佐藤工業の歴史・沿革


■佐藤工業株式会社(さとうこうぎょう)は、日本の総合建設会社(ゼネコン)である

■北陸発祥の土木の名門ゼネコンで、ピーク時には準大手規模の7000億前後の売上高を誇り、全日本空輸とともに横浜フリューゲルスに共同出資する親会社であった

■土木工事には高い技術力と実績を有し、青函トンネル、黒部ダム、東京湾アクアライン、本州四国連絡橋などの大型国家プロジェクトに数多く携わってきた

■特にトンネル工事に関しては業界トップクラスであり、「トンネルの佐藤」と呼ばれている

■1862年 佐藤助九郎(初代)が越中国柳瀬村(現・砺波市)に於いて「佐藤組」を創業

■1956年 日本初の高級分譲集合住宅、四谷コーポラス竣工

■1959年 黒部ルート冬営工事において日進25.1mのトンネル掘削の日本記録を樹立

■1962年 株式を、東京・大阪・名古屋第1部に上場

■1992年 わが国初の回転式開閉ドーム、「ボールドーム」完成

■1997年 世界初の芝育成のための地温制御システム「ソルコン」を横浜国際総合競技場(現・日産スタジアム)に導入

■2002年3月3日 会社更生法の適用を申請し経営破綻

■2003年3月6日 川田工業・若築建設を支援企業として更生計画案を提出。3月31日、更生計画認可される

■2004年 世界最長の陸上トンネル・八甲田トンネル(市ノ渡工区)が貫通

■2009年9月30日、会社更生手続終結


略歴・経歴(プロフィール)
■佐藤助九郎(さとう・すけくろう)
【1847年~1904年】日本の実業家。総合建設会社(ゼネコン)の佐藤工業株式会社創業者。1500年代の佐藤家の祖佐藤助左衛門から数えて9代目佐藤助九郎の子で、富山県砺波郡柳瀬(現・砺波市)で生まれた
東洋佐々木ガラスの歴史・沿革


■東洋佐々木ガラスは総合容器メーカー東洋製罐グループの一員である

■事業内容:ガラス製ハウスウエア製品の製造販売

■本社所在地:東京都中央区日本橋馬喰町2-1-3

■明治21年 創業の東洋ガラスと、明治35年 創業の佐々木硝子が平成14年(2002年)に経営統合して誕生した

■明治11年 東洋ガラスの創始者、島田孫市は明治政府がガラスの国産興業の礎として築いた品川工作分局に入局する。英国人技師J.スピートより最新の舶来吹きのガラス食器生産の指導を受け、後に全国へ広めることに努力。島田は生産技能だけでなく、当時秘伝の原料の調合法も学び、基礎知識を培った

■明治21年 大阪川崎村で島田硝子製造所を創業。舶来吹きの技術を生かした食器やランプを生産。品質が大変優れ、業績を伸ばした

■明治35年 佐々木硝子の創始者、佐々木宗次郎が東京神田に佐々木宗次郎商店を創業。日本のガラス工業はランプの国産化で始まり、佐々木宗次郎商店も営業の主流を石油ランプとし、翌年には早くもハワイ・中国・東南アジア諸国へランプを輸出。国内でも販路を拡張して全国的な卸問屋となった

■平成14年 「東洋ガラス株式会社 ハウスウエア部門」と「佐々木硝子株式会社」は統合。「東洋佐々木ガラス株式会社」となる

■平成20年 世界初の強化クリスタル「ファインクリスタル・イオンストロング」を開発、発売を開始する



略歴・経歴プロフィール)
■島田孫市(しまだ・まごいち)
【1862年~1927年】明治、大正時代の実業家。大分県の豊前中津出身。明治9年工部省が設立した硝子(ガラス)工場にはいる。21年大阪で独立し、色ガラス製出、透明ガラスの焼き付けなどに成功し業績をのばす。39年岩崎俊弥と大阪島田硝子製造を設立。41年岩崎とわかれ、大正14年島田硝子製造所を創立した
壱岐島の歴史


■壱岐島(いきしま)は、九州北方の玄界灘にある南北17km・東西14kmの島である。九州と対馬の中間に位置する

■現在は長崎県壱岐市の1市体制で、長崎県では島内に壱岐振興局(旧・壱岐支庁、壱岐地方局)を置いている。また、全域が壱岐対馬国定公園に指定されている

■壱岐島は農業・漁業といった第一次産業が中心である。戦後に葉タバコの栽培と肉用牛の生産が盛んになった

■特産品としては焼酎が有名である。麦焼酎発祥の地で、世界貿易機関から壱岐焼酎として保護産地指定を受けている。肉用牛も壱岐牛として特産品化している。また海産物の特産品も多い

■島の大部分は玄武岩に覆われた溶岩台地で、高低差が小さい

■対馬とともに、古くから朝鮮半島と九州を結ぶ海上交通の中継点となっている。なお、15世紀の朝鮮王朝との通交を記述した「海東諸国紀」(ヘドンチェグッキ)のなかにも壱岐島・対馬島についての記事がみられる

■1871年(明治4年)廃藩置県の際には平戸県に属し、その年には再編により長崎県の一部となった

■島内にあった2つの郡は1896年の郡区町村編制法で統合され、壱岐郡1郡となった

■自治体としては、1889年(明治22年)の町村制度施行当初は壱岐郡に7村、石田郡に5村の計12村が発足したが、町制施行や合併を繰り返し、昭和の大合併を経て1970年(昭和45年)までに郷ノ浦町・勝本町・芦辺町・石田町の4町に再編された

■2004年3月1日、平成の大合併によりこれら4町が合併し市制施行、壱岐市が誕生した

■壱岐島出身の人物
・松永安左ェ門(実業家、電力の鬼)

略歴・経歴(プロフィール)
■松永安左ェ門(まつなが・やすざえもん)
【1875年~1971年】電力中央研究所所長。長崎県壱岐郡生まれ。慶応義塾中退。日本銀行員、石炭商等を経て明治42年に福博電気軌道の設立に加わり、電気事業経営に関係。その後、九州電燈鉄道(現・九州電力)、旧東邦電力の経営に参画。戦後、電気事業再編成審議会会長に就任、国営電力会社を分割し、民営による九電力体制を築きあげた。トインビー「歴史の研究」の翻訳も手掛けた。95歳で没
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