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ノートルダム大聖堂(パリ)の歴史


■パリのノートルダム大聖堂 はゴシック建築を代表する建物であり、フランス、パリのシテ島にあるローマ・カトリック教会の大聖堂である


■「パリのセーヌ河岸」という名称で、周辺の文化遺産とともに1991年にユネスコの世界遺産に登録された


■現在もノートルダム大聖堂は、パリ大司教座聖堂として使用されている


■ノートルダムとはフランス語で「我らが貴婦人」すなわち聖母マリアを指す


■ノートルダムの敷地は、ローマ時代にはユピテル神域であったが、ローマ崩壊後、キリスト教徒はこの地にバシリカを建設した


■1163年、司教モーリス・ド・シュリーによって、現在にみられる建築物が着工され、1225年に完成した


■ファサードを構成する双塔は1250年に至るまで工事が続けられ、ヴォールトを支えるフライング・バットレスは12世紀に現様式に取り替えられた。最終的な竣工は1345年


■1789年に始まったフランス革命により他の教会同様にノートルダム大聖堂も襲撃を受け、大聖堂を飾っていた歴代の王の彫像が破壊されて埋められた


■この彫像群は1977年に工事の際偶然発見され、現在では近くにあるクリュニー中世美術館に展示されている


■1831年のヴィクトル・ユーゴーの小説『ノートルダム・ド・パリ』(「ノートルダムのせむし男」)の舞台になった


略歴・経歴(プロフィール)
■ヴィクトール=マリー・ユゴー
【1802年~1885年】フランス・ロマン主義の作家、詩人、小説家。七月王政時代からフランス第二共和政時代の政治家。フランス東部のブザンソン生まれ。1959年~1965年まで発行されていた5フラン紙幣に肖像画として採用された


■カトリック教会は、ローマ教皇を中心として全世界に12億人以上の信徒を有するキリスト教最大の教派。その中心をローマの司教座に置くことからローマ教会、ローマ・カトリック教会とも呼ばれる


■フランスのノートルダム大聖堂
・ノートルダム大聖堂(ルーアン)
・ノートルダム大聖堂 (ストラスブール)
・ノートルダム大聖堂 (パリ)
・ノートルダム大聖堂 (アミアン)
・ノートルダム大聖堂 (ランス)
・ノートルダム大聖堂 (シャルトル)
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近江商人の歴史・種類


■近江商人(おうみしょうにん)は、主に鎌倉時代から昭和時代(特に戦前期)にかけて活動した近江国・滋賀県出身の商人である


■大坂商人・伊勢商人と並ぶ日本三大商人の一つである


■近江商人の種類
近江商人は愛知郡(愛知川・枝村)、蒲生郡(八幡・日野)、神崎郡(五箇荘・能登川)などの出身者が多数いて、日野商人、八幡(はちまん)商人、五箇荘(ごかのしょう)商人、能登川(のとがわ)商人など、その発生した地域によって名称が別れた


■もっとも活動の早かったのは、日野と八幡で、有名な中井家は日野商人の中心となった一族である


■当時世界最高水準の複式簿記を考案したのも中井家である


■近江商人の商売哲学(三方よし)
三方よし「売り手よし、買い手よし、世間よし」は売り手の都合だけで商いをするのではなく、買い手が心の底から満足し、さらに商いを通じて地域社会の発展や福利の増進に貢献しなければならないという意味


略歴・経歴(プロフィール)
■中井源左衛門(なかい・げんざえもん)
【1716年~1805年】江戸時代中期の近江商人。中井家は代々佐々木家(六角氏)に仕え蒲生郡岡本村(現・蒲生郡日野町)にいたが、織田信長との観音寺城の戦いの後、1584年(元正11年)に蒲生郡日野に移住し、中井と称する。日野椀(日野塗り)の製造販売を商う
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