阪急電鉄の歴史・沿革


■阪急電鉄株式会社(はんきゅうでんてつ)は、大阪梅田と神戸・宝塚・京都を結ぶ鉄道を経営する大手私鉄である


■阪急阪神ホールディングスの子会社で、阪急阪神東宝グループに属する。略称は阪急


■会社創立:1907年(明治40年)10月19日


■登記上本店:大阪府池田市栄町1番1号


■本社事務所:大阪市北区芝田一丁目16番1号


■阪急電鉄が運営している鉄道事業は、1907年に設立された箕面有馬電気軌道が、1910年に現在の宝塚本線・箕面線にあたる梅田 - 宝塚間、石橋 - 箕面間を開業したのが始まり


■1910年
宝塚本線梅田 - 宝塚間、箕面線石橋 - 箕面間が開業


■1911年
宝塚新温泉(後の宝塚ファミリーランド)開業


■1913年
宝塚唱歌隊(現在の宝塚歌劇団)を組織


■1918年
阪神急行電鉄に社名変更


■1943年
阪神急行電鉄が京阪電気鉄道を合併、京阪神急行電鉄に社名変更


■1973年
阪急電鉄株式会社に社名変更


■2005年
持株会社化に伴い、阪急電鉄株式会社から阪急ホールディングス株式会社に商号変更


■2006年
阪急ホールディングスから阪急阪神ホールディングスに商号変更


■阪急阪神東宝グループ創業者
小林一三(こばやし・いちぞう)略歴・経歴(プロフィール)
【1873年~1957年】阪急阪神東宝グループ創業者。山梨県韮崎(にらさき)町(現・韮崎市)生まれ。慶応義塾卒。三井銀行(現三井住友銀行)を経て箕面(みのお)有馬電気軌道を創立し専務に就任。昭和2年阪急電鉄社長。昭和4年阪急百貨店、昭和7年東京宝塚劇場(のち東宝)を設立。昭和15年商工大臣、昭和20年戦災復興院総裁。84歳で没。著書「私の行き方」「私の生活信条」「小林一三全集」他
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ユニチカの歴史・沿革


■ユニチカ株式会社は、本店を兵庫県尼崎市 に、本社を大阪市中央区 と東京都中央区 に置く、繊維メーカーである


■ユニチカグループの歩みは、1889年「尼崎紡績」の創業に始まる


■1889年 有限責任尼崎紡績会社を設立


■1918年 (株)摂津紡績と合併し大日本紡績(株)と改称


■1923年 日本絹毛紡績と合併


■1926年 日本レイヨン(株)設立


■1941年 岸和田紡績と合併


■1964年 ニチボー(株)と改称


■1969年 ニチボー(株)と日本レイヨン(株)が合併し、ユニチカ(株)が発足


■1989年 創業100年


■2009年 新規離型フィルムを開発。最高レベルの高熱伝導性ナイロン樹脂を開発


■かつては貝塚工場の女子バレーボール部が著名であった


■バレーボール部のみならず1975年世界選手権で準優勝を果たした日本代表の半数以上を輩出した平野工場(後に山崎工場)の女子バスケットボール部や宇津木妙子が現役時代に所属したことで知られる垂井工場のソフトボール部、常盤工場の軟式庭球部。宇治工場の陸上競技部も強豪として知られた
紡績工場の歴史


■開国後の明治初期に、外国綿糸の輸入に圧倒され、これに対抗して紡績業が起こるが、日本における最も古い綿紡工場として3つの工場が挙げられる


■この三始祖とは鹿児島紡績所(鹿児島市)、堺紡績所(大阪府堺市)、鹿児島紡績所(東京都北区)の3ヵ所である


■日本で最初の紡績工場が薩摩藩主、島津斉彬(第11代藩主)によって建設されたということはあまりにも有名であるが、実際の工場建設は斉彬逝去の後、その遺志を継いだ島津忠義(第12代藩主)によるものであった


略歴・経歴(プロフィール)
■島津斉彬(しまづ・なりあきら)
文化6年~安政5年(1809年~1858年)江戸時代後期から幕末の外様大名で、薩摩藩の第11代藩主。西洋事情に明るく進取の気性に富み、大規模な藩政改革を実施。集成館を興し、反射炉、ガラス工場、洋式紡績所などを設置。西洋式軍艦・昇平丸を幕府に献上した。将軍後継問題では一橋派に属し、井伊直弼と対立。享年50


略歴・経歴(プロフィール)
■島津忠義(しまづ・ただよし)
【1840年~1897年】幕末から明治時代の大名、華族。薩摩藩の第12代(最後)の藩主で、島津氏第29代当主。官位は従一位参議。勲等は勲一等。島津氏分家の重富家当主・島津忠教の長男として生まれた
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