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軽井沢の歴史


■軽井沢(かるいざわ)は、長野県佐久地方にある地名である。一般的に長野県北佐久郡軽井沢町旧軽井沢地区や軽井沢町全体を指す


■江戸時代には、五街道のひとつ中山道が通る宿場町であり、中山道の難所のひとつとして知られる碓氷峠の西側の宿場町として栄えていた


■江戸時代が終わり明治時代に入ると、一旦は宿場町としての機能を失って没落する


■1888年(明治21年)、カナダ出身の聖公会の宣教師、アレクサンダー・クロフト・ショーは「つるや」(現在のつるや旅館)の主人の佐藤仲右衛門のあっせんによって大塚山に別荘を設け、避暑地としての軽井沢の歴史を切り開いた


■別荘第1号は、民家を移転し、改造したものである。後に移築され、ショーハウス記念館としてショー記念礼拝堂の裏に現存する


■信越本線の長野方面が開通して軽井沢駅が設けられた。さらに1893年(明治26年)には碓氷峠を越える区間も開通し、東京と直結した


■1918年(大正7年)には、堤康次郎による西武資本が、沓掛区有地坂下ほか山林60万坪を3万6千円(1坪5銭)で買収し、開発に参入した


■この沓掛区の別荘開発が西武王国発展の基礎となる


■1945年(昭和20年)には東急資本も開発に参入し、その後は東京後背地のリゾート地として発展した


■野沢源次郎(軽井沢を開発した中心的人物)
・パリのような西洋的な街を目指した


略歴・経歴(プロフィール)
■アレクサンダー・クロフト・ショー
【1846年~1902年】カナダ出身の聖公会の宣教師。1876年に芝に聖アンデレ教会を設立する。また、1879年には、聖アンデレ教会の敷地内に聖教社神学校を設立して、日本人の教職者の育成に力を注いだ。今井寿道(後の校長)はその門下生である。1885年頃リウマチを患っていたショーはたまたま訪れた長野県軽井沢に魅了され、生涯の避暑地にする。軽井沢にも教会を設立する(軽井沢ショー記念礼拝堂)。これ以降軽井沢が外国人の間で有名になる


経歴(プロフィール)略歴
■堤康次郎(つつみ・やすじろう)
【1889年~1964年】西武グループ創業者。滋賀県愛知郡(えちぐん)八木荘(やぎしょう)村生まれ。早稲田大学政経学部卒。各種の事業を始めて失敗したのち、大正7年軽井沢開発に着手。大正9年箱根土地㈱設立。昭和3年多摩湖鉄道創立。昭和20年西武鉄道設立。昭和27年衆議院議員。昭和28年衆議院議員議長。75歳で没。著書に「私の履歴書」(日本経済新聞連載、昭和31年7月)他
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人肉食の歴史


■カニバリズムは、人間が人間の肉を食べる行動、あるいは宗教儀礼としてのそのような習慣をいう

■食人、食人俗、人肉嗜食、アントロポファジーともいう

■なお、文化人類学における「食人俗」は、社会的制度的に認められた慣習や風習を指し、一時的飢餓状態下の緊急避難的な場合や精神異常による食人を含まない

■語源はスペイン語の「Canibal(カニバル)」に由来する。「Canib-」はカリブ族のことを指しており、16世紀頃のスペイン人航海士達の間では、西インド諸島に住むカリブ族が人肉を食べると信じられていた

■小室直樹の評するところによれば、中国では古代から近世にかけて食人の習慣が非常に盛んであったとされる

■中国が他文化の食人と比べ特徴的なのは、食人が精神異常行為、宗教的行為、緊急避難行為などではなく、恒常的な食文化として根づいていたとされる

■膨大な文献が中国における日常的な食人行為を伝えているが、中国人の道徳規範である儒教と道教は、食人についてまったく触れておらず、これは食人が中国文化において認容されていることを示している


略歴・経歴(プロフィール)
■小室直樹(こむろ・なおき)
【1932年~2010年】日本の経済学者、法学者、法社会学者、評論家。東京都世田谷区生まれ。京都大学理学部数学科卒。研究分野は法学、社会学、法社会学、政治学。論文・著書・『ソビエト帝国の崩壊 瀕死のクマが世界であがく』『アメリカの逆襲 宿命の対決に日本は勝てるか』『アメリカの標的 日本はレーガンに狙われている』『資本主義中国の挑戦 孔子と近代経済学の大ゲンカ』『韓国の悲劇 誰も書かなかった真実』『国民のための経済原論 Ⅰ・Ⅱ』など多数
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