上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
貝印株式会社の歴史・沿革


■貝印は岐阜県関市の地で「ポケットナイフ」や「カミソリの替え刃」から出発した、地方の零細企業であった。2008年に100周年を迎え、今や世界で400万本を売る大ヒット包丁を生み出し、アメリカ海軍も御用達のナイフを生産、世界79カ国に展開しているグローバル企業である


■1908年(明治41年)関市に初代遠藤斉治朗が創業


■1920年 合資会社遠藤刃物製作所を設立し、ポケットナイフの生産を充実


■1932年 関安全剃刀製造合資会社を設立し、初の国産替刃カミソリの製造を開始


■1947年 2代目遠藤斉治朗、株式会社フェザー商会を名古屋市に設立。カミソリ、刃物類の卸売業を開業


■1949年 合資会社三和商会を東京に設立


■1954年 株式会社フェザー商会と合資会社三和商会を合併し、株式会社三和を設立


■1967年 株式会社三和の商号を三和刃物株式会社に改称


■1971年 遠藤刃物製作所を設立し、包丁の生産を開始


■1982年 三和刃物株式会社の商号を貝印刃物株式会社に改称


■1988年 CIを導入し、新たなマーク及び社名にて生販一体となった新生 貝印グループとして新たにスタート


■1998年 世界初、替刃式3枚刃カミソリ「K-3」発売


■1999年 女性用で世界初の3枚刃替刃式カミソリ「レディーK-3」発売


■2008年 創業100周年を迎える


■東京に本社を置く貝印株式会社は販売会社であり、グループ関連企業として岐阜県関市小屋名に、貝印カミソリの製造や、業務用カミソリ、医療用刃物、特殊刃物を専門的に扱う、カイインダストリーズ株式会社がある


■安全剃刀では国内トップのシェア(30%)を持つ。なかでも、使い捨てカミソリにおける国内シェアは50%である。また家庭用品の販売も行なっており、家庭用包丁の国内シェアはトップである。海外では欧米限定発売のダマスカス包丁「旬」がヒットしている


■遠藤宏治(えんどう・こうじ)略歴
日本の経営者。安全カミソリ、家庭用包丁などで国内トップシェアを誇る、貝印株式会社、カイインダストリーズ株式会社の社長。1955年岐阜県関市で生まれる。早稲田大学政治経済学部卒業。米国のロヨラ大学へ留学。コクヨを経て三和刃物(現・貝印)に入社。1989年9月、33歳で貝印グループの社長に就任


関連サイト
遠藤宏治語録http://goo.gl/2fXDBV
遠藤宏治家系図http://goo.gl/LcbQSI
亀田製菓㈱の歴史・沿革


■新潟県新潟市江南区に本社を置き、主にせんべい、あられなどの米菓、菓子の製造を手掛ける企業。米菓メーカーでは日本国内最大手である


■1946年(昭和21年) 現・亀田工場(元町)において亀田郷農民組合委託加工所を創業し、水飴の委託加工を開始


■1950年 法人組織の亀田町農産加工農業協同組合に改組。水飴を中止、焼菓子を主体として、柿の種などもち米菓も製造


■1957年 亀田町農産加工農業協同組合を母体として亀田製菓株式会社を設立
取締役社長 古泉榮治 従業員111名


■1966年 「ピーナッツ入り柿の種」発売


■1975年 米菓業界で売上日本一に(163億70百万円)


■1977年 「梅の香巻」「フレッシュパック柿の種」発売


■1984年 米菓業界としてはじめて新潟証券取引所に株式上場


■2000年 新潟証券取引所が東京証券取引所と合併したのに伴い、東証第二部に上場


■2012年 東京証券取引所市場第一部銘柄に指定


■主力8商品
・亀田の柿の種
・ハッピーターン
・海苔ピーパック
・まがりせんべい
・手塩屋
・うす焼き
・おばあちゃんのぽたぽた焼き
・つまみ種


■古泉榮治氏(こいずみ・えいじ)経歴(プロフィール)
【1915年~1995年】亀田製菓株式会社の創業者・名誉会長。大正4年3月26日生まれ。昭和32年、亀田製菓株式会社を設立と同時に社長に就任。昭和58年会長、平成4年名誉会長に就任した


関連サイト
古泉榮治語録http://bit.ly/1kgxGjZ
パーク24㈱の歴史・沿革


■パーク24株式会社は東京を拠点とする駐車場運営会社他を所有する持株会社である。東京証券取引所1部に上場しており、駐車場管理業者としては日本国内最大手となっている


■1971年8月、西川清が駐車場関連機器の製造、設計施工・販売を目的とし、東京都品川区西五反田に資本金 100万円をもって株式会社ニシカワ商会を設立(創業)


■1985年8月株式会社ニシカワ商会の駐車場の保守および運営管理部門を分離独立させ、東京都品川区西五反田に資本金 1,000万円をもってパーク24株式会社を設立


■1991年12月 24時間無人時間貸駐車場タイムズの1号物件「タイムズ上野」をオープン(東京都台東区)


■1992年5月 タイムズ24株式会社(現タイムズサービス株式会社)を設立


■1993年8月 株式会社ニシカワ商会がパーク24株式会社へ営業全部譲渡、株式会社ニシカワ商会を解散


■1997年3月 日本証券業協会に株式を店頭登録


■1999年4月 東京証券取引所市場第二部に上場


■2000年4月 東京証券取引所市場第一部に上場


■2004年1月パーク24の創業者である父・西川清の跡を継ぎ、西川光一が代表取締役社長に就任


■現在では駐車場管理業のほか、大型駐車場・ビル型駐車場などの施設駐車場といった様々な駐車場事業を展開している


■『タイムズ』は遊休地である場所に一定期間駐車場を供給できるシステムで、「一台分あれば契約可能である」のが強みとなっている。ロック付きの無人駐車料金徴収装置による24時間無人時間貸駐車場というのがポイントである。現在、国内最大の駐車場ネットワークを形成している


■パーク24株式会社(登記上はパーク二四株式会社)
創業:1971年8月26日
資本金:8,185百万円(2014.04.30現在)
事業内容:グループ統括・経営企画/管理
本社所在地:東京都千代田区有楽町2-7-1
パーク24グループ連結従業員数:1,973人(2014.04.30現在)


■西川光一(にしかわ・こういち)経歴(プロフィール)
日本の経営者。駐車場「タイムズ」などを展開する、パーク24株式会社の代表取締役社長、ドライバーズネット株式会社代表。1964年10月13日東京生まれ。国士舘大学政経学部卒。アマダを経て1993年にパーク24へ入社。2004年、パーク24の創業者である父・西川清の跡を継ぎ、同社の社長に就任した


関連サイト
西川光一家系図http://bit.ly/1vauKAy
西川光一語録http://bit.ly/1vapVXR
大塚グループの歴史・沿革


■大塚製薬株式会社は、医薬品、食料品の製造・販売をしている企業である


■持株会社大塚ホールディングス株式会社が設立されるまでは、大塚製薬工場、大鵬薬品工業、大塚化学、大塚倉庫、大塚食品、アース製薬など、国内21社、海外27社におよぶ「大塚グループ」の中核企業であった


■大塚グループは、1921年(大正10年)、大塚武三郎が徳島県・鳴門に大塚製薬工業部を設立したことに始まる


■社員数10名、塩田残渣(にがり)から炭酸マグネシウムをつくる化学原料メーカーとしてスタートした


■大塚製薬工業部の事業は局方原料の多品目化、軍需工場に指定されるなど順調に進み、1935年に「大塚製薬工場」と社名を変更する


■大塚武三郎の後を引き継いだ長男・正士は、それまでの原料メーカーとしての堅実な事業展開に加え、1946年に医薬品事業へ参入し事業地域を全国化してさらなる飛躍を試みる


■1961年大塚製薬工場の運輸倉庫部門を分離し、大塚倉庫株式会社を設立


■1963年大鵬薬品工業株式会社を設立


■1964年大塚製薬工場販売部門(除く四国4県)を分離し、大塚製薬株式会社を設立


■2代目の大塚正士は点滴注射薬をはじめとする医療品分野、そしてオロナミンCに代表される食品分野、さらには陶板などの住居関連事業を手広く行い、大塚グループを築いた。2代目の大塚正士が実質的な大塚グループの創業者とされる


■大塚正士の長男の大塚明彦が1976年に38歳で大塚製薬社長に就任


■3代目の大塚明彦は1969年に全国発売された「ボンカレー」の発案者で、その後も、自らのアイデアで「ポカリスエット」「カロリーメイト」などの機能性飲料・食品を他社に先駆けて売り出し、ヒットを連発したことで知られる


■現在の大塚グループは、世界26カ国に158社が展開し、約42,000人の社員が働いている。連結売上高でみると、既に海外が50%を超え、約25,000人の連結従業員数のうち過半数近くを海外の従業員が占める(2013年3月31日現在)までに国際化が進んでいる


関連サイト
大塚製薬歴代社長http://goo.gl/gon3La
大塚明彦語録http://goo.gl/nS65QE
大塚正士語録http://bit.ly/RxUyAH
大塚明彦(大塚製薬創業家)家系図
http://goo.gl/PsdJvO
Powered By FC2ブログ. copyright © 2017 歴史 all rights reserved.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。