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品川工業所の歴史・沿革


■株式会社品川工業所は、奈良県磯城郡田原本町に本社を置く、機械製造会社である


■自動たまご焼き機をはじめとする製菓用機械・食品加工用機械を中心に、理化学用混合攪拌機・造粒機などの設計・開発・製造・販売までを手がける


■元々は餅つき機の開発・製造会社として1910年に創業。初代社長は品川常市


■1956年12月、株式会社に改組、品川玄太郎が代表取締役に就任。餅つき機の販売で業績を伸ばしたが、昭和40年代になると、洋菓子の普及によって和菓子の需要が減退、業績も伸び悩んだ


■このため、新しい市場として、スーパーマーケットなどの普及で広がりはじめた惣菜用の製造設備に着目し、自動卵焼きの開発にとりかかった


沿革
■明治43年9月 品川常市が品川工業所を創立


■昭和 3年 全国菓子大博覧会に於て 一等賞金牌受賞


■昭和6 年 全国菓子大博覧会に於て 一等賞金牌受賞


■昭和10 年 全国菓子大博覧会に於て 一等賞金牌受賞


■昭和28年9月 第一回全国菓子工芸展に於て 厚生大臣賞受賞


■昭和31年12月 株式会社に改組、品川玄太郎代表取締役に就任


■昭和52年11月 代表取締役社長 財津永三就任


■昭和59年9月 代表取締役社長 品川士郎就任


■平成9年11月 品川ツインサーボミキサー開発


■平成22年11月「なら発オンリーワン製品技術企業」に認定


■平成23年11月「2011年度NBK大賞 奈良ブロック賞」受賞
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ジャーマンウィングス社の歴史・沿革


■ジャーマンウィングス社は、ドイツ航空大手ルフトハンザ系の格安航空会社(LCC)である


■1997年にユーロウィングスの社名で創業された


■2002年にジャーマンウィングスに改名し、価格の安さを売りに事業を拡大させる


■ドイツで人気の航空会社に成長した


■ルフトハンザドイツ航空は、ドイツのケルンに本拠を置くドイツ最大の国際航空会社である


■ドイツのいわゆる「フラッグ・キャリア」とされているが、現在はドイツ国外の航空会社も多数傘下に置いている


■2004年8月時点で世界89カ国327都市に就航、旅客数はエールフランス‐KLMに次ぐ欧州第2位、世界でも十指に数えられる


■綿密な機体整備は高く評価されている。ニューズウィーク誌の「最も安全な航空会社ランキング」の第1位に選出されている


■同社中古機の人気は高く、1980年代のピープルエキスプレスなど、ルフトハンザの中古機材を用いて就航している格安航空会社も多い
トプカプ宮殿の歴史・概要


■トプカプ宮殿は、15世紀中頃から19世紀中頃までオスマン帝国の君主が居住した宮殿である


■イスタンブル旧市街のある半島の先端部分、三方をボスポラス海峡とマルマラ海、金角湾に囲まれた丘に位置する


■トプカプ宮殿は、大きな建物を持たず比較的小さな建物と部屋が連なる


■トルコ人の中央アジアの遊牧民的な伝統に基づいた宮殿である


■トルコ共和国は、1924年にトプカプ宮殿を博物館とし、修復して一般の人々の見学に開放している


■メフメト2世が、1460年代頃造営を開始し、1478年頃までに完成した


■メフメト2世略歴
【1432年~1481年】オスマン帝国の第7代スルタン。コンスタンティノープル(イスタンブル)を攻略してビザンツ帝国(東ローマ帝国)を滅ぼし、オスマン帝国の版図を大幅に広げる。30年以上に渡る征服事業から、「征服者(ファーティフ Fatih)」と呼ばれた
聖マルコの鐘楼の歴史・沿革


■聖(サン)マルコの鐘楼(しょうろう)はヴェネツィアのサン・マルコ広場にある鐘楼のこと


■ヴェネツィアにある観光名所の中でも特に有名であり街のシンボルとされている


■高さは98.6mあり、サン・マルコ寺院の前の角に単独で建っている


■最初に鐘楼が建てられたのは9世紀のことであり、当時のヴェネツィア共和国総督のピエトロ・トリブーノが現在のサン・マルコ広場の位置にあったドックの見張り台として建設しようとしたものであった


■建設は12世紀のドメニコ・モロシーニ総督時代に完了し下部はドゥカーレ宮殿の警護兵のための兵舎の一部としても使用された


■鐘楼は1514年に現在の形で完成している


■16世紀、ヴェネツィアでもっとも高いこの塔は、鐘楼と呼ばれるだけに、一日に幾度となく鐘を鳴らしては、市民たちの時計の役目を果たした


■サン・マルコ寺院付属の鐘楼でもあり、ヴェネツィアで最も重要な教会で行事が行われると、そのたびに鐘が鳴らされた


■船着き場の近くにそびえ立っていることもあって、艦隊の出港や帰港に、戦勝を願い祝う鐘の音がまっ先に鳴るのも、この鐘楼の上からだった


■さらに、夜ともなれば松明が焚かれ、鐘楼と呼ばれていても、灯台の役目も果たした


■鐘楼は1902年に崩壊したため、現在サン・マルコ広場に建っているのは1912年に再建されたものである
大阪桐蔭学校の歴史・沿革


■大阪桐蔭中学校・高等学校は、大阪府大東市にある男女共学の私立校である


■中学からの中高一貫コースと高校からのコースがある


■設置者は学校法人大阪産業大学である


■所在地:大阪府大東市中垣内3丁目1番1号


沿革
■高校生急増期の生徒受け入れを目的として、大阪産業大学高等学校(現・大阪産業大学附属中学校・高等学校)の分校として1983年(昭和58年)に大阪産業大学高等学校大東校舎が設置されたことに始まる


■その後1988年に大阪産業大学高等学校から独立した


■1988年に野球部を創部


■1991年には春のセンバツ大会、夏の選手権大会ともに甲子園初出場を果たした


■1995年に大阪桐蔭中学校を併設


■2013年 桐蔭アリーナ竣工。創立30周年記念式典開催。大阪桐蔭中学校高等学校校長に寺川国仁就任


■2014年 夏の選手権大会では決勝スコア4-3で三重高校に勝利し春夏通算5度目の全国制覇を成し遂げた


■寺川国仁学長のメッセージ
「私が生徒たちによく伝えているのは、「自分の個性を育むことと、他者を理解することの大切さ」です。とくに国際社会で活躍するためには、自分の意見を積極的に発信することが求められます。また自分とは違う価値観の人、異なる文化を受け入れる度量の広さも持ってほしいと願っています」
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