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小江戸の歴史


■小江戸(こえど)とは「江戸のように栄えた町」「江戸時代を感じさせる町」といった意味合いで使われる、都市の比喩的な表現。代表例としては、埼玉県川越市が挙げられる


■江戸時代には親藩・譜代の川越藩の城下町として栄えた都市で、「小江戸」(こえど)の別名を持つ


■現代的定義としてはおおむね、「江戸との関わりの深い町」「江戸の風情を残す古い町並みを残している町」である。古い町並みがいまなお残っている部分については、観光地となっているところもある。「江戸のように栄えている」という意味で使われた


■川越城を擁する川越藩は江戸幕府の北の守りであり、武蔵国一の大藩としての格式を誇り、酒井忠勝・堀田正盛・松平信綱・柳沢吉保など大老・老中クラスの重臣や御家門の越前松平家が配された。そのため、江戸時代から商工業や学問の盛んな城下町であった
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函館山の歴史


■函館山(はこだてやま)は、北海道函館市の市街地西端にある山であり、陸繋島(りくけいとう)でもある

■陸繋島(りくけいとう)とは砂州によって大陸や大きな島と陸続きになった島のこと

■約100万年前の海底火山の噴出物が土台になり、その後の噴火による隆起・沈下を繰り返して大きな島として出現

■海流や風雨で削られて孤島になり、流出した土砂が堆積して砂州ができ、約5000年前に渡島半島と陸続きの陸繋島になった

■函館市の中心街はこの砂州の上にある

■要塞地帯法(明治32年法律第105号)により、函館山では1898年から要塞建設が始まり、1905年までに山全体に砲台や発電所、観測所など17の施設が建設された(津軽要塞)

■1945年の第二次世界大戦終結で要塞としての存在意義を失った函館山一帯の国有地は、所管する大蔵省(現在の財務省)から函館市へ無償で貸し付けられた

■2001年、「函館山と砲台跡」として北海道遺産に選定された。最近は中国からの観光客が多い

■函館市長
工藤 寿樹(くどう としき)略歴・経歴(プロフィール)
日本の政治家。北海道函館市長。1949年11月26日、北海道乙部町で生まれる。函館ラ・サール高等学校、早稲田大学法学部卒業。亀田市役所に就職。亀田市は函館市に編入される。函館市秘書課長、財務部次長、財務部長、企画部長を歴任。2011年4月24日に行われた函館市長選挙に無所属で出馬。現職の西尾正範函館市長を破り、初当選を果たした
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