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第一屋製パンの歴史・沿革


■第一屋製パン株式会社(だいいちやせいパン)は、東京都小平市に本社を置く製パン会社である

■製パン業界では、山崎製パン、敷島製パン、フジパン、神戸屋、アンデルセングループに次ぐ中堅グループに属する

■一般には商標の「第一パン(ロゴ上では㐧一パン)」で知られる

■創業者:細貝義雄

■創業:昭和22年6月2日

■市場情報:東証1部

■本店所在地:東京都小平市小川東町3丁目6番1号

■事業内容:各種パン類、和菓子、洋菓子、クッキー等の製造及び販売


■昭和22年6月
創業者の細貝義雄が個人経営で大田区仲六郷にて「第一屋」の商号をもって製パン業を創設

■昭和30年7月
第一屋製パン株式会社(資本金400万円)を設立 合資会社第一屋の営業を継承

■昭和37年9月
当社株式を東京証券取引所市場第二部に上場

■昭和44年10月
当社株式を大阪証券取引所市場第二部に上場

■昭和45年11月
当社株式を東証・大証市場第一部に指定替え

■平成21年12月
豊田通商株式会社と資本業務提携契約を締結


略歴・経歴(プロフィール)
■細貝義雄氏(ほそかい・よしお)
日本の実業家。第一屋製パン株式会社の創業者。新潟県出身。自宅は大田区西六郷。妻は博子(ひろこ)。長男は細貝理栄(第一屋製パン社長を歴任)
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三省堂の歴史・沿革


■株式会社三省堂(さんせいどう)は、日本の出版社である

■辞典・事典・六法・教科書などの出版で知られる

■本社はJR水道橋駅と神田川に挟まれたエリアにある。この場所は、かつて自社印刷工場の倉庫として使われていた場所であった

■創業者:亀井忠一(かめい・ただかず)。旧旗本の一族

■創業:1881年(明治14年)4月8日


■1881年(明治14年)、旧旗本の一族である亀井忠一により古書店三省堂書店として創業され、出版事業には1884年(明治17年)に進出

■当初より、辞書、事典、教科書などの出版や、教材の販売など、教育、学術分野を事業の中心とした

■1943(昭和18)年には当時としては画期的であった現代語辞典の『明解国語辞典』を刊行

■1953(昭和28)年には初の古語辞典『明解古語辞典』を刊行

■1992(平成4)年にはデジタル出版の先駆けとなる『電子ブック版模範六法』『電子ブック版大辞林』を発売

■2001(平成13)年 日本最大級のWeb辞書検索サービス「三省堂Web Dictionary」を立ち上げる


略歴・経歴(プロフィール)
■亀井忠一(かめい・ただかず)
【1856年~1936年】日本の実業家。三省堂書店、三省堂の創業者で三省堂編修所の代表者でもあった。明治時代の代表的出版人でもあり、日本における近代的辞書の礎を築いた人物のひとり
マネックス証券の歴史・沿革


■マネックス証券株式会社は、マネックスグループ株式会社(金融持株会社)の完全子会社で、証券業を営む株式会社である

■本店所在地:東京都千代田区麹町二丁目4番地1

■設立:1999年5月

■創業者:松本大(まつもと・おおき)

■株主:マネックスグループ株式会社


■1999年 ソニー、松本大により株式会社マネックスを設立

■1999年 マネックス証券株式会社に名称変更

■2010年 オリックス証券株式会社を合併

■2013年 ソニーバンク証券株式会社を合併

■2014年 日本初の「対話型投資」ファンド「スパークス・日本株式スチュワードシップ・ファンド」の取扱い開始

■2015年 株式会社マネックスFXを合併


略歴・経歴(プロフィール)
■松本大(まつもと・おおき)
マネックスグループ株式会社の創業者。マネックス証券株式会社代表取締役社長CEO。1963年12月19日埼玉県浦和市(現・さいたま市)で生まれた。東京大学法学部卒業後、ソロモン・ブラザーズを経てゴールドマン・サックスに勤務。30歳で同社最年少ゼネラル・パートナー(共同経営者)に就任。1999年、ソニーと共同出資で株式会社マネックス証券を設立した


略歴・経歴(プロフィール)
■勝屋敏彦(かつや・としひこ)
日本の経営者。マネックス証券株式会社2代目社長。東京都出身。1989年 東京大学法学部卒業。三菱銀行(現三菱東京UFJ銀行)入行。2006年 マネックス・ビーンズ・ホールディングス(現マネックスグループ)入社。2015年マネックス証券副社長。2015年11月1日 社長に就任
ミツカンの歴史・沿革


■株式会社ミツカン(mizkan)は、調味料と納豆を主力製品とする株式会社ミツカングループ本社(非上場)傘下の大手食品メーカー(事業子会社)である

■事業内容:調味加工食品、納豆及び各種チルド食品の企画開発、販売

■本社所在地:愛知県半田市中村町2丁目6番地


■江戸時代中期の1804年(文化元年)、中野又左衛門により尾張国半田村(現在の愛知県半田市)で酒造業として創業

■以後、代々社長は「中野又左衛門」(四代目以降「中埜」)を名乗り、戸籍上の名前も変更している。1923年、株式会社化

■1998年にそれまで「株式会社中埜酢店」を中心として構成されていたミツカングループを、戦略策定・海外事業統括を行う「株式会社ミツカングループ本社」とその傘下にぶら下がる事業カンパニー・機能カンパニー群に再編し、中埜酢店はグループ本社傘下の資産管理会社となっている

■2014年3月1日、グループ統括会社の株式会社ミツカングループ本社が商号を英字表記の「株式会社Mizkan Holdings」(ミツカンホールディングス)に変更した


略歴・経歴(プロフィール)
■中埜又左衛門(なかの・またざえもん)
ミツカングループの創業家・経営者。尾張国半田(現在の愛知県半田市)の醸造家で、ミツカングループの創業家・経営者である中野又左衛門家の当主が受け継ぐ名である。文化元年(1804年)に同家を興した初代中野又左衛門によって酢の醸造がはじめられた。明治期の4代目より苗字の表記が中埜に、そして7代目で名の表記を又左エ門とした
明光ネットワークジャパンの歴史・沿革


■株式会社明光ネットワークジャパン(めいこうネットワークジャパン)は、個別指導学習塾明光義塾を運営、フランチャイズ展開する企業である

■特色
小中高向け個別指導の補習塾「明光義塾」をFC軸に展開。医系大専門予備校「東京医進学院」も手がける

■設立:1984年(昭和59年) 9月

■市場情報:東証1部


■1984年9月
全学年を対象とした個別指導型学習塾の全国フランチャイズチェーン展開を目的として 『サンライト株式会社』を設立

■1985年5月
商号を『明光義塾株式会社』に変更

■1986年7月
明光義塾 100教室を達成

■1986年12月
商号を現在の『株式会社明光ネットワークジャパン』に変更

■2004年8月
東京証券取引所市場第一部に上場

■2011年8月
明光義塾 2,000教室を達成

■2014年10月
日本語学校及びインターナショナルスクールを運営する株式会社早稲田EDUを連結子会社化


略歴・経歴(プロフィール)
■渡辺弘毅
日本の実業家。株式会社明光ネットワークジャパン創業者。1942年 東京都で生まれる。宮城県で育つ。1969年に株式会社日本図書センターに入社、1977年から同社社長。1978年に日本クレジット株式会社社長、1980年には株式会社シナップス教育センター社長。2つの企業を設立した後の1984年に現明光ネットワークジャパンの存続会社である、サンライト株式会社を創業。同社を成長させ、2004年に東証1部上場
萩の乱とは


■萩の乱(はぎのらん)は、1876年(明治9年)に山口県萩で起こった明治政府に対する士族反乱の一つである


■1876年10月24日に熊本県で起こった神風連の乱と、同年10月27日に福岡県で起こった秋月の乱に呼応し、山口県士族の前原一誠(元参議)、奥平謙輔、吉田小太郎ら約200名によって起こされた反乱である


■後の内閣総理大臣(第26代)田中義一も13歳で反乱に参加している


前原一誠(まえばら・いっせい)略歴
【1834年~1876年(天保5年~明治9年)】幕末維新期の長州藩出身の武士。慶応4年の戊辰戦争を経て、越後府判事となる。民政を担当するが中央政府と対立。その後、参議となるが辞職。政府改革を目指し、山口県士族を率いて挙兵したが(萩の乱)、捕らえられて処刑された。享年43歳


田中義一(たなか・ぎいち)略歴
1864年~1929年(元治元年~昭和4年)内閣総理大臣(第26代)、陸軍大将、貴族院議員。萩藩士の三男として萩(現・山口県萩市)に生まれた。陸軍大学校卒。日清戦争に従軍。明治31年、ロシア留学。日露戦争では満州軍参謀として活躍。陸軍省軍事課長。明治44年、軍務局長に昇進。大正4年、参謀次長となり、シベリア出兵に関与。陸軍大臣、陸軍大将となる。退役後、立憲政友会総裁、貴族院勅選議員となる。昭和2年、首相に就任。山東出兵を推進。昭和4年、張作霖爆殺事件の責任を取り総辞職した。66歳で没
片倉工業の歴史・沿革


■片倉工業株式会社(かたくらこうぎょう)は、東京都中央区に本社を置くショッピングセンター等の不動産運営・賃貸、自動車部品等の機械製造販売、繊維製品の製造販売を行う企業である


■本社所在地:東京都中央区明石町6-4


■創業:1873年(明治6年)


■会社設立:1920年(大正9年)3月23日


■1873年 繊維で発祥。医薬品、消防車等機械も行う。商業施設の開発・運営、賃貸等不動産が利益の柱である


■明治期から大正期にかけての日本の主力輸出品であった絹糸の製造を行い、片倉財閥を構築した老舗企業である


■かつて操業していた富岡工場(富岡製糸場)は日本の工業近代化の貴重な遺産として知られる(2005年、富岡工場の建物等を地元の富岡市に寄贈)


■1873年
片倉市助、長野県諏訪郡川岸村(現岡谷市)で10人取の座繰(ざぐり)製糸を開始


■1878年
■初代片倉兼太郎が川岸村に洋式器械製糸工場垣外(かいと)製糸場を開設 


■1895年
片倉組を設立


■1920年3月
片倉組を継承する組織として片倉製糸紡績株式会社を設立(片倉工業の創立日)


■1943年
片倉工業株式会社に改称


■2014年
富岡製糸場が世界文化遺産に登録決定
住友商事の歴史・沿革


■住友商事株式会社(すみともしょうじ)は、住友グループの大手総合商社である


■本社:東京都中央区晴海1丁目8番11号晴海


■特色:鋼管・鋼材に強くCATVなどメディアにも強い。資源は銀・亜鉛など非鉄が軸


■設立年月日:1919年12月24日


■初代社長:田路舜哉(とうじ・しゅんや)


■住友商事のルーツは、1919年12月に設立された大阪北港株式会社である


■大阪北港地帯の造成と隣接地域の開発などを行い、不動産経営に当たっていた


■1944年、株式会社住友ビルディングを合併して、住友土地工務株式会社と改称


■1945年11月、日本建設産業株式会社と改称し、新たに商事部門への進出を図り、従来関係のあった住友グループ各社の製品をはじめ、各業界の大手生産会社の製品の取り扱いに従事することとなった


■以後、事業活動の重点を商事部門に置き、取扱品目ならびに取引分野の拡大に努める


■1949年、東京・大阪・名古屋の各証券取引所に株式を上場


■1952年 社名を住友商事株式会社と改称


■1973年 フランクフルト証券取引所に株式を上場


■2001年 千代田区一ツ橋から中央区晴海一丁目に本社移転


■2007年 ベトナム住友商事を設立


略歴・経歴(プロフィール)
■田路舜哉(とうじ・しゅんや)
【1893年~1961年】日本の経営者。住友商事株式会社の創業者。兵庫県宍粟郡一宮町(現宍粟市)安積において出生。田路家に養子に入り、母方の田路姓を名乗る。第三高等学校卒業。東京帝国大学法学部卒業。住友総本店(後に住友合資会社)入社。住友金属工業株式会社の取締役。日本建設産業株式会社の常務取締役、1947年3月、同社社長。1952年6月、日本建設産業株式会社を住友商事株式会社と改称
タカラスタンダードの歴史・沿革


■タカラスタンダード株式会社は大阪府大阪市城東区に本社を置く、システムキッチン、システムバスなどの住宅設備機器を製造する住宅機器メーカーである

■世界的に見てもホーロー製品の技術はトップクラスを誇り、ステンレス指向の業界に一石を投じている

■古くは日本エナメルという企業名で創業し、一時期タカラベルモント社の傘下に入っていた。その後、傘下を抜け、1971年から現社名に変更し、以後国内で初めてホーロー製のシステムキッチンおよびシステムバスを開発した企業として、現在まで業界の先駆的立場にある

■設立:明治45年5月30日

■市場情報:東証1部

■本社所在地:大阪市城東区鴫野東1丁目2番1号


■1912年「日本エナメル株式会社」を設立

■1945年 家庭用ホーロー鉄器製造を開始

■1957年 日本初のステンレスシンクのプレス成型に成功

■1962年 世界最初のホーローキッチンの開発に成功

■1971年「タカラスタンダード株式会社」に社名変更

■1973年 大阪株式市場第一部に上場

■1973年 東京株式市場第一部に上場
■2000年 高木工業株式会社を子会社化

■2014年 高木工業株式会社を吸収合併(現・千葉工場、岐阜工場)
富岡製糸場の歴史


■富岡製糸場(とみおかせいしじょう)は、群馬県富岡に設立された日本初の本格的な器械製糸の工場である


■日本の近代化だけでなく、絹産業の技術革新・交流などにも大きく貢献した工場であり、敷地を含む全体が国の史跡に、初期の建造物群が国宝および重要文化財に指定されている


■また、「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産として、2014年6月21日の第38回世界遺産委員会(ドーハ)で正式登録された


■江戸時代末期に鎖国政策を変えた日本は外国と貿易を始めた。当時最大の輸出品は生糸であった。輸出の急増によって需要が高まった結果、質の悪い生糸が大量につくられる粗製濫造問題がおき、日本の生糸の評判が下がってしまった


■明治維新後、政府は日本を外国と対等な立場にするため、産業科学技術の近代化を進めた。その一つとして政府は生糸の品質改善・生産向上と、技術指導者育成をするため、洋式の繰糸器械を備えた模範工場をつくることにした。これが富岡製糸場である


■富岡製糸場は、明治5年(1872年)に創業した日本初の官営模範製糸場である。明治政府の掲げた政策「殖産興業」の一翼を担うべく誕生したもので、ヨーロッパの技術と日本独自の工法が融合してできた世界最大規模の製糸工場であった


■1893年に三井家に払い下げられ、1902年に原合名会社、1939年に片倉製糸紡績会社(現片倉工業)と経営母体は変わったが、1987年に操業を停止するまで、第二次世界大戦中も含め、一貫して製糸工場として機能し続けた


略歴・経歴(プロフィール)
尾高惇忠(おだか・あつただ)
【1830年~1901年)】富岡製糸場の初代場長、および日本の実業家。第一国立銀行仙台支店支配人。通称は新五郎。号は藍香。渋沢栄一の義兄(栄一の妻・千代の兄)であり、尾高塾を開き、栄一に論語を教えた学問の師である。武蔵国榛沢郡下手計村(現・埼玉県深谷市下手計)に生まれた
太陽誘電の歴史・沿革


■太陽誘電株式会社(たいようゆうでん)は、受動電子部品を主とした電気機器製造会社である


■一般消費者の間ではCD-R(That'sブランド)などの記録メディアのメーカーとして知られる


■設立年月日:1950年(昭和25年)3月23日


■市場情報:東証1部


■事業内容:各種電子部品の開発・製造・販売 他


■創業者:佐藤彦八


■1950年3月23日
戦前からセラミック素材の研究をしていた佐藤彦八は、「素材の開発から出発して製品化を行う」を信条に、酸化チタンセラミックコンデンサの開発、製品化に取り組み、量産体制を整え、東京都杉並区に本社を置く「太陽誘電株式会社」を設立


■1954年9月
小型フェライトコア「フェリットコア」の生産を開始


■1970年3月
東京証券取引所市場第二部に株式を上場


■1973年1月
東京証券取引所市場第一部に指定


■1977年10月
世界初の円筒チップ型磁器コンデンサを開発


■1984年7月
世界初のニッケル電極大容量積層セラミックコンデンサを商品化


■1988年2月
東京都台東区上野6-16-20に本社を移転


■1988年9月
世界初の追記型光記録メディア「CD-R」の商品化を発表


■2012年5月
メタル系パワーインダクタ「MCOILTM」を商品化


略歴・経歴(プロフィール)
■佐藤彦八(さとう・ひこはち)
日本の研究者、技術者、実業家。太陽誘電株式会社の創業者。1915年11月25日生まれ
株式会社トーセの歴史・沿革


■株式会社トーセは、日本のゲームソフト開発会社である


■本社所在地:京都府乙訓郡大山崎町下植野二階下13


■市場情報:東証1部


■設立年月日:1979年11月1日


■家庭用ゲームソフト開発・制作請負で専業最大手。スマホゲーム開発もてがける。東南アジアの展開を強化している


トーセのルーツ
■1952年、齋藤豊により自動定電圧装置を開発・製造する個人企業が創業される


■その後、株式会社化により株式会社東亜セイコーとなり、現在は複合ロボット用コンピュータ制御や産業用ソフト開発、アナログ計測機器や治具の開発および製造を行っている


■トーセは、1979年、業務用ゲーム機の開発販売を行う企業として、株式会社東亜セイコーより分離独立し、設立された


沿革
■1979年11月
株式会社東亜セイコーより分離独立し、京都市東山区に株式会社トーセを設立、業務用ゲーム機の開発販売を開始


■1986年5月
京都府乙訓郡大山崎町に本社を移転


■2000年9月
東京証券取引所第二部に上場


■2001年8月
東京証券取引所第一部に指定


■2009年11月
顧客サービスの強化を図るため、京都府長岡京市に「長岡京開発センター」を開設
クラボウの歴史・沿革


■倉敷紡績株式会社(くらしきぼうせき)は、日本の繊維製品の大手メーカー。通称・対外名称はクラボウ


■日本以外にもブラジル、インドネシア、タイ、中国にグループ企業を展開する


■クラレは、クラボウの多角経営を目的にクラボウ創業者である大原一族により創業された会社であるが、現在、両社に人的・資本関係はない


■小松原慶太郎、木村利太郎、大橋澤三郎らが大原家などの出資を受け、現在の岡山県倉敷市にて設立


■大原家は当時、地元の大地主であった。初代社長に大原家から大原孝四郎が就任した


■創立:1888年(明治21年)3月9日


■大阪本社:大阪市中央区久太郎町2-4-31


■東京支社:東京都中央区日本橋本町2-7-1 NOF日本橋本町ビル2階


■1888年 「有限責任 倉敷紡績所」設立


■1893年 商法施行により「倉敷紡績株式会社」と改称


■1930年「大原美術館」開館


■1988年 「クラボウ」を正式社名扱いとする


■1988年 創立100周年(3月9日)


■2013年 中国に「倉紡紡織國際」設立


略歴・経歴(プロフィール)
■大原孝四郎(おおはら・こうしろう)
【1833年~1910年】明治時代の実業家、社会事業家。大原孫三郎の父。備中(びっちゅう)(岡山県)出身。本姓は藤田。幼名は幸三。安政5年豪商大原壮平の養嗣子となる。明治21年倉敷紡績所(のちの倉敷紡績)初代社長となり、24年倉敷銀行を設立。31年大原奨学会を創設した。明治43年7月6日死去。78歳
ノートルダム大聖堂(パリ)の歴史


■パリのノートルダム大聖堂 はゴシック建築を代表する建物であり、フランス、パリのシテ島にあるローマ・カトリック教会の大聖堂である


■「パリのセーヌ河岸」という名称で、周辺の文化遺産とともに1991年にユネスコの世界遺産に登録された


■現在もノートルダム大聖堂は、パリ大司教座聖堂として使用されている


■ノートルダムとはフランス語で「我らが貴婦人」すなわち聖母マリアを指す


■ノートルダムの敷地は、ローマ時代にはユピテル神域であったが、ローマ崩壊後、キリスト教徒はこの地にバシリカを建設した


■1163年、司教モーリス・ド・シュリーによって、現在にみられる建築物が着工され、1225年に完成した


■ファサードを構成する双塔は1250年に至るまで工事が続けられ、ヴォールトを支えるフライング・バットレスは12世紀に現様式に取り替えられた。最終的な竣工は1345年


■1789年に始まったフランス革命により他の教会同様にノートルダム大聖堂も襲撃を受け、大聖堂を飾っていた歴代の王の彫像が破壊されて埋められた


■この彫像群は1977年に工事の際偶然発見され、現在では近くにあるクリュニー中世美術館に展示されている


■1831年のヴィクトル・ユーゴーの小説『ノートルダム・ド・パリ』(「ノートルダムのせむし男」)の舞台になった


略歴・経歴(プロフィール)
■ヴィクトール=マリー・ユゴー
【1802年~1885年】フランス・ロマン主義の作家、詩人、小説家。七月王政時代からフランス第二共和政時代の政治家。フランス東部のブザンソン生まれ。1959年~1965年まで発行されていた5フラン紙幣に肖像画として採用された


■カトリック教会は、ローマ教皇を中心として全世界に12億人以上の信徒を有するキリスト教最大の教派。その中心をローマの司教座に置くことからローマ教会、ローマ・カトリック教会とも呼ばれる


■フランスのノートルダム大聖堂
・ノートルダム大聖堂(ルーアン)
・ノートルダム大聖堂 (ストラスブール)
・ノートルダム大聖堂 (パリ)
・ノートルダム大聖堂 (アミアン)
・ノートルダム大聖堂 (ランス)
・ノートルダム大聖堂 (シャルトル)
近江商人の歴史・種類


■近江商人(おうみしょうにん)は、主に鎌倉時代から昭和時代(特に戦前期)にかけて活動した近江国・滋賀県出身の商人である


■大坂商人・伊勢商人と並ぶ日本三大商人の一つである


■近江商人の種類
近江商人は愛知郡(愛知川・枝村)、蒲生郡(八幡・日野)、神崎郡(五箇荘・能登川)などの出身者が多数いて、日野商人、八幡(はちまん)商人、五箇荘(ごかのしょう)商人、能登川(のとがわ)商人など、その発生した地域によって名称が別れた


■もっとも活動の早かったのは、日野と八幡で、有名な中井家は日野商人の中心となった一族である


■当時世界最高水準の複式簿記を考案したのも中井家である


■近江商人の商売哲学(三方よし)
三方よし「売り手よし、買い手よし、世間よし」は売り手の都合だけで商いをするのではなく、買い手が心の底から満足し、さらに商いを通じて地域社会の発展や福利の増進に貢献しなければならないという意味


略歴・経歴(プロフィール)
■中井源左衛門(なかい・げんざえもん)
【1716年~1805年】江戸時代中期の近江商人。中井家は代々佐々木家(六角氏)に仕え蒲生郡岡本村(現・蒲生郡日野町)にいたが、織田信長との観音寺城の戦いの後、1584年(元正11年)に蒲生郡日野に移住し、中井と称する。日野椀(日野塗り)の製造販売を商う
オンリーの歴史・沿革


■株式会社オンリーは京都市下京区に本社を置く、紳士および婦人服、雑貨の販売を行う会社である

■設立年月日:昭和51年6月22日

■市場情報:東証2部

■特色
「ザ・スーパースーツストア」等ツープライス店軸に自社ブランド紳士服を販売。丸井と業務提携


■1970(昭和45年)
・中西浩一が京都山科にオーダースーツ専門店「紳士服中西」開業。テーラーとしての出発

■1976(昭和51年)
・京都・北山通に第一号店を出店
・株式会社オンリー設立
・京都北山通に初の物販店となるメンズブティック「オンリー本店」オープン

■2005(平成17年)
・大阪証券取引所・ヘラクレス市場(現東京証券取引所・ジャスダック市場)に株式上場

■2008(平成20年)
・株式会社丸井グループとの業務提携の合意を発表

■2014(平成26年)
・中西浩一が取締役会長に、中西浩之(浩一の息子)が代表取締役社長にそれぞれ就任

■2015(平成27年)
・株式上場市場を東京証券取引所第二部へ変更


略歴・経歴(プロフィール)
■中西浩一(なかにし・こういち)
日本の実業家。株式会社オンリー創業者。1946年9月15日生まれ。京都市左京区出身。鴨沂高卒。1964年紳士服店に入社し、1970年に紳士服中西設立。1976年にオンリーを設立し、社長に就任。2002年に会長、2006年6月から会長兼社長。2014年11月26日 会長


略歴・経歴(プロフィール)
■中西浩之(なかにし・ひろゆき)
日本の経営者。紳士および婦人服、雑貨の販売会社、株式会社オンリーの社長。京都市左京区出身。同志社大大学院修了。2005年、オンリー入社。丸井グループに入る。オンリーに再入社。2013年 取締役。2014年 社長に就任。36歳(2015年10月3日現在)
西日本鉄道の歴史・沿革


■西日本鉄道株式会社(にしにっぽんてつどう)は、福岡県を基盤に鉄道路線、バス路線などの路線網を持つ大手私鉄である

■西鉄グループの中心となる会社である

■設立年月日:明治41年12月17日

■創立年月日:昭和17年9月22日

■本社所在地は福岡県福岡市中央区天神一丁目11番17号に所在する福岡ビル


■西日本鉄道は、1908年(明治41年)に設立され1911年(明治44年)に開業した九州電気軌道(九軌)が前身である


■1942年(昭和17年)
9月19日 九州電気軌道が福博電車・九州鉄道・博多湾鉄道汽船・筑前参宮鉄道を合併
9月22日 西日本鉄道に社名変更


■2001年(平成13年) 大牟田線を「天神大牟田線」、西鉄福岡駅を「西鉄福岡(天神)駅」に線名・駅名変更


■2013年(平成25年) 天神大牟田線に新しい列車案内表示システムを導入開始


■2014年(平成26年) 博多駅・福岡空港~太宰府「太宰府ライナーバス旅人」運行開始
西鉄福岡市内線の歴史


■福岡市内線(ふくおかしないせん)は、かつて福岡県福岡市の市内を走っていた西日本鉄道(西鉄)の軌道路線の総称である


■1979年(昭和54年)2月11日に全線が廃止された


■以下の7路線があった
貫線(かんせん)
循環線(じゅんかんせん)
城南線(じょうなんせん)
呉服町線(ごふくまちせん)
貝塚線(かいづかせん)
吉塚線(よしづかせん)
築港線(ちっこうせん、貨物線)


■福岡市内線の母体は、関西財界の福澤桃介、松永安左エ門らによって設立された福博電気軌道と、地元資本家の渡辺與八郎らによって設立された博多電気軌道である


■この2社は明治時代末期のほぼ同時期、福岡市内でそれぞれ別々に路面電車を開通させ、以後、要所で両社の路線を接続させつつも別々に路線網を拡大していった


■なお福博電気軌道はのちに合併や社名変更により博多電灯軌道→九州電灯鉄道→関西電気→東邦電力と名を変え、博多電気軌道は1912年(明治45年)に九州水力電気に吸収合併されたのち1929年(昭和4年)に分離され博多電気軌道(二代目)となっている


略歴・経歴(プロフィール)
■福澤桃介(ふくざわ・ももすけ)
【1868年~1938年】明治から昭和初期にかけて活動した日本の実業家。旧姓は岩崎で、福澤諭吉の婿養子となり福澤姓を名乗る。相場師として日露戦争後の株式投機で財を成し、その後実業界に転ずる。1909年、福博電気軌道株式会社が発足。桃介が取締役社長、松永が専務取締役となり直ちに着工、翌1910年3月に開業させた。電気事業に関与し、名古屋電灯を買収して社長となり木曽川などで水力開発を手がけ、後に大手電力会社大同電力の初代社長となった


略歴・経歴(プロフィール)
■松永安左ェ門(まつなが・やすざえもん)
【1875年~1971年】電力中央研究所所長。長崎県壱岐郡生まれ。慶応義塾中退。日本銀行員、石炭商等を経て明治42年に福博電気軌道の設立に加わり、電気事業経営に関係。その後、九州電燈鉄道(現・九州電力)、旧東邦電力の経営に参画。戦後、電気事業再編成審議会会長に就任、国営電力会社を分割し、民営による九電力体制を築きあげた。トインビー「歴史の研究」の翻訳も手掛けた。95歳で没
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