょせん、1876年)にて「盃及び玉」として紹介されてから子どもの遊びへと変化していった


略歴・経歴(プロフィール)
■喜多村 信節(きたむら・のぶよ)
【1783年~1856年)江戸期の国学者。江戸後期の風俗百科事典『嬉遊笑覧』の著者であり、喜多村筠庭(きたむら・ いんてい)として知られる。庶民社会の風俗や諸事に詳しく、多くの著作があり、他に『筠庭雑録』、『瓦礫雑考』、『武江年表補正』などがある


■嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)は、喜多村信節が江戸時代後期の風俗習慣、歌舞音曲などについて書いた随筆。和漢古今の文献を引用して解説し、体系的に整理した百科事典的な書物で、江戸風俗を知る有益な資料として知られる
小津産業の歴史


■小津産業株式会社(おづさんぎょう)は、東京都中央区日本橋本町に本社を置く企業である


■電子工学分野や医療分野で使われる紙や不織布などの製造販売を行っている


■企業理念
「わたしたちは、伝統とは継続的な開拓の歴史との認識のもと、お客さまの満足や喜びを第一に考えた新しい付加価値を提案し、豊かな暮らしと文化に貢献してまいります」


■創業者:小津清左衛門長弘


■1653年、小津清左衛門長弘が、江戸の商業地大伝馬町(現在の本社所在地)に紙問屋「小津清左衛門店」を創業したのが、現在の小津産業株式会社の始まり


■1755年、紀州藩松坂御為替御用に加わる。江戸表において御為替御用を命ぜられる


■1903年、日本細糸紡績会社の工場を買収、「小津細糸紡績所」を設立


■1939年 小津商事株式会社を設立


■1944年 小津産業株式会社に社名変更


■2001年 東京証券取引所2部に上場


■2014年 東京証券取引所1部に指定替え


略歴・経歴(プロフィール)
■小津清左衛門
現在の小津産業株式会社の創業者。伊勢国松坂(現在の三重県松阪市)出身の伊勢松阪商人。江戸の紙商に奉公し、承応2年(1653年)に独立して、大伝馬町一丁目(現在の日本橋本町三丁目)に紙店「小津屋」を開業した
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