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NPO法人フローレンスの歴史・沿革


■NPO法人フローレンスは、社会起業家の駒崎弘樹が、「地域の力によって病児保育問題を解決し、子育てと仕事を両立できる社会をつくりたい」と考え、2004年にNPO法人として設立した


■住所:東京都千代田区飯田橋3-3-7 秋穂セントラルビル2F


■名前の由来
フローレンスは、フローレンス・ナイチンゲールのファーストネームから名づけられた。病児保育という看護と保育の融合した領域に挑戦するにあたり、看護の代名詞であるナイチンゲールの名前を借りて付けられた


■日本初の「共済型・訪問型」の病児保育サービスを首都圏で開始、共働きやひとり親の子育て家庭をサポートしている


■代表者、駒崎弘樹のメッセージ
・私たちの目指す社会は「子育てか仕事の二者択一を迫られる社会」ではなく、「子育てと仕事の両立なんて当たり前」の社会です

・私達の目指す社会は「お父さんが子どもの寝顔しか見れない社会」ではなく、「早く帰ってこれて、こどもの笑顔を見れる社会」です


■駒崎弘樹(こまざき・ひろき)略歴
日本の社会起業家、病児保育に関するNPO法人フローレンス代表理事。1979年9月18日生まれ。東京都江東区出身。慶應義塾大学総合政策学部(SFC)卒業。在学中にITベンチャー株式会社ニューロンを起業し、ウェブサイトや電子商取引システムを制作・販売する会社で社長として活動した。著書:『「社会を変える」を仕事にする 社会起業家という生き方』 『働き方革命―あなたが今日から日本を変える方法』『「社会を変える」お金の使い方』
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高山神社(太田市)の歴史・沿革


■高山神社(たかやまじんじゃ)は、群馬県太田市本町にある神社


■所在地:群馬県太田市本町48-32


■明治時代に創建された比較的新しい神社である。高山彦九郎を祭神として祀る


■高山彦九郎(たかやま・ひこくろう)
【1747年6月15日~1793年8月4日】江戸時代後期の尊皇思想家。林子平・蒲生君平と共に、「寛政の三奇人」の1人である。父は高山良左衛門正教、母はしげ。兄は高山正晴。妻はしも後にさき。子に高山義介ほか娘などがいた


■高山彦九郎の先駆的な政治理念を抱いた行動と実践は、吉田松陰、高杉晋作、西郷隆盛らをはじめとする幕末の志士たちに大きな影響を与えたと言われる


■高山彦九郎は生涯を旅に過ごし、京都・江戸・郷里を拠点に全国各地を遊歴した。公家・武士(大名・家老・諸藩士など)・学者(国学者・儒学者・蘭学者など)・文化人(画家・歌人・俳人など)・剣術家・神官・商人・農民など様々な階層の人々と交流。その様子を地域の歴史・地誌・習俗・民情などとともに克明な日記に記録していた


■高山神社の歴史
明治元年(1868年)太田宿本陣の橋本多賀之助が神社造営の建言書を太政官に提出。地元大田町や県内外の有志が神社の創建の願いを政府に出願し、明治11年(1878年)3月、高山彦九郎に正四位が追贈され、社殿創建・社号公称願いが大久保利通内務卿より許可された


■1932年(昭和7年)に現在地の山頂に遷座された
老舗旅館竹野屋の歴史・沿革


■竹野屋は高円宮典子さまと千家国麿さんとのご結婚などで話題になった、出雲大社の門前にある、創業140年の老舗旅館である


■竹野屋の住所
・〒699-0711 島根県出雲市大社町杵築南857
・出雲大社から徒歩 1分
【収容人数】175人
【客室数】和室44


■神話のふるさと出雲大社の正門前にたたずむ明治十年創業の純和風老舗旅館で、その圧倒的な大きさの木造建築は、一見の価値がある


■町内最大の大浴場を有している


■いくつもの美しい日本庭園も見ものである


■料理は出雲そばを贅沢に食べられ、郷土料理や一般の会席料理でも色使いが神々しい、出雲を感じさせるものとなっている


■竹野屋の亭主
竹内信夫(たけうち・のぶお)略歴
出雲大社の門前 創業140年の老舗旅館「竹野屋」の5代目亭主。ウェディングプランナー。1951年、島根県で生まれる。大学卒業後、京都の老舗旅館での修業を経て24歳で竹野屋に入った
ユーラスエナジーHDの歴史・沿革


■株式会社ユーラスエナジーホールディングスは、東京都港区に本社を置く持株会社で豊田通商と東京電力の合弁会社である


■ユーラスエナジーグループを統括する持株会社で風力発電事業で国内最大手、世界でも有数の風力発電事業者である  


■社名はギリシャ神話に登場する「東の風の神エウロス(Eurus)」に由来している


概要
■株式会社ユーラスエナジーホールディングス
設立年月日:2001年11月1日(2002年9月30日に現商号に変更)
株主:豊田通商株式会社 60% 。東京電力株式会社 40%
資本金:181億9,920万円
従業員数:253名※(2014年4月1日現在) ※ユーラスエナジーグループ
事業内容:風力および太陽光発電事業
本社所在地:東京都港区虎ノ門四丁目3番13号 ヒューリック神谷町ビル7階


沿革
■1986年10月 株式会社トーメン (現・豊田通商株式会社)グループの電力事業としてスタート

■1993年3月 イギリスで事業開始 (ウェールズ〈P&L〉、〈RYG〉風力発電所)


■1996年12月 イタリアで事業開始 (カンパー二ア・プーリア州〈IVPC〉風力発電所)


■1998年2月 スペインで事業開始 (ガリシア州〈Paxareiras I&IIa>風力発電所)


■1999年11月 日本で事業開始 (北海道〈ユーラス苫前ウインドファーム〉)


■2001年11月 株式会社トーメンの電力事業部を分社化し株式会社トーメンパワーホールディングスを設立

■2002年10月 株式会社ユーラスエナジーホールディングスに商号を変更(東京電力株式会社が50%の株主として資本参加)


■2004年3月 株主構成の変更 (東京電力 60% / トーメン 40%)


■2012年1月 株主構成の変更(豊田通商 60% / 東京電力 40%)


■2012年5月 豪州で事業開始(南オーストラリア州<Hallett5>風力発電所)
ちびっこランドこやま園の歴史・沿革


■保育所ちびっこランドは株式会社学栄がFC展開している保育所で、0歳児から8歳児までを対象とした教育産業の会社である


概要
■名称:株式会社学栄
創業:昭和63年4月
資本金:3,000万円(グループ全体)
本社所在地:東京都目黒区中目黒1-1-71 KN代官山2F
代表取締役:石坂公代


■事業内容
・保育所経営
・留学斡旋
・教材販売
・陶芸教室
・経営コンサルタント
・イングリッシュスクール経営


■学栄グループ
開園・開校数:498園
園児・生徒数:26,100名 総数 2,710名
園長:432名
保育士:2,053名
役員・一般社員: 225名
(平成26年4月末現在)


沿革
■昭和63年04月 乳幼児教育研究所設立


■平成02年02月 保育所ちびっこランド設立


■平成06年05月 有限会社学栄設立


■平成10年05月 有限会社学栄を株式会社学栄に組織変更


■平成11年03月 保育所ちびっこランド 開園50園達成


■平成11年11月 保育所ちびっこランド 園児総数5,000人突破


■平成12年09月 保育所ちびっこランド 園児総数10,000人突破


■代表者・石坂公代のあいさつ文
株式会社学栄保育所ちびっこランドは、多様化する社会において大いに発展性を持つ企業です。近年、日本の景気回復の足取りが鈍い中、女性就業者の数は年々増加しています。そのため働くお母さんのニーズにあった、最も確率の高い経済効果のある小規模園を展開してまいりました。保育所ちびっこランドのポリシーは、IQ教育(頭の教育)だけでなく、EQ教育(心の教育)にも力を注ぐ保育を実践することです
マレーシア航空の歴史・沿革


■マレーシア航空はマレーシアの国営航空会社で、マレーシア国営の投資会社「カザナ・ナショナル」が69%の株を保有する


■世界 100ヵ所以上の都市に定期便を運航し、多数のチャーター便も飛ばしている


沿革
■1947年マラヤ航空として設立


■1963年マレーシア連邦の成立に伴ってマレーシア航空と改められる


■1965年シンガポールが連邦から独立したためマレーシア・シンガポール航空と改称した。マレーシア・シンガポール両国政府の共同保有に


■1971年4月 マレーシア・シンガポール航空の両国共有が解消、マレーシア側はマレーシア航空を設立。シンガポール側はシンガポール航空となる


■1971年11月 マレーシア航空システムと改称


■2002年 政府全額出資のマレーシア航空会社が設立され、機材保有および国内線事業は同社に移管。マレーシア航空システムは同社の子会社として国際線事業を所管する体制に移行(但し国内線の運航も受託)


ネットワーク(国際線)
■日本
・東京
・大阪


■東南アジア
・バンダルスリベガワン
・バンコク
・デンパサール
・ハノイ
・ホーチミンシティ
・ジャカルタ
・マニラ
・メダン
・プーケット
・プノンペン
・シェムリアップ
・シンガポール
・ヤンゴン


■南アジア方面
・バンガロール
・コロンボ
・デリー
・ダッカ
・ハイデラバード
・チェナイ
・マーレ
・ムンバイ
・コチ
・カトマンズ


■ヨーロッパ
・アムステルダム
・フランクフルト
・イスタンブール
・パリ
・ロンドン


■中近東
・ドバイ
・ジェダ
・アンマン


■オセアニア
・アデレード
・オークランド
・ブリスベン
・ダーウィン
・メルボルン
・パース
・シドニー

■マレーシア国内線
・アロースター
・ビンツル
・ジョホールバル
・コタバル
・コタキナバル
・クアンタン
・クチン
・クアラルンプール
・クアラトレンガヌ
・ラブアン
・ランカウイ
・ペナン
・サンダカン
・シブ
・タワウ
神田まつやの歴史・沿革


■神田まつやは、東京都千代田区神田須田町にあるそばの専門店である。本店のほか、吉祥寺にも支店(東急百貨店吉祥寺店9階)がある


■味通で知られた小説家の池波正太郎は江戸の香りを残すこの「神田まつや」の店を最もひいきにした


■落語の蕎麦喰いを演じたら名人と伝えられている古今亭志ん朝はここで弟子たちに食べ方を教えたという


■店舗は関東大震災後の1925年に建築された木造2階建ての建物で、2001年に東京都の歴史的建造物に選定されている


■神田まつやは、1884年(明治17年) 福島家の初代市蔵氏が創業。その後2代を経て、関東大震災後、小高家の初代・政吉が継承する


■小高家2代目(4代目店主)賢次郎はそばの製法技術を、「魚藍坂の藪そば」の出身で後に大森梅屋敷藪そばの創業者となる関谷作太郎氏に学んだ


■小高家3代目(5代目店主)の小高登志は「蕎風会」にて「神田藪そば」の先代、「上野蓮玉庵」の先代、「神田錦町 更科」の先代等々老舗の錚々たる方々にそば打ちの技法並びに営業のノウハウを学んだ。その集大成が現在の「神田まつや」の姿となる


■2012年11月26日 日清食品から「老舗の逸品 神田まつや監修 鶏南ばんそば]が全国発売される

■2013年6月10日 日清食品から「老舗の逸品 神田まつや監修 カレー南ばんそば」が全国発売される


■現在の「神田まつや」の店主
小高孝之(おだか・たかゆき)経歴(プロフィール)
蕎麦職人。神田まつやの六代目。血液型O型。1965年6月、東京都で生まれる。千代田出身。中学時代に既に蕎麦職人になることを決意する。明治学院大学を卒業後、【神田まつや】にて修業を開始する。江戸の味『江戸の手打ち』を伝えることを信条としている
株式会社和えるの歴史・沿革


概要
■株式会社和える
設立年月日:2011年3月16日
資本金:5,000,000円
代表取締役:矢島里佳
所在地:東京都港区西麻布3-5-2-1301


■事業内容
・日本の伝統産業の技術を用いた商品の企画、開発、販売
・弊社の知見や和えるノウハウを用いた、和えるプロデュース事業
・日本の伝統産業の職人の技術を活かしたイベントの企画、制作、実施


沿革
■2009年 ビジネスプランコンテスト「2009キャンパスベンチャーグランプリ」東京産業人クラブ賞受賞(日刊工業新聞)


■2010年 ビジネスプランコンテスト「学生起業家選手権」優秀賞受賞(東京都・財団法人東京都中小企業振興公社)


■2011年3月16日 株式会社和える設立


■「古き良き伝統」と「今を生きる私たちの感性」を混ぜるのではなく和える(あえる)ことで、私たちの生活に伝統産業の技術を活かしながら、伝統をつなぐことを目指し、次世代の人々が誇れる日本の伝統を生み出すために、和えるは誕生した


■株式会社和えるの代表者
矢島里佳(やじま・りか)略歴・経歴(プロフィール)
1988年 東京都生まれ。19歳、2009年から約3年間、伝統を次世代に繋ぐ全国の若手職人をフィーチャーした雑誌連載をJTBの会報誌や週刊朝日にて執筆。慶應義塾大学卒業。2011年 慶應義塾大学大学院在学中に起業 株式会社和えるを設立した。2009年 徳島活性化コンテスト 奨励賞。2009年 キャンパスベンチャーグランプリ 東京産業人クラブ賞。2011年 第4回鯖江地域活性化プランコンテスト 優勝/オーディエンス賞(ダブル受賞)
リオン株式会社の歴史・沿革


■リオン株式会社は、東京都国分寺市に本社を置く、日本の電気機器メーカー。国内補聴器業界最大手である


■物理学・音響学の研究を目的とする小林理学研究所の研究成果を製品化するため、1944年に株式会社小林理研製作所として設立された


■1960年に社名を現在のリオン株式会社に改めた


■社名のリオンとは、理学の「理」と音響の「音」を組み合わせた造語で、理学に基づいた音響とそれに関連した分野への開拓を目指す意味が込められている


概要
■リオン株式会社
設立:1944年(昭和19年)6月21日
資本金:19億6,904万円(2014年3月31日現在)
売上高:185億1,007万円(2014年3月期・連結
従業員:766名(2014年3月31日現在・連結
上場市場:東京証券取引所市場第一部

■事業内容
医療機器事業(補聴器、医用検査機器)、環境機器事業(音響・振動計測器、微粒子計測器)の製造、販売およびこれらに関連する部品、機器等の製造、販売、サービス


沿革
■1944年 株式会社小林理研製作所(現・当社)を設立


■1948年 日本初の量産型補聴器(H-501)を発売


■1983年 世界初の人工中耳の開発に成功


■1983年 世界初のワイヤレスCROS骨導めがね式補聴器(HE-72)を発売


■2011年 東証一部銘柄に指定


■2012年 東日本営業所を開設
スタンダードチャータード銀行の歴史・沿革


■スタンダードチャータード銀行は、ロンドンに本拠を置き、世界70ヵ国に事業ネットワークを展開する世界的な銀行金融グループである


■スタンダードチャータードはロンドン証券取引所、香港証券取引所、ムンバイ証券取引所、ならびにインド国立証券取引所に上場し、約86,000名の行員を擁する国際的な金融グループ


■世界で最も活力に満ちた市場-アジア・アフリカ・中東地域において150年以上の歴史を誇り、ダイナミックな投資や貿易、そして資産形成を行うお客様を対象に、ビジネスを展開している


■香港ドル発券銀行の一つである


■スタンダードチャータード銀行は1969年、イギリスの海外銀行であるStandard Bank of South Africa 英領南アフリカスタンダード銀行と、Chartered Bank of India, Australia and China インド・オーストラリア・中国チャータード銀行との合併により設立された


■スタンダード銀行は1862年、スコットランド人ジョン・パターソンらにより設立


■チャータード銀行は1853年、ビクトリア女王からのジェームズ・ウィルソンへの特許状交付に基づき設立された


■日本におけるスタンダードチャータード銀行の歴史は、横浜に初めて駐在員事務所を開設した1880年にさかのぼり、130年以上の歴史がある。日本の企業法人・金融法人のお客様向けに、多岐にわたる金融サービスを提供し、さらなる成長を続けている
ローマイヤ株式会社の歴史・沿革


■ローマイヤ株式会社は、栃木県那須塩原市に本社を置くハムやソーセージなどの製造・販売を中心とする食品会社である


沿革
■1921年(大正10年)アウグスト・ローマイヤーにより創業。東京都品川区大崎にてハム・ソーセージの製造を開始


■1968年 株式会社ローマイヤ設立


■2000年 ローマイヤ株式会社に社名変更。


■2007年 栃木県那須塩原市に本社移転


■2012年 スターゼンの完全子会社となる


概要
■ローマイヤ 株式会社
創 業:1921年(大正10年)
設 立:1934年(昭和9年)12月20日
本 社:栃木県那須塩原市島方457-4


■事業内容
1.ハム・ソーセージ類の製造・販売
2.惣菜の製造・販売
3.冷凍食品の製造・販売
4.その他


■栃木工場:栃木県那須塩原市島方457-4


■銀座ローマイヤレストラン日本橋店
東京都中央区日本橋本町3-8-3 東硝ビルB1
松浦機械製作所の歴史・沿革


■松浦機械製作所は福井県を本拠とする、産業用機械類、工具 、工作機械メーカー


■マシニングセンタの開発設計・製造においては世界でもトップクラス


■福井県内では一早くグローバル企業となった


沿革
■1935年 、松浦敏男が「松浦機械製作所」創業、旋盤の生産開始


■1957年 フライス盤の生産・販売開始


■1960年 法人に改組、株式会社松浦機械製作所を設立


■1974年 国産初の本格的立形マシニングセンタ開発


■1975年 立形マシニングセンタを米国に出荷、本格的輸出を開始


■1988年 カナダ エリオットマシナリー社設立


■1991年 イギリス マツウラマシナリー社設立


■1993年 ドイツ マツウラマシナリー社設立


■2002年 米国MMTS株式会社設立。世界初レーザエッジング加工技術の開発


■2008年 横形マシニングセンタ「H.Plus-300」が「第38回機械工業デザイン賞/日本商工会議所会頭賞」を受賞


概要
■株式会社松浦機械製作所
創業:1935年8月
会社設立:1960年9月
資本金:9,000万円 (自己資本 134億9,200万円)
年商:113億5,300万円(2013年度/輸出比率71.0%)


■事業内容
・工作機械(マシニングセンタ)製造、販売
・金属光造形複合加工機製造、販売
・CAD/CAMシステム販売


■国内拠点名
・武生工場-IMN株式会社- (福井県)
・北関東営業所 (埼玉県)
・名古屋営業所 (愛知県)
・大阪営業所 (大阪府)
・東京フォーラムセンター(東京都)


■海外拠点名
・イギリス
・ドイツ
・カナダ
・アメリカ
・台湾
イハラサイエンスの歴史・沿革


■特色:産業用継ぎ手最大手、半導体向けに強み。創業者同士が親しかったユニ・チャーム関連が大株主である


沿革
■1941年4月(昭和16年)東京都港区芝浜松町3丁目2番地にて、伊原政次個人経営の伊原商会を創業


■1947年 経営を法人組織とし、資本金5万円にて、伊原産業株式会社を設立


■1963年 株式を公開(日本証券業協会東京地区協会登録店頭銘柄)


■1997年10月 社名をイハラサイエンス株式会社に改称


■2012年3月 本社を港区高輪3丁目11番3号に移転


■2013年6月 イハラサイエンスUSA 設立


概要
■イハラサイエンス株式会社
創業年月:昭和16年4月
資本金:15億6千4百万円
従業員数:495名(平成26年3月31日現在)
本社:東京都港区高輪3丁目11番3号イハラ高輪ビル 


■営業品目
・継手類
・バルブ類、
・配管部材
・システム設計


■研究開発
・静岡(伊豆市)
・岐阜(中津川市)
・山形(東根市)


■生産拠点
・岐阜(中津川市)
・静岡(伊豆市)
・山形(東根市)


■販売拠点
・東京
・東北
・名古屋
・大阪
・岡山
・九州
・海外(台湾、中国、韓国、北米、欧州、豪州)
アイリスオーヤマの歴史・沿革


■アイリスオーヤマ株式会社は、家庭用プラスチック製品の製造と販売が主業務で宮城県仙台市青葉区に本社をおく企業である


沿革
■1958年4月 大山森佑が大阪府東大阪市で大山ブロー工業所を創業


■1964年、森佑の急逝に伴い長男の大山健太郎が19歳で引き継ぐ


■1971年4月 大山ブロー工業株式会社を設立


■1972年7月 仙台工場(現大河原工場)竣工


■1986年4月 株式会社オーヤマ設立


■1989年に本拠地を政令指定都市移行間もない仙台市へ移転


■1991年3月 株式会社アイリスプラザ設立


■1991年9月 社名をアイリスオーヤマ株式会社に変更


■2012年8月 仙台三和ビルディングを改装して「アイリス青葉ビル」を開業する


■2014年4月 関連会社アイリスプラザが、ホームセンター「ユニディ」を運営する株式会社ユニリビングの株式を三井不動産から取得して子会社とする


概要
■アイリスオーヤマ株式会社
設立:1971年4月
従業員数: 2,730人(2014年1月現在)
事業内容: 生活用品の企画、製造、販売
売上高:1,112億円(2013年度) グループ売上高 2,672億円(2013年度)
群馬大学医学部附属病院の歴史・沿革


■群馬大学医学部附属病院は、群馬県前橋市にある群馬大学の附属病院


沿革
■1943年4月 前橋医学専門学校附属医院設置


■1944年 群馬県より組合病院の提供を受け開院。内科,外科,小児科,精神神経科,皮膚泌尿器科,整形外科,産婦人科,眼科,耳鼻咽喉科及び口腔外科を置く


■1948年2月 前橋医科大学設置、前橋医科大学附属病院と改称


■1949年5月 前橋医科大学は群馬大学医学部となり、群馬大学医学部附属病院と改称


■2012年 災害拠点病院(地域災害拠点病院)に指定


概要
■群馬大学医学部附属病院
開設年月日:1943年4月
開設者:国立大学法人群馬大学
所在地:群馬県前橋市昭和町三丁目39番15号
許可病床数:723床
精神病床:40床
結核病床:9床
一般病床:674床
昭光通商株式会社の歴史・沿革


■昭光通商株式会社(しょうこうつうしょう)は、東京都港区に本社を置く商社


■ 昭和電工グループ中核商社として化学品、樹脂、金属、電子材料、マンションなど多展開している


沿革
■1947年5月 光興業株式会社を昭和電工株式会社及び味の素株式会社の支援のもとに、化学品並びに肥料の国内販売と輸出入を目的として設立


■1950年1月 大阪営業所(現在大阪支店)を開設


■1959年4月 川口工場を開設「溶解アセチレン」の生産開始


■1962年6月 東京証券取引所の市場第二部に株式を上場


■1976年8月 昭和電工株式会社の全額出資化学品商社、昭栄興業株式会社と合併、資本金12億9,270万円になる


■1981年6月 東京証券取引所の市場第一部に株式を上場


■1982年8月 商号を昭光通商株式会社に変更、本社を東京都港区西新橋に移転


■1987年1月 昭和電工株式会社の全額出資不動産、保険代理業を営む昭興株式会社と合併、資本金46億4,179万円になる


■1994年1月 昭光化学工業株式会社及び横浜化学株式会社を吸収合併、資本金の増減はなし


■2009年10月 科学システム部門の、安定同位体事業をSIサイエンス(株)として分社化


概要
■昭光通商株式会社
設立:1947年5月28日
資本金:8,021,790千円 (2014年6月30日現在)
本社住所:東京都港区芝公園二丁目4番1号 芝パークビルB館3階
従業員数193人(連結565人)(2014年6月30日現在)


■事業内容
営業品目
・工業薬品、合成樹脂、医薬品、肥料、農薬、農業資材、農産物、食品、水産物、畜産物、軽金属、レアアース、電極、研削材、耐火材、脱酸材、鉱産物、機械装置、アルミポール、土建用資機材、電子材料、情報機器、精密化学品、理化学機器、不動産関連事業、保険代理店業、総合人材ビジネス業


製造品目
・有機・無機複合肥料、液体肥料、重窒素化合物(各種トレーサー)、水稲培土、園芸培土、理化学機器及び消耗品
サクセスホールディングスの歴史・沿革


■サクセスホールディングスは、保育園・保育施設を運営するサクセスアカデミーの持ち株会社として2010年11月に設立された


■特色:病院等事業所内の保育所受託と公的保育施設運営が2本柱。業界2位。神奈川、東京が主要地盤


沿革
■1989年 鎌倉市に株式会社サクセスアカデミー設立、学習塾のフランチャイズ展開


■1991年 事業所内保育事業開始


■2003年 国立大学病院内保育施設受託運営開始


■2005年 私立大学病院内保育施設受託運営開始


■2010年11月 サクセスホールディングス株式会社設立


■2012年8月 大阪証券取引所(JASDAQ市場)上場


■2013年4月 東京証券取引所市場第二部上場


■2014年4月 東京証券取引所市場第一部に指定


■サクセスホールディングス株式会社
設立:2010年11月
資本金:285,771千円
決算期:12月
従業員数:90名(2013年12月31日現在)
年商:連結 8,673百万円(2013年12月期)
本社所在地:神奈川県藤沢市鵠沼石上1−1−15
任天堂の歴史・沿革


■任天堂の創業は1889(明治22)年9月23日。有名な工芸職人だった山内房治郎が京都の平安神宮の近くに「任天堂骨牌」(山内房治郎商店)を創立、花札の製造を開始したのに始まる


■花札の裏に「大統領」の印を押した「大統領印の花札」は関西の賭博で広く使われた


■プロの博打うちは勝負のたびに新しい札を使ったので、任天堂の花札は良く売れた


■房治郎は工芸家であると同時に、事業家でもあった。日本販売公社(現・日本たばこ産業)と交渉して、花札とカードをタバコの流通網に乗せることに成功


■1902年 日本初のトランプ製造に着手


■1949年 房治郎の曾孫・山内溥が3代目社長に就任


■ゲームウォッチでヒットを飛ばすと、さらに家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」を発売


■1983年 東京証券取引所市場第一部に株式を上場


■その後もゲームボーイ、スーパーファミコンとハード機を次々と投入。任天堂は日本だ
けではなく、世界的なテレビゲームメーカーへと成長を遂げた


■2002年 山内溥は引退し、3代続いた一族経営を断ち切った


■2002年 取締役社長に岩田聡(4代目)が就任


■2004年 携帯型ゲーム機「ニンテンドーDS」を発売


■2006年 家庭用テレビゲーム機「Wii」を発売


■2012年 家庭用テレビゲーム機「Wii U」を発売
オリエンタルランドの歴史・沿革


■株式会社オリエンタルランドは、米国のウォルト・ディズニー・カンパニーとライセンス契約により東京ディズニーランド(TDL)、東京ディズニーシー(TDS)を中心とする東京ディズニーリゾート(TDR)を経営・運営する事業持株会社の基幹企業である


沿革
■1960年7月 千葉県浦安沖の海面を埋め立て、商業地・住宅地の開発と大規模レジャー施設の建設を行い、国民の文化・厚生・福祉に寄与することを目的として、資本金2億5,000万円にて株式会社オリエンタルランドを設立


■1964年9月 浦安沖の海面埋立造成工事を開始


■1974年12月 米国法人ウォルト・ディズニー・プロダクションズ(現ディズニー・エンタプライゼズ・インク)との間で業務提携について基本合意


■1979年4月 米国法人ウォルト・ディズニー・プロダクションズ(現ディズニー・エンタプライゼズ・インク)との間にテーマパーク「東京ディズニーランド」のライセンス、設計、建設及び運営に関する業務提携の契約を締結


■1983年4月 「東京ディズニーランド」を開園


■1996年12月 東京証券取引所市場第一部に株式を上場


■2010年7月 オリエンタルランド創立50周年を迎える


概要
■株式会社オリエンタルランド
設立:1960年(昭和35年)7月11日
資本金:632億112万7千円
本社:千葉県浦安市舞浜1番地1
事業内容:テーマパークの経営・運営および、不動産賃貸等
従業員数:正社員2,196名。テーマパーク社員797名。準社員18,890名(2014年3月31日現在)


オリエンタルランド初代社長
■川﨑千春(かわさき・ちはる)略歴
【1903年~1991年】日本の実業家。オリエンタルランド初代社長。京成電鉄第5代社長。京成電鉄で21年間トップの座に君臨し、京成グループの発展に貢献。ディズニーパークの日本誘致を発案した人物でもあり、東京ディズニーランドの建設計画においても中心となった一人。1903年4月5日生まれ。東京帝国大学経済学部卒業。創立されたばかりの川崎信託(現・三菱UFJ信託銀行)入社。帝都タクシー(現・帝都自動車交通)に転じ、その後1940年1月、当時の京成電気軌道に会計課長として入社した
オリックス・ファシリティーズの歴史・沿革


■オリックス・ファシリティーズ株式会社は日本全国に展開する総合ビル管理、プロパティマネジメント、ファシリティマネジメント、運営、建築・設備工事会社である


■主にホテル・オフィスビル・複合施設・病院などの保守サービス・メンテナンスから、入居者管理・募集活動などの経営サポート、新規物件や土地・建物の資産有効活用のコンサルティングまで、ハード技術とオリジナルノウハウを駆使し、クライアントニーズに応えている


■沿革
・1970年2月 京都市に株式会社関西メンテナンス(現オリックス・ファシリティーズ株式会社)設立

・1983年6月 警備業法による警備業の認定を受ける

・2001年9月 オリックスグループ入り

・2009年3月 大京グループ入り


■オリックス・ファシリティーズ株式会社
設立:1970年2月12日
決算期:3月31日
資本金:857,500(千円)
主要株主:株式会社大京
本店所在地:京都府京都市下京区大宮通仏光寺下る五坊大宮町99 
従業員数:合計1,065名(2014年4月1日現在)
事業内容:総合ビル管理・賃貸マンション管理・その他不動産管理。不動産仲介・建築工事


■事業所
本社:東京
本店:京都
支店等:大阪・名古屋・札幌・仙台・横浜・金沢・静岡・滋賀・舞鶴・広島・岡山・高松・福岡
丸広百貨店の歴史・沿革


■株式会社丸広百貨店(まるひろひゃっかてん)は、日本の百貨店の一つ。主に埼玉県西部を中心とした地域で、店舗を展開している。本店・中核店舗は川越店である


■株式会社丸広百貨店(概要)
創業者:大久保竹治
創業:昭和14年10月(飯能市)
設立:昭和24年5月
資本金:1億円
売上高:697億円(平成23年度実績)


■大久保竹治(おおくぼ・たけじ)略歴
【1916年~2010年】丸広百貨店グループ創業者。1916年1月5日、 埼玉県飯能町(現飯能市)の製茶農家に5人兄弟妹の二男として生まれる。飯能実業学校卒業後は東京都八王子市で衣料を扱う「丸木」で働き修行。1939年飯能で修行先の名前を借りて「丸木商店」を開店した


■百貨店(店舗)
・川越店
・飯能店
・東松山店
・入間店
・上尾店
・南浦和店
・坂戸店
・アトレマルヒロ


沿革
■1939年10月 創業(飯能市)


■1949年年5月 会社設立


■1951年10月 川越店開設


■1978年12月 南浦和店開店


■1998年9月 川越店全館リモデル開設


■1999年5月 創立50周年


■2005年3月 商品センター開設


■2009年9月 飯能店店舗移転開設


■2012年6月 アトレマルヒロ第一期改装オープン
まるか食品の歴史・沿革


■まるか食品株式会社は群馬県伊勢崎市に本社を置く食品メーカー


■東日本を中心に長年販売されている「ペヤングソースやきそば」の製造・販売元である


■「まるか食品」という社名は、創業者の丸橋嘉蔵の姓と名を1字ずつ取って、丸嘉→まるか、と名付けられた


■まるか食品株式会社
創業:1929年(昭和4年)5月
設立:1964年(昭和39年)3月
資本金:4,000万円
代表取締役社長:丸橋嘉一
事業内容:即席麺の製造・販売、不動産賃貸業
本社所在地:群馬県伊勢崎市戸谷塚町49-1
赤堀工場:群馬県伊勢崎市下触町1101-1


沿革
■1929年(昭和4年)5月 群馬県伊勢崎市川久保町で前身となる乾麺類の製造販売を営んだことに始まる


■1962年 インスタントラーメンの製造を開始


■1964年3月 「まるか食品株式会社」を設立


■1973年「ペヤングヌードル」を発売

■1975年 業界初の四角い容器のカップめん「ペヤングソースやきそば」を発売


■2002年10月 日本食料新聞社より食品産業功労賞を受賞


■ペヤングソースやきそば
「ペヤングソースやきそば」は1975年3月にカップ焼きそばとして発売開始。「日清焼そばU.F.O.」(日清食品)、「マルちゃんやきそば弁当」(東洋水産)とともにカップ焼きそばのロングセラー商品である


■「まるか食品」の企業名はあまり世間では認知されていないが、この「ペヤング」ブランドは東日本の主力販売地域内では、非常に高い知名度を誇る
株式会社コルクの歴史・沿革


■株式会社コルクは講談社を退社した佐渡島庸平(さどしま・ようへい)が立ち上げた企業で、クリエイターのエージェント業を営んでいる


■佐渡は漫画家と直接契約して創作をサポートする作家エージェントという新たなビジネスを立ち上げ、『出版業界の革命児』と言われている


■株式会社コルク
設立:2012年10月1日
資本金:500万円
事業内容:クリエイターのエージェント業


■佐渡島庸平(さどしま・ようへい)略歴
日本のマンガ編集者。株式会社コルクの代表取締役社長。1979年生まれ。灘高校から東京大学文学部に進学。大学卒業後の2002年、講談社に入社。2012年に講談社を退社し、作家のエージェント会社、株式会社コルクを立ち上げた。日本にクリエイターエージェント業を根付かせようと奮闘努力している


■コルクが契約している作家
・羽賀翔一
・阿部和重
・安野モヨコ
・山城むつみ
・小山宙哉
・山崎ナオコーラ
・川田十夢(AR三兄弟)
・曽田正人(テンプリズム)
・田中慎弥 (海外著作権のみ取り扱い)
・平野啓一郎(海外著作権のみ取り扱い)
・伊坂幸太郎 (海外著作権のみ取り扱い)
・伊藤比呂美 (海外著作権のみ取り扱い)
・三田紀房 (インベスターZ、ドラゴン桜、エンゼルバンク、他一部作品)
大韓航空の歴史・沿革


■株式会社大韓航空(だいかんこうくう)は、大韓民国に本拠地を置く国際航空会社


■韓国のフラッグ・キャリアである


■韓国最大かつアジアで大手の航空会社の一つであり、仁川国際空港を国際線用ハブ空港としてヨーロッパ、アフリカ、アジア、北アメリカ、及び南アメリカとを結ぶネットワークを構築している


■国際貨物国際輸送で世界2位


■国際旅客輸送では世界17位


■現在は物流グループである韓進(ハンジン)グループの中核企業である


■かつては政商として知られる小佐野賢治が90%超の筆頭株主であった


■大韓航空は、1946年設立の大韓国民航空社を前身とし、国営会社である大韓航空公社として1962年に設立された


■赤字が続いたため、1969年に韓進(ハンジン)グループ主導で民営化され株式会社となった


■1972年に米国ボーイング社製のB747ジャンボジェットを購入、また早い段階からエアバスA300も6機保有するなど、将来にわたってグローバルな競争力を身につけるための土台づくりに取り組んだ


■1979年、大韓航空はニューヨークへの旅客直行便を就航


■1980年代には旅客、貨物ともに路線を拡大していく


■1991年のソビエト連邦の崩壊、そして1994年の中国との航空合意により、大韓航空の国際線ネットワークはさらに拡大していく


■1995年、大韓航空は記念すべき100機目の機材を導入した
サーラ住宅の歴史・沿革


■サーラ住宅株式会社は、愛知県豊橋市に本社を置く住宅メーカーでサーラグループの構成会社

■特色:愛知、静岡地盤のサーラグループの中核。高気密高断熱住宅に特徴。宅地開発、マンション分譲も行う

■サーラ住宅株式会社
設立年月日:1969年11月17日
市場名:東証2部 名証2部
上場年月日:2005年12月5日
本社所在地:愛知県豊橋市白河町100
従業員数:(単独)244人
平均年齢:40.1歳
平均年収:6,090千円

■企業理念
私たちサーラ住宅は、常に広い視野で真の住まいのあり方を探求し、お客さまのこだわりを100%カタチにするために、3つのクオリティをお約束します。人と住まいと環境における最高のクオリティの実現・・・それが、サーラ住宅の"らしさ"です
中島飛行機の歴史・沿革


■中島飛行機は1917年から1945年まで存在した日本の航空機・エンジンメーカー。エンジンや機体の開発を独自に行う能力と、自社での一貫生産を可能とする高い技術力を備え、第二次世界大戦終戦までは東洋最大、世界有数の航空機メーカーであった

■中島飛行機株式会社
設立:大正7年
創業者:中島知久平(なかじま・ちくへい)
従業員:約25万人
工場:全国に100ヶ所以上

■わが国史上、最大の軍需工場で終戦までに計29925機の航空機を生産。第2次大戦中の名機、隼(はやぶさ)、疾風(はやて)、鍾馗(しょうき)などいずれも中島飛行機が手掛けた。三菱が設計した零戦の全体の約2/3も中島飛行機が生産。戦後は解体され工場の幾つかが、富士重工、富士精密に受け継がれた。そして富士精密がプリンス自動車さらに日産自動車に変わる。

■主な製作所、工場(関東地方とその周辺)
・太田製作所(群馬県)・・・隼を量産
・桐生工場(群馬県)
・宇都宮製作所(栃木県)

■東京都
・武蔵野製作所(主に陸軍の航空発動機を生産)
・多摩製作所(主に海軍の航空発動機を生産)
・武蔵製作所(昭和18年11月に生産効率を上げるため武蔵野製作所と多摩製作所を統合
し武蔵製作所となる。国内の25%を占める日本最大の大航空発動機生産工場となる。従
業員の数は徴用工や学徒動員などを含めて約4万人いた)
・三鷹研究所→富士産業三鷹工場→富士工業三鷹工場→富士重工三鷹製作所
・東京製作所(荻窪工場)→富士精密→プリンス自動車→日産自動車(荻窪工場)
・田無運転場
・立川出張所
・大宮製作所(埼玉県)
・三島製作所(静岡県)、浜松製作所(静岡県)

■中島知久平(なかじま・ちくへい)略歴
明治17年~昭和24年(1884年~1949年)わが国史上、最大の軍需工場・中島飛行機(のちの富士重工業)の創始者、実業家、政治家。大正・昭和初頭にかけて国防思想の主流となった「大艦巨砲主義」に異を唱え、はやくから「航空機主義」を主張し、大正7年、35歳の時、みずから民営航空機企業、『中島飛行機』をつくった。群馬県新田郡の富農に長男として生まれ、明治33年17歳で家出を敢行。独学により海軍機関学校に入学、明治40年代はじめより憑かれたように航空機の研究に熱中した。第2次大戦中の名機「隼(はやぶさ)」「疾風(はやて)」「鍾馗(しょうき)」など、いずれも中島製作所が手掛けた。しかし、敗戦とともにA級戦犯に指定され、自宅拘禁。その後、戦犯指定を解除されたが、財産凍結の措置を受けたまま脳溢血で没した
東和電機製作所の歴史・沿革


■株式会社東和電機製作所は北海道・函館を本拠地に、イカ釣りロボットの開発で全国に名をとどろかせている

■イカ釣りロボットは、日本のみならず、中国や韓国、南米、ニュージーランドなどに輸出、世界シェアは実に7割を誇る

■株式会社東和電機製作所は1963年(昭和38年)、浜出慈仁が函館ドックの下請工場として、船舶の配電盤、分電盤を製作する製作所として創業

■1970年 全自動イカ釣機発売

■1974年 イカ釣機用集中制御盤発売

■1983年 イカ釣りロボット開発

■1984年 世界初コンピューター式全自動イカ釣機MY-1型発売

■同年 初代社長・浜出慈仁急逝

■同年 息子の浜出雄一が社長に就任

■イカ釣りロボットは日本のみならず、中国や韓国、南米、ニュージーランドなどに輸出、世界シェアは実に7割を誇る

■他に集魚灯のLED化や海の環境保護として海水電解装置の開発にも熱心に取り組んでいる

■浜出雄一(はまで・ゆういち)経歴(プロフィール)
日本の経営者。株式会社東和電機製作所の代表取締役社長。1947年生まれ。北海道函館市出身。武蔵工業大学(機械専攻)卒業。1970年、東和電機製作所に入社。設計課に所属し、さまざまな生産設備改良業務に取り組み、同社の主要製品である自動イカ釣り機の進化に貢献。1984年父親が亡くなった後、同社の社長に就任した
タカタ株式会社の歴史・沿革


■タカタ株式会社はシートベルト・チャイルドシート・エアバッグなどを製造している企業であり、自動車メーカーの出資を受けていない完全独立の部品メーカーである


■創業の地である滋賀県彦根市と、その周辺の長浜市や愛荘町に、日本国内の製造拠点がある


■たかたの創業は1933年にさかのぼる。繊維織物会社として出発したタカタは、1950年代にシートベルト開発に着手し、その後もエアバッグ、チャイルドシートを開発するなど、モータリゼーションの進展とともに増える交通事故に対して、タカタの夢である「交通事故による犠牲者ゼロ」の実現に向けて、自動車安全システム事業を強化してきた


■1933年 高田武三が、滋賀県彦根市に高田工場を創業したことに始まる


■織物製造を開始。織物の技術を活かした救命索も製造した


■1952年 米国で行われていた車にシートベルトを装備する研究に触発され、パラシュート技術を応用したシートベルト研究に着手


■1956年 株式会社高田工場として法人化


■1960年 日本初の2点式シートベルトを発表、製造販売を開始


■1983年12月 タカタ株式会社に社名変更


■1987年12月 エアバッグの製造・販売を開始


■2006年11月 東京証券取引所に上場


■エアバッグの草創期より製造を進めてきた経緯から、トヨタ自動車、ホンダをはじめとする日本の自動車各社のほか、フォルクスワーゲン、GMなど海外の自動車メーカーにも納品し、世界シェアは2位を誇る


■タカタは1980年代より海外進出を開始。現在では、日本を含むアジア、ヨーロッパ、南北アメリカ、アフリカの20カ国に50を超える開発・生産・販売拠点を有し、この各国にある拠点を「日本を含むアジア」、「米州」、「欧州」の三地域に分けた運営体制を敷いている
インターメスティックの歴史・沿革


■株式会社インターメスティック(本社:東京都港区北青山)はフランチャイザー(本部)として眼鏡の企画販売を行い、子会社の株式会社ゾフおよび加盟店が小売店「Zoff」の店舗展開を行っている


■ゾフは2001年に1号店を開いた低価格眼鏡チェーンの草分けとして知られ、現在は国内に約150店を展開している


■1993年3月10日 株式会社ガリレオクラブ(現・株式会社ゾフ)設立


■1993年5月20日 株式会社インターメスティック設立


■2001年2月 Zoff1号店を東京・下北沢で開店


■2004年3月 CONSOMME1号店を東京・コレド日本橋で開店


■2010年、関東地方を中心に全国に98店舗を展開


■2013年12月期の連結売上高は前の期比11%増の157億円


■インターメスティックは上野照博が創業。メガネの価格が大手チェーンでも2万円から3万円が普通だった当時、1万円を下回るスリープライスの価格設定で市場参入し、店舗を拡大してきた。メガネの企画・生産から販売までを行う一貫したシステムを自社で構築し、低コストでクオリティーの高い商品を供給する体制を整えることで発展した
山崎製パンの歴史・沿革


■昭和23年3月 創業者飯島藤十郎により千葉県市川市に山崎製パン所を開業、パンの委託加工を開始


■昭和23年6月 山崎製パン株式会社を資本金百万円をもって千葉県市川市に設立


■当時の日本は食糧管理制度の下、パンの原料となる小麦の流通は政府によって統制されていた。藤十郎は東台開拓農協で責任者としてパンの製造をしていたため、飯島名義では開業許可が下りなかった。そこで、妹の山崎裕代の夫・山崎要太郎の名義で許可を取った。山崎の姓から「山崎製パン」と名付けられた


■昭和24年 和菓子を製造開始


■昭和25年 洋菓子を製造開始


■昭和37年4月 本社を千葉県市川市より東京都墨田区へ移転


■昭和37年7月 東京証券取引所市場第二部に株式上場


■昭和41年6月 シンボルマークとして太陽マーク、シンボルキャラクターとしてスージーちゃんマークを使用開始


■昭和41年11月 東京証券取引所市場第一部に株式上場


■山崎製パン歴代社長
初代:飯島藤十郎(1948年~1977年)
2代:飯島一郎(1977年~1979年)
3代:飯島延浩(1979年~)


■山崎製パン株式会社(平成25年12月31日現在)
本社:東京都千代田区岩本町3-10-1
設立:昭和和23年6月21日
資本金:110億1,414万3千円
売上高:9,682億円(連結)、6,595億円(単体)
従業員数:17,521人
販売店舗:約105,000店舗
主な事業内容:パン、和・洋菓子、調理パン・米飯類の製造・販売、製菓・米菓の販売、ベーカリーの経営、コンビニエンスストア事業


■歴代CM出演タレント
スージー・ポーマン
斉藤慶子
山口智子
中村あずさ
小達敏昭
松たか子:食パン「芳醇」「ロイヤルブレッド」
酒井美紀
榮倉奈々
池田竜治
多部未華子
入山法子
久住小春:ふんわり食パン
剛力彩芽:ランチパック
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