東海旅客鉄道の歴史・沿革


■東海旅客鉄道株式会社(とうかいりょかくてつどう)は、1987年に日本国有鉄道新幹線総局・静岡局・名古屋局から鉄道事業を引き継いだ旅客鉄道会社の一つである

■通称はJR東海(ジェイアールとうかい)

■東海道新幹線を軸として東海・甲信・近畿地方および神奈川県の一部に路線を持つ

■本社:愛知県名古屋市中村区名駅一丁目1番4号 JRセントラルタワーズ

■設立年月日:昭和62(1987)年4月1日


■昭和62年(1987年)4月1日
国鉄が分割民営化され、東海旅客鉄道株式会社発足


■昭和 63(1988)年3月
東海道新幹線に3駅(新富士、掛川、三河安城)開業


平成 11(1999)年3月
■東海道新幹線「のぞみ」に700系車両を投入


■平成 18(2006)年3月
東海道新幹線に新ATC(自動列車制御装置)システムを導入


■平成 25(2013)年2月
東海道新幹線「のぞみ」にN700A新型車両を投入
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ディ・エー・アイの歴史・沿革


■株式会社ディ・エー・アイは「うま屋ラーメン」の経営、フランチャイズチェーン店の加盟募集及び加盟店の指導業務を行っている

■代表取締役:大喜多洋幸

■所在地:愛知県春日井市下条町1148

■設立年月日:1998年10月1日

■年商:14億円 (平成24年11月)

■グループ年商:30億円(平成24年11月)

■事業内容
・『うま屋ラーメン』の経営
・フランチャイズチェーン店の加盟募集及び加盟店の指導業務
・総合リース業
・損害保険代理店業


■平成10年10月1日:愛知県春日井市に春日井本店オープン


■平成11年11月15日: 愛知県春日井市鳥居松町に事業本部設立


■平成15年10月16日: 愛知県小牧市に小牧店(FC店)オープン


■平成16年7月22日:岐阜県多治見市に多治見店(FC店)オープン


■平成24年2月17日:豚旨(とんこく)うま屋ラーメンに、商標登録


■平成27年6月19日:愛知県豊田市に豊田元宮店オープン
ハイデイ日高の歴史・沿革


■株式会社ハイデイ日高(ハイデイひだか)は、埼玉県さいたま市大宮区に本社を置く外食企業である


■低価格ラーメンチェーンの「日高屋」が主力事業である。全店舗で使用する食材を、機械化され少人数の社員で稼動する行田工場のセントラルキッチンで一元的に製造し、低価格を実現している


■また、メニューも、低価格なだけではなく、飽きの来ないシンプルでスタンダードなものにし、老若男女さまざまな客層が繰り返し来店するようにしている


■創業者:神田正


■設立年月日:昭和53年3月22日


■5坪のラーメン屋から首都圏を中心に約320店舗の一大チェーンへと成長させた


■昭和48年 2月
創業者、神田正によって中華料理「来々軒」をさいたま市大宮区宮町に創業


■昭和50年 3月
「来来軒」大宮南銀座店を開店


■昭和55年 5月
本社をさいたま市大宮区吉敷町に移転


■昭和58年10月
「来来軒」大宮西口店を開店


■平成11年 9月
日本証券業協会に店頭登


■平成14年12月
「日高屋六本木店」を開店。これをもって総店舗数100店舗達成


■平成17年 4月
東京証券取引所市場第2部に上場


■平成18年8月
東京証券取引所市場第1部に指定


■平成24年 2月
FC3店舗を含め、株式公開時の目標であった店舗数300店舗を達成
竹中工務店の歴史・沿革


■株式会社竹中工務店(たけなかこうむてん)は、大阪市中央区本町に本社を置く大手総合建設会社である


■スーパーゼネコン5社(鹿島建設、清水建設、大成建設、竹中工務店、大林組)の一つである


■同じく大阪に本社を置く、鴻池組、奥村組、錢高組と並ぶ在阪ゼネコンの一社でもある


■「工務店」という言葉を作り、社名としたのは同社が初めてである。「設計と施工は切り離せない」の考えから「工務」を掲げ、お客様ありきの仕事であるという考えから「店」を用いている


■創業:1610年(慶長15年)


■設立:1909年(明治42年)5月16日


■江戸時代前期の1610年に、織田信長の元家臣であった初代竹中藤兵衛正高が尾張国名古屋にて創業


■神社仏閣の造営に携わる


■やがて明治時代の到来により、ヨーロッパ型の建築技術を導入すると、当時開港し、都市化し始めた神戸へ進出。数々の建築物を施工し、その名を知られるようになる


■名古屋鎮台、三井銀行名古屋支店、三井名古屋製糸所などを施工する


■1909年(明治42年)
合名会社竹中工務店設立。神戸を本店に名古屋を支店とする


■1934年(昭和9年)
明治生命館(東京丸の内)竣工


■1937年(昭和12年)
株式会社竹中工務店を設立


■1938年(昭和13年)
合名会社竹中工務店を株式会社竹中工務店に吸収合併


■1988年(昭和63年)
わが国初の空気膜構造による多目的スタジアム・東京ドーム竣工


■1993年(平成5年)
わが国初の屋根開閉式多目的スタジアム・福岡ドーム竣工


■2013年(平成25年)
竹中工務店は1610年に創業以来、403年目にして宮下正裕が社長に就任することで創業家以外から初めてサラリーマン社長が誕生した
さんらく苑の歴史・沿革


■特別養護老人ホームさんらく苑は、地域社会において加齢や疾病の後遺症等により、日常生活での自立が困難な方にその年齢及び心身の状況に応じた適切な介護サービスを提供しているとされる


■所在地:大阪市住吉区苅田5


■開所年:2001年に開所


■理事長:不明


■経営理念
「介護施設の運営者と入所者及びその依頼者の三者が協同し、心身共に安らかで楽しい生活が送れるホーム創りを目指します」


■法人がかかげる運営理念を実現するために、特別養護老人ホームさんらく苑では3つの目標に取り組んでいる

①介護の依頼者である地域・社会に貢献すること
②入所者の方が生きがいを得られるサービスを提供すること
③運営者である職員にとって働きがいのある職場であること


■運営会社:社会福祉法人正武福祉会


■所在地:大阪市住吉区苅田5丁目16-10


■代表者:不明


■社会福祉法人正武福祉会は介護保険制度が施行された平成12年に大阪市より設立認可を受け、特別養護老人ホームさんらく苑(介護老人福祉施設)は平成13年4月1日に開所した
加島屋の歴史


■加島屋は、鴻池(こうのいけ)屋と並び、江戸時代に経済の中心であった大坂を代表する大商人であった


■寛永の頃から大坂御堂前で米問屋を始め、両替商も兼営した。のちに「十人両替」に任命された。諸藩の蔵元・掛屋になり、大名貸で鴻池家と並び称された


■加島屋の初代となる広岡久右衛門正教(まさのり)は、1625(寛永2)年に大坂・御堂前(みどうまえ)に移り住んだとされ、最初に正教が手掛けたのは、精米業であった


■2代目当主・正保(まさやす)と3代目当主・正道(まさみち)の頃に御堂前から玉水町(現在の大同生命大阪本社ビル一帯)に店舗を移す


■4代目当主・正喜(まさのぶ)は堂島米会所設立の翌年、1731年、同会所の「米年寄(こめどしより)に任命される。これは会所の総責任者ともいうべき役職であり、市場の秩序の維持、仲買人や彼らの株札の管理などにあたった


■この正喜(まさのぶ)の時代に加島屋は天下の豪商となり、明治維新まで大坂経済の中心的役割を担った


■明治になり、名だたる豪商が潰れるなか、加島屋は、維新の勝者である長州藩のメインバンクを江戸時代から務めており、新政府の成立と同時に、金穀出納掛(きんこくすいとうがかり)という官職にも就くことができたため、この混乱を乗り越える


■加島銀行、大同生命を設立して、加島屋9代目当主・広岡久右衛門正秋が加島銀行初代頭取、大同生命初代社長に就任した


■加島銀行は昭和恐慌により廃業したが、大同生命は現在も存在しており加島屋が残した遺産企業といえる
ジーンズメイトの歴史・沿革


■株式会社ジーンズメイトは、ジーンズを中心に販売する衣料品チェーン店を展開する企業である


■設立年月:昭和35年10月


■本社所在地:東京都渋谷区元代々木町30-13 1F


■創業者:西脇義信


■経営理念
・価値ある商品を
・誰でも明確に理解できる安さで品揃えをし
・買い物しやすい場所で
・いつでも気軽に
・楽しく
・安心して買える
・地域一番店を目指し
広く社会に役立つことを企業の使命とし、社業の発展に取組んでおります


■昭和35年10月
衣料品製造卸売業として「株式会社西脇被服本店」を岡山県児島市(現岡山県倉敷市)に設立


■昭和42年7月
商号を「株式会社西脇」に変更


■昭和43年4月
東京都中央区日本橋蛎殻町に東京店を開設、卸売業専業となる


■昭和62年5月
小売部門を分離するため旧「株式会社ジーンズメイト」を設立


■平成3年2月
旧「株式会社ジーンズメイト」と合併し、商号を「株式会社ジーンズメイト」に変更


■平成7年7月
日本証券業協会に株式を店頭登録


■平成11年1月
東京証券取引所市場第二部に上場


■平成12年2月
東京証券取引所市場第一部に上場


■平成
24年3月
プライベートブランド「Blue Standard(ブルースタンダード)」立ち上げ
リソー教育の歴史・沿革


■株式会社リソー教育は、首都圏を中心に事業展開をしている学習塾トーマスなどを運営する企業である


■設立年月日:昭和60年7月6日


■本社所在地:東京都豊島区目白三丁目1番40号


■昭和60年7月に、「1クラス6名を限度として100%正社員講師による責任ある指導体制」を目指し、東京都新宿区に設立された「株式会社日本教育公社(にほんきょういくこうしゃ)」が前身である


■平成10年10月「株式会社リソー教育」に商号変更


■平成10年12月 日本証券業協会に、株式を店頭登録


■平成12年 3月「東京マンツーマンスクール」の愛称「トーマス」を正式名称とする


■平成13年 3月 東京証券取引所第二部に上場


■平成14年 1月 本社を東京都豊島区目白3丁目1番40号へ移転


■平成14年 6月 東京証券取引所第一部に上場


■創業者の略歴・経歴(プロフィール)
岩佐実次(いわさ・みつぐ)
日本の経営者。株式会社リソー教育創業者。昭和24年5月14日生まれ。滋賀県出身。1976年(昭和51年)早大一文卒業。1985年日本教育公社(現リソー教育)を設立し、社長に就任。2001年会長兼社長、2008年会長
博多の歴史・誕生


■博多(はかた)は、九州北部筑前国、現在の福岡県福岡市の地域である


■博多湾に面する港町・港湾都市で、博多津などとも呼ばれた。古代からの歴史を持ち、中世には、大商人達による合議制で治められた日本史上初の自治都市として栄えた


■江戸時代に黒田氏が入国し那珂川を挟んで城下町福岡を築き、二極都市の性格を持った


■明治時代には博多・福岡をまとめて1つの市・福岡市として市制施行されて現在に至り、博多の地名は博多区として残る


■明治時代に行政上から消失した博多の地名は、福岡市が政令市に昇格した1972年4月1日に「博多区」としてその名称を復活させた


■現在「博多」と「福岡」は、特に九州外において同じ地域を指す地名として認識されることが多く、福岡市やその郊外のことを「博多」と呼び変えることも少なくない



■黒田長政(くろだ・ながまさ)経歴(プロフィール)
【1568年~1623年】安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。筑前福岡藩初代藩主。軍師黒田孝高(官兵衛・如水)の長男。幼名は松寿丸。関ヶ原の戦いで大きな戦功を挙げたことから、家康から筑前名島に52万3000石を与えられ、福岡藩初代藩主になった


■黒田孝高(くろだ・よしたか)経歴(プロフィール)
【1546年~1604年】戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。豊臣秀吉の側近として仕え、調略や他大名との交渉などに活躍した。清濁併せ飲む智将として知られている。一般には通称をとった黒田官兵衛(くろだ・かんべえ)、あるいは出家後の号をとった黒田如水(くろだ・じょすい)として広く知られる
櫛田神社の歴史・沿革


■櫛田神社(くしだじんじゃ)は、福岡市博多区にある神社である


■所在地:福岡県福岡市博多区上川端町1-41


■櫛田神社は、古くより博多の氏神・総鎮守として信仰を集めている神社である。7月の博多祇園山笠や10月の博多おくんちなどの祭事をおこなう


■祭神は大幡大神(櫛田大神)、天照皇大神、素盞嗚大神(祇園大神)の三神で、正殿に大幡主神、左殿に天照大神、右殿に素盞嗚神が祀られている


■社伝では、天平宝字元年(757年)、松阪にあった櫛田神社を勧請したのに始まるとされ、松坂の櫛田神社の祭神の大幡主神が天照大神に仕える一族の神であったことから、天照大神も一緒に勧請されたと伝えられる


■天慶4年(941年)、小野好古が藤原純友の乱を鎮めるために京都の八坂神社に祈願し、平定した後に素盞嗚神を勧請したと伝えられる


■平安時代末期、平清盛が所領の肥前国神埼の櫛田神社(櫛田宮)を、日宋貿易の拠点とした博多に勧請したものであるとする説がある


■戦国時代に荒廃したが、天正15年(1587年)、豊臣秀吉によって博多が復興されるときに現在の社殿が造営された


■明治元年(1868年)の神仏分離令より前の江戸時代までは東長寺に属する神護寺が櫛田神社を管理していた


■明治24年(1891年)に県社に列した


■平清盛(たいらの・きよもり) 略歴
【1118年~1181年(元永1年~養和1年)】平安時代末期の武将・公卿・政治家。伊勢平氏の頭領である平忠盛の嫡子として伊勢産品(うぶしな、現在の三重県津市産品)で生まれる。生母は不明だが祇園女御の妹という説がある。保元、平治の乱で対立する勢力を一掃し、藤原氏に代わって政権をにぎる。太政大臣となり、娘の徳子を高倉天皇の中宮に入れ、その子供が安徳天皇となる。平氏の全盛を招き一門の繁栄をはかったが、反平氏勢力が各地で旗揚げするなか病死する。享年64歳


■豊臣秀吉(とよとみ・ひでよし)略歴
【1537年~1598年(天文6年~慶長3年)】戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・天下人・関白・太閤。尾張出身の戦国武将。農家出身ながら、織田信長に仕え、頭角を現す。1582年(天正10年)、本能寺の変で信長が横死にすると明智光秀を討ち、その後の後継者争いに勝利する。1590年(天正18年)、北条氏を下して事実上の天下統一を達成した。 62歳で没

セブン&アイHDの歴史・沿革


■株式会社セブン&アイ・ホールディングスは、セブン-イレブン・ジャパン、イトーヨーカ堂、そごう・西武などを傘下に持つ日本の大手流通持株会社である


■所在地:東京都千代田区二番町8番地8


■設立年月日:2005年9月1日


■2005年9月1日 株式会社セブン-イレブン・ジャパン、株式会社イトーヨーカ堂、株式会社デニーズジャパンの3社が株式移転により3社の持株会社として設立された


代表取締役会長 兼 最高経営責任者(CEO)に鈴木敏文が就任
代表取締役社長 兼 最高執行責任者(COO)に村田紀敏が就任


■2005年11月
(株)セブン‐イレブン・ジャパン、米国7‐Eleven,Inc.を完全子会社化


■2006年6月
そごう、西武百貨店を擁する(株)ミレニアムリテイリングを完全子会社化


■2013年3月
セブン‐イレブン、四国に初出店


■2015年2月
(株)バーニーズ ジャパンを完全子会社化


■2015年3月
(株)万代と業務提携


略歴・経歴(プロフィール)
■鈴木敏文(すずき・としふみ)
セブン&アイ・ホールディングス会長・CEO。1932年に長野県に生まれる。中央大学経済学部卒業後は、ジャーナリストを目指したが断念。東京出版販売(現・トーハン)で書籍取次の仕事を経験して、1963年にイトーヨーカ堂に入社した。入社して10年が経つと、鈴木は「セブンイレブン・ジャパン」を設立。アメリカのコンビニエンスストアを日本に輸入し、大型コンビニチェーン「セブンイレブン」を日本全土に浸透させた。日本初のコンビニエンスストアを導入しコンビニの父と呼ばれる
東京ガスの歴史・沿革


■東京ガス株式会社は、東京都都市部とその隣接区域(関東地方1都6県の主要都市)を営業区域とする一般ガス事業者である


■総延長約6万kmのガス導管を持ち、都市ガス事業者として世界最大規模、日本国内最大手である


■本社所在地:東京都港区海岸1‐5‐20


■創立年月日:明治18年(1885年)10月1日


■1872年
横浜で日本初のガス事業が始まる。高島嘉右衛門により、馬車道通りに街灯としてガス燈が灯ったことに始まる


■1885年10月
当時の東京府から東京府瓦斯局の払い下げを受け渋沢栄一、浅野総一郎らによって、東京瓦斯会社として創立される


■1893年7月
商法施行に伴い、社名を東京瓦斯株式会社と変更する


■1969年
日本で初めてLNG(液化天然ガス)を導入


■2009年4月
サハリンⅡプロジェクトLNG導入開始


■2009年10月
東京ガスライフバル体制の完成


■2012年3月
千葉~鹿島ラインの完成


略歴・経歴(プロフィール)
■渋沢栄一(しぶさわ・えいいち)
【1840年~1931年】明治の大実業家。日本資本主義の父。武蔵国榛沢郡血洗島村(現・埼玉県深谷市)の豪農に生まれる。一橋徳川家(15代将軍慶喜)に仕える。慶応3年、パリ万国博随行員。明治維新後官界入りして大蔵大丞。日本初の合本組織(株式会社)である商法会所を設立。明治6年、官界を辞し第一国立銀行総監役に就任し、以降明治経済界のトップリーダーとして幅広く活動した。91歳で没
青森銀行の歴史・沿革


■株式会社青森銀行(あおもりぎんこう)は、青森県青森市に本店を置く地方銀行。青森県最大の地方銀行である


■通称は青銀(あおぎん)


■企業スローガンは「Personal Main Bank AOGIN(パーソナル メイン バンク あおぎん)」


■本店所在地:青森市橋本一丁目9番30号


■創業:明治12年1月20日 第五十九国立銀行


■創立:昭和18年10月1日 青森銀行


■1879年(明治12年) 第五十九国立銀行(現青森銀行の母体)創業


■地元資本の金融機関も漸次設立され、経済発展と共に躍進する


■1943年(昭和18年)戦時下の金融統制のもと銀行合同が勧奨され、青森県では第五十九銀行を中心に八戸銀行、津軽銀行、板柳銀行、青森銀行(旧)の5行が合同し、青森銀行(新)が創設された


■1973年(昭和48年)10月 東京証券取引所第二部に上場(青森県の企業としては初)


■1975年(昭和50年)3月 東京証券取引所第一部に昇格


■2015年(平成27年)1月5日 イーネットの利用手数料を全面有料化
積水ハウスの歴史・沿革


■積水ハウス株式会社(せきすいハウス)は、大阪府大阪市北区に本社を置く住宅メーカーである


■1960年、積水化学工業株式会社ハウス事業部を母体とし、積水ハウス産業株式会社を資本金1億円にて設立(1963年に積水ハウス株式会社に商号変更)


■現在は積水化学工業の連結対象からは外れている


■1960年3月
積水化学工業株式会社にハウス事業部を設置


■1960年8月
積水化学工業株式会社ハウス事業部を母体とし、積水ハウス産業株式会社を資本金1億円にて設立、取締役社長に上野次郎男就任


■1963年6月
取締役社長に田鍋健就任


■1963年10月
積水ハウス株式会社に商号変更


■1998年
和田勇が取締役社長に就任


■2010年8月
創立50周年

■2011年3月
「積水ハウス ゼロエミッションセンター」来場者数5万人突破


略歴・経歴(プロフィール)
■和田勇(わだ・いさみ)
日本の実業家。積水ハウス元社長。1941年4月29日生まれ。和歌山県出身。関西学院大学法学部卒業後、1965年積水ハウスに入社。1998年に代表権取締役社長就任した
加島銀行の歴史・沿革


■加島銀行(かしまぎんこう)はかつて存在した銀行である

■1888年(明治21年)大阪財界の広岡家(加島屋)が大阪土佐堀に合資会社として設立した銀行

■江戸時代から続く大阪の豪商・加島屋の両替店を母体に1888年設立。金融財閥である広岡財閥の中核で、1902年には、大同生命保険の設立にも関与した。昭和恐慌のあおりを受け経営危機に陥り、1937年廃業

■設立:1888年(明治21年)

■本店所在地:大阪府大阪市中央区

■1888年 合資会社として大阪で設立される

■初代頭取は加島屋の9代目当主、広岡久右衛門正秋が就任

■1916年 道源銀行を買収する

■1917年 株式会社に改組する

■1921年 加島貯蓄銀行を合併する

■1924年 星島銀行を買収する

■1929年 鴻池銀行、野村銀行、山口銀行の3行に分割、買収される

■1937年 銀行業務を廃止する


■加島屋は「天下の台所」と言われる大坂で、多くの諸藩の御用を務めた豪商である。その商いには、大きく三つあった。一つは、堂島米会所で米の売買を行う米仲買への事業資金の融資(いわゆる「入替両替」)。次に、御用を務める諸藩の蔵屋敷の管理人(いわゆる「蔵元」「掛屋」)。そして、最も大きな商いである諸藩への融資(いわゆる「大名貸し」)である
東邦電力の歴史・沿革


■東邦電力(とうほうでんりょく)は日本の大正・昭和戦前期に存在した電力会社。五大電力(東邦電力、東京電燈、大同電力、宇治川電気、日本電力)の一つである

■東邦電力は、源流をたどると名古屋電燈→関西電気と九州電燈鉄道の二系統に分けることができる

■1922年に関西電気と九州電燈鉄道の合併に伴い、九州北部、近畿、中部(1府11県)に及ぶ事業を行うようになったため、東邦電力と改称した

■初代社長は、九州電燈鉄道出身の伊丹弥太郎が、副社長は松永安左エ門 (電力王)で、本社は東京に置かれた

■1942年、国家総動員法により1発電9配電体制に再編されることになり、東邦電力も解散し、日本発送電及び4配電会社(九州、関西、中部、四国)に事業を譲った


略歴・経歴(プロフィール)
■伊丹弥太郎(いたみ・やたろう)
【1867年~1933年】佐賀藩出身の実業家、貴族院議員。電力事業や鉄道事業に力を尽くした。現在の佐賀県佐賀市出身。1893年、父が設立した栄銀行の頭取に就任、さらに佐賀貯蓄銀行、佐賀セメント、佐賀県農工銀行を次々に設立し、海運業などで発展した深川家などと佐賀財閥を形成する。九州電燈鉄道の経営に参加していたほか、筑紫電気軌道(後の九州鉄道)の初代社長を、東邦電力株式会社の初代社長を務めた
大同生命の歴史・沿革


■大同生命保険株式会社(だいどうせいめいほけん)はT&Dホールディングス傘下の日本の生命保険会社である


■加入者本位・堅実経営を創業の精神としている


■中小企業への販売に圧倒的強みを持つ


■1902年
護国生命・北海生命・朝日生命(現存の朝日生命保険ではない)の3社が合併し、大同生命保険設立


■初代社長は9代目広岡久右衛門)(ひろおか・きゅうえもん)


■1947年
大同生命保険が相互会社として再発足


■1971年
業界初の生損保セット商品、業界初の最高保障額1億円を実現


■2004年
(株)T&Dホールディングスを設立し、大同生命保険(株)、太陽生命保険(株)およびT&Dフィナンシャル生命保険(株)を子会社とする経営統合を実施


略歴・経歴(プロフィール)
■9代目広岡久右衛門)(ひろおか・きゅうえもん)
【1844年~1909年】江戸時代三井家、鴻池家と共に隆盛を誇った大阪の加島屋の9代目当主。広岡久右衛門 (8代目)の三男。両替商でもあった加島屋を基に加島銀行を創立し、初代頭取に就任。その他大同生命初代社長に就任するなど、金融グループである広岡財閥の礎を築いた
集成館事業の歴史


■集成館事業(しゅうせいかんじぎょう)は、薩摩藩第28代当主島津斉彬によって起こされた日本最初の洋式産業群の総称をさす


■島津斉彬が集成館事業を開始するに至るまでの時代背景として、その当時、中国でのアヘン戦争(1840年~1842年)などでイギリス、フランスなどのヨーロッパ諸国がアジア各地で植民地化を進めていた事が挙げられる


■そのアヘン戦争前後から、当時薩摩藩の支配下にあった琉球へ異国船が度々来航するようになっており、それらは逐一琉球から薩摩藩へ報告されていた。島津斉彬が藩主に就任する1851年には、しきりに異国船が琉球に来航するようになっていた


■島津斉彬は、藩主に就任するや、それまで長年温めていた集成館事業の計画に着手し、現在の鹿児島市磯地区を中心としてアジア初の近代洋式工場群の建設に取り掛かった


■特に製鉄・造船・紡績に力を注ぎ、大砲製造から洋式帆船の建造、武器弾薬から食品製造、ガス灯の実験など幅広い事業を展開した


■この当時佐賀藩など日本各地で近代工業化が進められていたが、島津斉彬の集成館事業は軍事力の増大だけではなく、社会インフラの整備など幅広い分野まで広がっている点が他藩と一線を画す


■集成館事業のうち、製鉄・造船に関わる機械工場、反射炉跡など3資産が「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として世界文化遺産に登録されている


■島津斉彬(しまづ・なりあきら)略歴
【1809年~1858年】江戸時代後期から幕末の外様大名で、薩摩藩の第11代藩主。西洋事情に明るく進取の気性に富み、大規模な藩政改革を実施。集成館を興し、反射炉、ガラス工場、洋式紡績所などを設置。西洋式軍艦・昇平丸を幕府に献上した。将軍後継問題では一橋派に属し、井伊直弼と対立。享年50


島津斉彬が育てた人物に西郷隆盛がいる

■西郷隆盛(さいごう・たかもり)略歴
【1828年~1877年】維新の三傑の一人。通称、吉之助。号は南洲。薩摩藩の下級藩士の出。島津斉彬(なりあきら)の知遇を受け、国事に奔走。第二次長州征伐以後、倒幕運動の指導者となり、薩長同盟に尽力。大総督府参謀として征東軍を指揮して東下、江戸城を無血開城させた。維新後、参議。のち、征韓論の議を唱えたが入れられず下野、西南戦争に敗れて城山で自刃。49歳で没


島津斉彬の養女に天璋院篤姫がいる

■天璋院篤姫(てんしょういん・あつひ)略歴
【1836年~1883年】五摂家筆頭近衛家の娘として徳川家に嫁ぎ、江戸幕府第13代将軍徳川家定御台所となった人物。薩摩、今和泉領主・島津忠剛の娘として生まれる。薩摩藩主島津斉彬の養女となり、13代将軍徳川家定の正室として江戸城大奥に入る。家定が急逝した後は落飾し、14代将軍・家茂と和宮の補佐に努める。江戸幕府崩壊後は徳川救済に尽力。江戸城退去の後は、自らの生活を切り詰めて元大奥の者たちの面倒を見た。享年48
ラサ工業の歴史・沿革


■ラサ工業株式会社は、日本の化学メーカーである

■創業者の恒藤規隆が、明治時代の農村の疲弊を憂い、国産の安価な肥料資源を開発・供給することを目指して創業された

■祖業である肥料・鉱山・製錬・硫酸事業からは撤退しており、化成品、機械、電子材料を軸として事業を展開している

■社名は、1907年(明治40年)にラサ島(沖大東島)で肥料の原料となるリン鉱石を採掘したことに由来する

■リン鉱石の採掘が行われなくなった現在でも沖大東島全体がラサ工業の私有地となっている

■本社所在地:東京都中央区京橋一丁目1番1号

■創業年月日:大正2年5月1日

■設立年月日:大正7年6月26日

■市場情報:東証1部

■事業内容:化成品、機械、電子材料

■1911(明治44年)2月
ラサ島燐砿合資会社発足

■1913(大正 2 年)5月
ラサ島燐砿株式会社設立

■1934(昭和 9 年)3月
社名をラサ工業株式会社と改称

■1937(昭和12年)4月
ラサ島を国より譲り受ける

■1971(昭和46年)12月
非鉄金属鉱山事業より撤退

■1972(昭和47年)4月
大阪工場にてエレクトロニクス向け高純度リンの製造開始

■2013(平成25年)12月
三本木工場に放射性ヨウ素吸着剤(AgX)生産設備設置


略歴・経歴(プロフィール)
■恒藤規隆(つねとう・のりたか)
【1857年~1938年】肥料の原料となる燐鉱を探して各地を調査し、沖大東島(ラサ島)で糞化石質燐鉱石(グアノ)を発見したことで知られる。大分県出身。駒場農学校(現東大農学部)卒業。農商務省でフェスカについて土性調査をおこなう。明治32年日本最初の農学博士。34年肥料鉱物調査所初代所長。退官後、ラサ燐鉱をおこし社長。土性図作成を指導し、「日本土壌論」にまとめた
伊豆高原の歴史・概要


■伊豆高原(いずこうげん)とは、静岡県伊東市八幡野地区を中心として伊豆急行が開発した別荘地である


■都心からのアクセスが比較的容易であるうえ、海・山の自然が多く残されており、それらを売りにする形で土地が分譲された


■相模灘に面する海岸線までを含めて「伊豆高原」の呼称で呼ぶことが多い。日本で「高原」と呼ばれる場所の中では最も標高が低いと言われる。西南側は天城山に続く高地が接している


■伊豆急行線が通じており、玄関口の伊豆高原駅には東京から運転の特急踊り子号が停車する。自動車では熱海から国道135号か伊豆スカイライン経由となる


■踊り子(おどりこ)は、東日本旅客鉄道(JR東日本)、伊豆急行、東海旅客鉄道(JR東海)および伊豆箱根鉄道が東京駅 - 伊豆急下田駅・修善寺駅間を東海道本線・伊東線・伊豆急行線・伊豆箱根鉄道駿豆線経由で運行する特別急行列車である


■大室山は伊豆東部火山群に属する、約4000年前の活動で形成された火山で、城ヶ崎海岸の断崖絶壁は大室山の噴火によって作られたといわれている


■大室山(おおむろやま)は、静岡県伊東市にある標高580mの火山。伊東市のシンボル的な存在である。国の天然記念物および富士箱根伊豆国立公園に指定されている
サイバーディフェンス研究所の歴史・沿革


■株式会社サイバーディフェンス研究所はセキュリティサービスを手がける日本電気株式会社(NEC)の子会社である


■元々は伊藤忠商事の社内のセキュリティ研究所であった


■設立年月日:2008年10月1日


■所在地:東京都中央区八重洲1-5-20 石塚八重洲ビル10階


■事業内容:セキュリティ診断サービス、セキュリティコンサルティング


■高度なセキュリティ技術をもったプロフェッショナル集団である


■2005年10月
伊藤忠商事内 サイバーディフェンス研究所として設立


■2008年10月
株式会社サイバーディフェンス研究所設立


2009年 6月
■無償サービス「情報漏洩911」サービスを開始


■2009年11月
株式会社フォティーンフォティ技術研究所と業務提携


■2011年 1月31日
東京都中央区八重洲へ移転


■2013年3月1日
NECによる買収完了。NECの100%子会社となる
阿蘇山の火山の歴史・沿革


■阿蘇山(あそさん)は、日本の九州中央部、熊本県阿蘇地方に位置する活火山で、気象庁による常時観測火山に指定されている


■阿蘇山は、世界でも有数の大型カルデラと雄大な外輪山を持ち、「火の国」熊本県のシンボル的な存在として親しまれている


■火山活動が平穏な時期には火口に近づいて見学できるが、活動が活発化したり、有毒ガスが発生した場合は火口付近の立入りが規制される


■歴史時代における噴火記録の大部分は中岳火口において発生した噴火のものである


■一方、中岳以外では1816(文化13)年には中央火口丘群西部の湯の谷温泉において水蒸気爆発に伴う災害が発生しており、 「湯の谷大変」と呼ばれて記録が残されている


■また近年、同西部地域の吉岡周辺において地熱活動が活発化しており、 2006年には噴気孔の形成や植生枯死、小規模な土石流発生が認められている


■2015年9月14日 9時49分ごろ阿蘇山が噴火
千代田化工建設の歴史・沿革


■千代田化工建設株式会社(ちよだかこうけんせつ)は、日本の建設会社、エンジニアリング会社である


■石油精製、石油化学、天然ガス液化などの大規模プラントの設計、調達、建設一括請負業務で国内外に多くの実績を持つ


■日揮、東洋エンジニアリングと併せて「エンジニアリング御三家」と呼ばれる


■本社所在地
・神奈川県横浜市西区みなとみらい4-6-2みなとみらいグランドセントラルタワー


■設立年月日:1948年 (昭和23年) 1月20日


■市場情報:東証1部


■千代田化工建設は終戦後、実質的に解体状態にあった三菱石油(現 JX 日鉱日石エネルギー)の工事部長であった玉置明善(たまき・あきよし)の「戦後の石油精製事業の再開に備えて技術者を温存し、産業設備専門の高度な技術会社を作りたい」との熱意から誕生した


■三菱石油上層部のバックアップも得、終戦後2年を経過した1948年1月に従業員25名で発足した。初代社長には、玉置の熱望を受け、終戦時の三菱石油の社長、大久保繁雄がついた


■2000年 第9回地球環境大賞受賞


■2012年 みなとみらい地区のみなとみらいグランドセントラルタワーへ本社を移転
陰陽師の歴史


■陰陽師は全ての事象が陰陽と木・火・土・金・水の五行の組み合わせによって成り立っているとする夏、殷(商)王朝時代にはじまり周王朝時代にほぼ完成した中国古代の陰陽五行思想に立脚し、これと密接な関連を持つ天文学、暦学、易学、時計等をも管掌した日本独自の職であるが、前提となる陰陽五行思想自体は飛鳥時代、遅くとも百済から五経博士が来日した継体天皇7年(512年)または易博士が来日した欽明天皇15年(554年)の時点までに、中国大陸(南北朝またはそれ以前)から直接、または朝鮮半島西域(高句麗・百済)経由で伝来したと考えられている


■陰陽師(おんみょうじ/おんようじ)は、古代日本の律令制下において中務省の陰陽寮に属した官職の1つ


■陰陽五行思想に基づいた陰陽道によって占筮(せんぜい)及び地相などを職掌とする方技(技術系の官人。技官)として配置された者を指す


■それら官人が後には本来の律令規定を超えて占術や呪術、祭祀を司るようになったために陰陽寮に属する者全てを指すようになる


■更には中世以降の民間において個人的に占術等を行う非官人の者をも指すようになり、声聞師と重ねられることもあって「声聞師」と呼ばれる場合もあった


■現代においては民間で私的祈祷や占術を行う者と定義付けられており、中には神職の一種のように見られる者も存在する


■有名な陰陽師に安倍晴明がいる
安倍晴明(あべ の・せいめい/ はるあき)略歴
【921年~1005年】平安時代の陰陽師。「晴明」を「せいめい」と読むのは有職読みであり、本来の読み方は確定していない。鎌倉時代から明治時代初めまで陰陽寮を統括した安倍氏(土御門家)の祖。平安時代では、最先端の学問(呪術・科学)であった「天文道」や占いなどを、体系としてまとめた思想としての陰陽道に関して、卓越した知識を持った陰陽師ともいわれ、当時の朝廷や貴族たちの信頼を受け、その事跡は神秘化されて数多くの伝説的逸話を生んでいった
キリンホールディングスの歴史・沿革


■キリンホールディングス株式会社は、飲料事業会社のキリン株式会社を中核とする、キリングループの持株会社である


■三菱グループの一員である

■設立年月日:1907年(明治40年)2月23日


■1885年 トーマス・グラバーやJ・ドッズらに三菱財閥の岩崎弥之助らが発起人として加わり、麒麟麦酒株式会社の前身、ジャパン・ブルワリー・カンパニー設立


■1907年
三菱財閥と明治屋の出資による純粋日本国籍、日本資本の新会社「麒麟麦酒株式会社」を設立。ジャパン・ブルワリー社から組織や事業をそのままの状態で買収・継承(会社としてのジャパン・ブルワリー社は解散)


■1928年
「キリンレモン」「キリンシトロン」「キリンサイダー」発売


■1960年
「キリン缶ビール」発売


■2007年
純粋持株会社制導入に伴いキリンホールディングス株式会社に商号変更


略歴・経歴(プロフィール)
■岩崎弥之助(いわさき・やのすけ)
【1851年~1908年】三菱財閥2代当主。土佐国安芸郡井ノ口村(高知県安芸市)に生まれる。明治5年米国に留学。兄弥太郎の片腕となって九十九商会以来の草創期三菱の事業に尽力した。明治18年、弥太郎の死後、海運業を分離した後の三菱社の社長となり、事業多角化に努め、1893年財閥本社(三菱社)、銀行、鉱山、炭礦、造船などを一体とした三菱合資会社を発足させた。明治23年には貴族院議員に勅選。明治29年、日本銀行第4代総裁に就任。57歳で没
阪急電鉄の歴史・沿革


■阪急電鉄株式会社(はんきゅうでんてつ)は、大阪梅田と神戸・宝塚・京都を結ぶ鉄道を経営する大手私鉄である


■阪急阪神ホールディングスの子会社で、阪急阪神東宝グループに属する。略称は阪急


■会社創立:1907年(明治40年)10月19日


■登記上本店:大阪府池田市栄町1番1号


■本社事務所:大阪市北区芝田一丁目16番1号


■阪急電鉄が運営している鉄道事業は、1907年に設立された箕面有馬電気軌道が、1910年に現在の宝塚本線・箕面線にあたる梅田 - 宝塚間、石橋 - 箕面間を開業したのが始まり


■1910年
宝塚本線梅田 - 宝塚間、箕面線石橋 - 箕面間が開業


■1911年
宝塚新温泉(後の宝塚ファミリーランド)開業


■1913年
宝塚唱歌隊(現在の宝塚歌劇団)を組織


■1918年
阪神急行電鉄に社名変更


■1943年
阪神急行電鉄が京阪電気鉄道を合併、京阪神急行電鉄に社名変更


■1973年
阪急電鉄株式会社に社名変更


■2005年
持株会社化に伴い、阪急電鉄株式会社から阪急ホールディングス株式会社に商号変更


■2006年
阪急ホールディングスから阪急阪神ホールディングスに商号変更


■阪急阪神東宝グループ創業者
小林一三(こばやし・いちぞう)略歴・経歴(プロフィール)
【1873年~1957年】阪急阪神東宝グループ創業者。山梨県韮崎(にらさき)町(現・韮崎市)生まれ。慶応義塾卒。三井銀行(現三井住友銀行)を経て箕面(みのお)有馬電気軌道を創立し専務に就任。昭和2年阪急電鉄社長。昭和4年阪急百貨店、昭和7年東京宝塚劇場(のち東宝)を設立。昭和15年商工大臣、昭和20年戦災復興院総裁。84歳で没。著書「私の行き方」「私の生活信条」「小林一三全集」他
ユニチカの歴史・沿革


■ユニチカ株式会社は、本店を兵庫県尼崎市 に、本社を大阪市中央区 と東京都中央区 に置く、繊維メーカーである


■ユニチカグループの歩みは、1889年「尼崎紡績」の創業に始まる


■1889年 有限責任尼崎紡績会社を設立


■1918年 (株)摂津紡績と合併し大日本紡績(株)と改称


■1923年 日本絹毛紡績と合併


■1926年 日本レイヨン(株)設立


■1941年 岸和田紡績と合併


■1964年 ニチボー(株)と改称


■1969年 ニチボー(株)と日本レイヨン(株)が合併し、ユニチカ(株)が発足


■1989年 創業100年


■2009年 新規離型フィルムを開発。最高レベルの高熱伝導性ナイロン樹脂を開発


■かつては貝塚工場の女子バレーボール部が著名であった


■バレーボール部のみならず1975年世界選手権で準優勝を果たした日本代表の半数以上を輩出した平野工場(後に山崎工場)の女子バスケットボール部や宇津木妙子が現役時代に所属したことで知られる垂井工場のソフトボール部、常盤工場の軟式庭球部。宇治工場の陸上競技部も強豪として知られた
紡績工場の歴史


■開国後の明治初期に、外国綿糸の輸入に圧倒され、これに対抗して紡績業が起こるが、日本における最も古い綿紡工場として3つの工場が挙げられる


■この三始祖とは鹿児島紡績所(鹿児島市)、堺紡績所(大阪府堺市)、鹿児島紡績所(東京都北区)の3ヵ所である


■日本で最初の紡績工場が薩摩藩主、島津斉彬(第11代藩主)によって建設されたということはあまりにも有名であるが、実際の工場建設は斉彬逝去の後、その遺志を継いだ島津忠義(第12代藩主)によるものであった


略歴・経歴(プロフィール)
■島津斉彬(しまづ・なりあきら)
文化6年~安政5年(1809年~1858年)江戸時代後期から幕末の外様大名で、薩摩藩の第11代藩主。西洋事情に明るく進取の気性に富み、大規模な藩政改革を実施。集成館を興し、反射炉、ガラス工場、洋式紡績所などを設置。西洋式軍艦・昇平丸を幕府に献上した。将軍後継問題では一橋派に属し、井伊直弼と対立。享年50


略歴・経歴(プロフィール)
■島津忠義(しまづ・ただよし)
【1840年~1897年】幕末から明治時代の大名、華族。薩摩藩の第12代(最後)の藩主で、島津氏第29代当主。官位は従一位参議。勲等は勲一等。島津氏分家の重富家当主・島津忠教の長男として生まれた
崎陽軒の歴史・沿革


■株式会社崎陽軒(きようけん)は、神奈川県横浜市西区に本社を置く、主に焼売(シウマイ)の製造販売ならびにレストラン経営をおこなう企業である

■横浜名物のシウマイ、駅弁の「シウマイ弁当」を製造、販売していることで有名である

■崎陽軒(きようけん)の社名は創業者の久保久行が長崎出身である事にちなみ、長崎の漢文風の美称である「崎陽」に由来する

■崎陽軒の工場見学の案内では、長崎にある場所で太陽が昇る岬という意味を持つ「崎陽岬」を由来と説明している

■1908年(明治41年)
4代目横浜駅長であった久保久行が、定年退職後、知人であった高橋善一(後の東京駅長)の薦めで横浜駅構内営業の許可を妻久保コトの名で得る

■1915年(大正4年)
横浜駅が平沼材木町に移転し、匿名組合崎陽軒と改組。支配人に野並茂吉が就任

■1923年(大正12年)
匿名組合を解散し、合名会社崎陽軒を設立

■1928年(昭和3年)
横浜名物崎陽軒のシウマイを独自開発・販売開始

■1941年(昭和16年)
横浜駅前支店を改組し、株式会社崎陽軒食堂を設立(取締役社長・野並茂吉)

■1946年(昭和21年)
横浜駅構内飲食店営業の許可を受け、和洋食堂を開始。KY食堂と称す

■1950年(昭和25年)
横浜駅にシウマイ娘が登場

■1954年(昭和29年)
崎陽軒の2大名物のひとつ・シウマイ弁当登場

■1965年(昭和40年)
野並茂吉死去。2代目取締役社長に野並豊が就任

■1967年(昭和42年)
真空パックシウマイ販売開始。遠くまで持っていきたいという消費者の要望に応え、保存性の高い真空パックシウマイを開発。今では一般的名称の「真空パック」という名称も崎陽軒が独自に発案したもの

■1991年(平成3年)
点心部シウマイセンターに新調理場を開業。取締役会長に野並豊が、 取締役社長に野並直文が就任

■2002年(平成14年)
横浜赤レンガ倉庫にライブキッチン方式「崎陽軒 菜演房」出店

■2008年(平成20年)
創業100周年


略歴・経歴(プロフィール)
久保久行
主に焼売(シウマイ)の製造販売ならびにレストラン経営をおこなう企業、株式会社崎陽軒の創業者。長崎県出身。4代目横浜駅長。定年後に崎陽軒を創業


略歴・経歴(プロフィール)
野並豊(のなみ・ゆたか)
日本の経営者。大正11年、横浜市生まれ。父は「シウマイ王」と称された崎陽軒初代社長の野並茂吉。満州から復員し、慶応大在学中から崎陽軒の業務に就き、昭和23年、崎陽軒常務。40年、社長。42年に「真空パックシウマイ」を発売、全国に知られる横浜みやげに。平成3年、会長。91歳で死去


略歴・経歴(プロフィール)
野並直文(のなみ・なおぶみ)
日本の経営者。主に焼売(シウマイ)の製造販売ならびにレストラン経営をおこなう企業、株式会社崎陽軒3代目社長。1949年 横浜市で生まれる。慶應義塾大学商学部卒。(同大大学院経営管理研究科修了)。1972年 株式会社崎陽軒入社。工場のリニューアルなど生産性と味の向上に努める。1991年 社長に就任
川崎汽船の歴史・沿革


■川崎汽船株式会社(かわさききせん)は、東京都千代田区に本社を置く(登記上の本店は兵庫県神戸市中央区)日本の大手海運会社である

■規模では、日本郵船・商船三井に次いで国内第3位である
(2014年3月末時点で583隻を運航)

■上位2社に比べるとコンテナ船への依存率が高いと言われている。この他、石炭、鉄鉱石などの不定期貨物船、自動車運搬船、LNGタンカー、石油タンカーなどを運航している

■ちなみに、日本で初めて自動車専用船を導入したのは同社である

■設立年月日:1919年(大正8年)4月5日

■初代社長:川崎芳太郎

■1919年4月10日
川崎造船所(現川崎重工業)の船舶部が独立する形で、同社の現物出資によって設立

■1964年
日本海運の集約により飯野汽船を合併、川崎汽船グループの中核会社となる

■1983年
日本籍初のLNG船で当社管理運航の『尾州丸』就航

■2014年
次世代自動車専用船、2隻の追加発注を決定


略歴・経歴(プロフィール)
■川崎芳太郎(かわさき・よしたろう)
【1869年~1920年】明治、大正時代の実業家。旧姓は鬼塚。鹿児島県出身。ニューヨークの商業学校にまなび、帰国後川崎造船所(現川崎重工業)に入社。川崎正蔵(川崎財閥創始者)の養子となり、明治29年副社長に就任。のち神戸川崎銀行頭取。大正6年川崎商船学校(現神戸商船大)を創立した
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