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島津製作所の歴史・沿革・概要


■株式会社島津製作所は、京都府京都市中京区に本社を置く、精密機器、計測器、医療機器、航空機器の製造をおこなう企業である


■完全なBtoBビジネスの企業だが、その製品が活躍するのは、自動車から食品メーカーまでありとあらゆる商品開発の現場から、食品の安全や大気汚染などを調べる用途まで様々である


■2002年に、社員の田中耕一がノーベル化学賞を受賞している


沿革
■1875年 初代島津源蔵が京都木屋町二条南で創業、 教育用理化学器械製造を開始


■1877年 日本で初めて有人軽気球の飛揚に成功


■1896年 X線写真の撮影に成功


■1897年 蓄電池の製造を開始


■1909年 日本初の医療用X線装置を完成


■1915年 光学測定器の製造を開始


■1917年 株式会社に改組、蓄電池部を別会社化


■1930年 2代目島津源蔵が、わが国十大発明家の一人として、宮中賜餐にあずかる


■1936年 航空機器の製造を開始


■1961年 世界初の遠隔操作式X線テレビジョン装置を開発


■2002年 田中耕一がノーベル化学賞を受賞、文化勲章を受章


■2013年 京都府立体育館の命名権を取得。「島津アリーナ京都」の呼称が使用される


創業者
■初代・島津源蔵(しまづ・げんぞう)略歴・経歴(プロフィール)
【1839年~1894年】日本の実業家、発明家。島津製作所の創業者。1875年に京都木屋町二条南で島津製作所を創業し教育用理化学器械製造を開始。1877年に日本で初めて有人軽気球の飛揚に成功する。1894年12月8日に脳溢血のため、55歳で死去
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セゾンファクトリーの歴史・沿革・概要


■株式会社セゾンファクトリーは、山形県東置賜郡高畠町に本社を置き、ジャム・ドレッシング・飲料・デザートなどの製造・販売(百貨店・通信販売)を事業とする企業である


■当初はプレハブ一棟からスタートしたが、現在は全国に約30店舗を構える


概要
■株式会社セゾンファクトリー
代表者:齋藤峰彰
設立:1989年4月
社員数:276名
年商:32億900万円(平成25年2月期)
本社所在地:山形県東置賜郡高畠町大字元和田1566


主な取引先
■百貨店
大丸、松坂屋、伊勢丹、三越、高島屋、阪神百貨店、阪急百貨店、東武百貨店、藤崎、井筒屋、鶴屋百貨店、天満屋、福屋、大和、小田急百貨店


■ホテル・結婚式場
帝国ホテル、パークハイアット、ザ・リッツカールトン、ザ・ペニンシェラ東京、グランドハイアット東京、明治記念館、マンダリンオリエンタル東京


沿革
■1989年4月 (株)セゾンファクトリーを山形県東置賜郡高畠町大字福沢27番地1に資本金500万円にて法人設立


■2003年 兵庫県神戸市中央区の大丸神戸店内に「セゾンファクトリー大丸神戸店」開設


■2005年 東京都港区のエキュート品川店内に「セゾンファクトリーエキュート品川店」開設


■2008年 創業社長、齋藤明彦が逝去、共同創業者齋藤峰彰が代表取締役社長に就任


■2015年 東京都武蔵野市吉祥寺のアトレ吉祥寺店内に「セゾンファクトリーアトレ吉祥寺店」開設


■代表者
齋藤峰彰(さいとう・みねあき)略歴・経歴(プロフィール)
日本の実業家。株式会社セゾンファクトリーの創業者。1950年、山形県高畠町に生まれる。大学在学中に実家の醤油蔵が経営難に陥ったことをきっかけに帰郷、家業を手伝う。しかしその後、努力の甲斐なく蔵を閉じることに。借金を返済するため着目したものがジャムの製造。1989年、高級加工食品を専門としたセゾンファクトリーを設立。松坂屋、伊勢丹、大丸と全国に名だたる高級百貨店のデパ地下で、1本4000円のジュースや3000円のジャムが飛ぶように売れ、今や全国に約30店舗を構える
ヒューレット・パッカードの歴史・沿革


■ヒューレット・パッカード社は、主にコンピュータやプリンターなどコンピュータ関連製品の開発・製造・販売・サポートを行うアメリカ合衆国の企業である


■HP(エイチピー)の略称で呼ばれることが多い


■日本法人として日本ヒューレット・パッカード株式会社を持つ


■1939年に、ビル ・ヒューレットとデビッド・パッカードにより米国カリフォルニア州パロアルトで創業された


■当初は計測器メーカーとして創業したが、計測器部門は1999年にアジレント・テクノロジーへ分割され別会社となった


■社名は、どちらの名前を先にするかはコインを投げて決めた。勝ったのはビル・ヒューレット


■カリフォルニア州のパロアルトのアディソン街に二階建ての家を見つけ、パッカードは妻と一階に住んだ。まだ独身だったヒューレットは、裏の小さな建物に住んだ。そこには一台分のガレージもあり、そこが仕事場になった


■1989年 カリフォルニア州は、アディソン通りのガレージを、「シリコンバレー発祥の地」として、カリフォルニア州の史跡に指定した


■ビル・ヒューレット略歴・経歴(プロフィール)
【1913年~2001年】アメリカの実業家。ヒューレット・パッカード社の共同創業者。ウィリアム・ヒューレットともいう。1913年5月20日アメリカのミシガン州アナーバーに生まれ、3歳のときにサンフランシスコへ移住。1930年スタンフォード大学に入学し、デビッド・パッカードと出会う。1939年、スタンフォード大学で電気工学の学位を取得。1939年ビルと共にヒューレット・パッカード社を設立した。享年87


■デビッド・パッカード略歴・経歴(プロフィール)
【1912年~1996年】アメリカの実業家。ヒューレット・パッカード社の共同創業者。1912年9月7日コロラド州プエブロに生まれる。1930年スタンフォード大学に入学し、ビル・ヒューレットと出会う。1939年ビルと共にヒューレット・パッカード社を設立。同社会長、米国防総省副長官、同社名誉会長等を歴任。独特の経営理念「HPウエイ」を実践した経営者として知られる。享年83
レ・クレドールインターナショナルの歴史・沿革


■レ・クレドールインターナショナルは、1929 年 10月 6 日、フランスにて発足されたホテルのコンシェルジュのネットワーク組織である。その目的は、同じ志を持つコンシェルジュ同士、互いに励まし合い、助け合っていこうとする集まりであった


■現在は、44の国と地域、約 3,500 名の会員(2013.4現在)によって構成され、年一度の国際大会のほか、様々な会合を世界各地で開催し、会員同士のネットワーク構築とコンシェルジュのための勉強プログラムを行っている


■レ・クレドール・ジャパン
レ・クレドール・ジャパン は 1990 年にスタートし、アジアの統括国であるシンガポールのもと、レ・クレドールシンガポール日本支部として活動を続けた。1997 年 11月 にその実績が認められ、パリの本部及び世界の先輩国から承認を受け、一つのチャプターとして独立。2011 年 5 月現在、1 名の名誉会員、13 名の国際正会員、8 名の国際準会員、8 社の協力企業からなる組織となり、2 ヶ月に一度の定例会を中心に、一致団結して、ホテルコンシェルジュ全体のサービス向上に努力している


■阿部佳(あべ・けい)はレ・クレドールに日本唯一の現役名誉会員に選出されている


■阿部佳(あべ・けい)略歴・経歴(プロフィール)
日本の コンシェルジュ。世界の一流コンシェルジュで構成される組織「レ・クレドール」に日本唯一の現役名誉会員にも選出されている。1959年、東京都で生まれる。慶應義塾大学卒業後、『株式会社パルコ』勤務を経て、財団法人で幼児教育の開発や研究に携わる。1992年より『ヨコハマ グランド インターコンチネンタル ホテル』で、コンシェルジュとして勤務。2002年に『グランド ハイアット 東京』チーフコンシェルジュに就任
株式会社スリーボンドの歴史・沿革


■株式会社スリーボンドは、東京都八王子市狭間町に本社を置く、工業用接着剤などのケミカル商品を開発製造する企業である


■1955年に鵜久森(うくもり)税が東京都江東区で「東京スリーボンド」を創業


■創業から数年間は、自動車エンジン用液状ガスケットの製造が中心であったが、やがて工業用接着剤の製造に移行する


■現在の製品は多岐にわたり、接着剤、シール剤、ロック剤、防錆潤滑油など工業用化学商品を手がけている。放熱シリコン接着剤も製造している


■工業用接着剤の製造販売で国内大手にまで成長している


■海外約20ヵ国に拠点があり、2013年度のグループ売上は約669億円


■神奈川県相模原市に、東京本社、岡山県、埼玉県に分散していた研究開発拠点を集約した研究所を建設


■2012年6月より稼働


■敷地は主力工場の一つであるスリーボンド高分子敷地内の約2万6000平方メートルに立地している


■硬式野球部
1960年代から80年代にかけて、硬式野球部があり、都市対抗野球にも出場したが、その後休部した。出身者にはのちに日本ハムファイターズに入団した沖泰司、横浜大洋ホエールズに入団した清水義之らがいる


■株式会社スリーボンドホールディングス
・グループ会社の経営管理・指導、共通業務の集約などを担うスリーボンドグループの持株会社


■株式会社スリーボンド
・日本国内のマーケットや、海外事業所と連携しながら、グローバル展開している企業への啓蒙活動を担う事業会社


■スリーボンドファインケミカル株式会社
・商品開発から製造・出荷・検査・品質保証まで、ものづくりと商品供給を担う事業会社
トランスアジア航空の歴史・沿革


■トランスアジア航空は、台湾の航空会社である


■新たな時代を切り開き、世界市場へと羽ばたくために、国内線・国際線はもちろん、両岸直行便やチャーター便なども運航


■台湾とアジア各地のほか、世界各地をも結び、正真正銘のグローバルな視野をもつ航空会社


沿革
■1951年、台湾初の民間航空会社として台北市に設立


■1958年、ハイジャックが原因と考えられた航空機事故が発生したことから運航を停止。このため業態を国際線の代理業務やケータリングに転換する


■1983年、台湾の国産実業グループに傘下入りする


■1988年、30年ぶりに自社便での国内線の運航を再開


■2012年6月28日 初の日本路線となる、台北/桃園 - 大阪/関西線が1日1便で就航した
雅叙苑観光の歴史・沿革


■5代前の先祖が約180年前に田んぼの横で湧いている温泉を発見し、それが神経痛などに効くということで湯治場を始めた


■創始者・田島十郎次が約130年前に湯冶場として開業


■1970年、田島健夫が25歳の時に「雅叙苑」を創業


■1980年 創業時に建てた木造2階建ての建物(5部屋)を壊し、そこに新たに霧島から移築した瓦葺きの家屋を2軒移築し、それをつなげて4部屋造った


■それが現在の天降川沿いにある「そら」「くさ」「ひかり」「みず」の4部屋


■1993年 「天空の森」開発スタート


■2001年 TBSの「日本温泉旅館大賞」で、「忘れの里 雅叙苑」が全国1位に選ばれる


■2003年 「天空の森」の「野遊び」ヴィラは、「花散る里」、「茜さす丘」、「奥茜」(現在の宿泊用ヴィラ「霖雨の森」)、「天空」の4棟構成となる


■妙見温泉/忘れの里 雅叙苑
・忘れの里雅叙苑は、本州の最南端、鹿児島県の妙見温泉にあり、全10室の小さな宿
・所在地は鹿児島県霧島市牧園町宿窪田


■雅叙苑観光社長
田島健夫(たじま・たてお)略歴・経歴(プロフィール)
雅叙苑観光社長。1945年7月に鹿児島県で生まれる。鹿児島市内の金融機関に就職。1970年、25歳の時に「雅叙苑」を創業。もともとは、1泊3食付で3500円という作業員向けの激安宿を経営していたが、創意工夫により1泊20万円の宿を経営。海外セレブが注目する『自然と地域性に、こだわった高級旅館』に変えた
アップル社の歴史・沿革


■アメリカのカリフォルニア州クパティーノに本社を置く、インターネット・デジタル家電製品および同製品に関連するソフトウェア製品を開発・販売する多国籍企業である


■一般的にアップル(Apple)と呼称される


■設立:1976年


■創設者
・スティーブ・ジョブズ
・スティーブ・ウォズニアック
・ロナルド・ウェイン


■本社所在地:アメリカ合衆国カリフォルニア州クパティーノ


■株式公開:1980年


■製造・組立国
アメリカ合衆国、中国、チェコ共和国、ドイツ、アイルランド、イスラエル、日本、韓国、マレーシア、オランダ、フィリピン、台湾、タイ、シンガポール


■創業者
スティーブ・ジョブズ略歴
【1955年~2011年】アップル創業者。1955年2月24日生まれ。リード大学に進学するものの半年で中退。1975年、ウォズと共にApple Iを開発。1976年、Apple Iを販売。その利益で、ジョブズ・ウォズ・マークラで「アップルコンピュータ」を設立。1980年、アップルコンピュータの株式を公開(IPO)。1985年、アップルを辞任、新しい会社NeXTを立ち上げる。1997年、アップルCEOに暫定で復帰。1998年、iMacを発売。2000年、正式にアップルのCEOに就任する。2001年、iTunes、iPod、Mac OS Xを発売。2007年、iPhoneを発売。2010年、iPadを発売。2011年10月5日死去。56歳で没


■スティーブ・ジョブズ語録

「私たちアップルの第一の目標は世界一のパソコンをつくることだ。最も大きな企業になることでも、最も金持ちの企業になることでもない」

「ハングリーにいけ。必要なのは頂点を目指すことに情熱を燃やせる人間だけだ」
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