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株式会社タツノコプロの歴史・沿革


■株式会社タツノコプロは、アニメーションの企画・制作および版権管理を主な事業内容とする日本の企業。日本動画協会正会員


■漫画等の原作をもとにしないオリジナルアニメを得意とし、そのため作品にかかわる権利の9割以上を自社単独で保有している


沿革
■1962年(昭和37年) 10月19日、 漫画家の吉田竜夫が、自身のマネージャーを務めていた弟の吉田健二らと共に「株式会社竜の子プロダクション」(現・タツノコプロ)を設立


■竜夫の末弟で漫画家の九里一平(本名: 吉田豊治)も、竜夫と健二に勧められるまま参
加。3兄弟が代表権を持つ取締役に就任し、竜夫が社長、健二が専務、九里が常務となった


■2005年6月末 大手玩具メーカータカラ(現: タカラトミー)が吉田家から株式の88%を取得、タカラ傘下に


■2005年7月1日 吉田健二会長と九里一平社長が退任。吉田洋子、吉田富子ら一族の役員も全員退任し、吉田家がタツノコプロの経営から離れる


■2014年1月29日 日本テレビ放送網がタカラトミーが保有する株式のうち、発行済み株式54.3%を取得し子会社化すると発表。タカラトミーは引き続き株式20%を保持し、提携関係を継続する


概要
■株式会社タツノコプロ
設立:昭和37年10月19日
設立者:吉田竜夫
従業員数:60名(平成25年12月31日現在)
住所:東京都武蔵野市中町1-19-3 武蔵野YSビル2F


■主な事業内容
アニメーション映画等の企画制作、キャラクターの企画、デザイン、制作、映像、キャラクター等の国内外ライセンス


■創業者
吉田竜夫(よしだ・たつお)略歴・経歴(プロフィール)
【1932年~1977年】日本の昭和時代中期から後期の漫画家、アニメ原作者。アニメ製作会社竜の子プロダクション(タツノコプロ)の設立者・初代社長。1932年3月6日、京都府京都市で生まれた。1962年10月、「株式会社竜の子プロダクション」(たつのこプロダクション)として設立。1970年代を中心に、多くの人気作品を世に出した。コーポレート・キャラクターはタツノオトシゴである。1977年9月5日、肝臓がんのため死去。享年45
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津田駒工業株式会社の歴史・沿革


■津田駒工業株式会社は、石川県金沢市に本社を置く繊維機械、工作機械用アタッチメントの専門メーカーである


■国内の織機でトップシェアであり、ジェット・ルーム(高速自動織機)の生産では、世界トップシェアを誇る


沿革
■1909年 金沢市茨木町において故津田駒次郎翁が個人経営のもとに絹・人絹織機の製造を開始


■1937年 インデックス(円テーブル)の開発始まる(工作用機器事業開始)


■1939年 津田駒工業株式会社に改組


■1962年 現社名に変更


■1961年 東京証券取引所、大阪証券取引所各2部上場


■1968年 東京証券取引所、大阪証券取引所各1部上場


■1977年 エアジェットルーム、ウォータジェットルーム生産開始


■1993年 ジェットルーム生産100,000台達成。


■2004年 大阪証券取引所上場廃止


■2006年 ジェットルーム生産200,000台達成


概要
■津田駒工業株式会社
設立:昭和14年12月30日(創業 明治42年3月)
資本金:123億1,654万円(平成25年11月30日現在)
年間売上高:411億7700万円(平成25年度)
従業員:967名(平成25年11月30日現在)
本社:石川県金沢市野町5丁目18番18号


■事業内容
繊維機械、工作機械用アタッチメントの生産


■創業者
津田駒次郎(つだ・こまじろう)略歴・経歴(プロフィール)
【1878年~1945年】明治-昭和時代前期の実業家。津田駒工業株式会社の創業者。明治11年4月4日生まれ。津田米次郎の従兄弟(いとこ)の子。米次郎の力織機製造をたすける。明治42年郷里の金沢に津田駒次郎工場をつくり、絹人絹用力織機を製造。昭和14年津田駒工業を設立し社長となった。昭和20年8月6日死去。68歳
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