歴史
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野村総合研究所 沿革
野村総合研究所の歴史・沿革
■株式会社野村総合研究所(のむらそうごうけんきゅうしょ)は、東京都千代田区丸の内に本社を置く、日本の最大手シンクタンク、コンサルティングファーム、システムインテグレーターである
■本社所在地:東京都千代田区丸の内1-6-5 丸の内北口ビル
■創業日:1965年4月1日
■事業内容
・コンサルティング
・金融ITソリューション
・産業ITソリューション
・IT基盤サービス
■1965年 4月1日
(株)野村総合研究所(NRI)設立
■1967年
ニューヨーク事務所(現 ノムラ・リサーチ・インスティテュート・アメリカ)を開設
■1994年
台北事務所(現野村総合研究所(台湾)有限公司)を開設
■1995年
ソウル支店(現野村総合研究所ソウル)を開設
■2001年
東京証券取引所第一部に株式を上場
■2010年
野村総合研究所(大連)有限公司を設立
■2013年
野村総合研究所タイを設立
■2015年7月
NRIみらい(株)を設立
■2015年10月
日本智明創発ソフト(株)と北京智明創発有限公司をグループ会社化
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[2015/11/29 Sun]
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株式会社ヨックモック 沿革
ヨックモックの歴史・沿革
■株式会社ヨックモックは、東京都港区南青山に本店がある洋菓子店である
■葉巻のような形のクッキー「シガール」を代表とする焼き菓子は、全国の百貨店等で取り扱われている
■本社所在地:東京都千代田区九段北1-8-10住友不動産九段ビル
■事業内容:菓子製造販売、その他
■設立年月日:2009年9月1日
■1957年
足立区梅島に東京工場(現・株式会社ヨックモッククレア東京工場)完成
■1969年
百貨店向け菓子販売会社として株式会社ヨックモックを設立
■1972年
今市工場(現・株式会社ヨックモッククレア日光工場)操業を開始
■1978年 東京都港区南青山に本社ビル完成
■1984年 株式会社ステージワイツウを設立
■2007年
伊勢丹新宿店に「アンリ・ルルー」ブランドを日本1号店として展開
■2009年
株式会社ステージワイツウを持株会社として株式会社ヨックモックホールディングスに商号変更
■2009年
原宿にテナントビル「ワイ・エム スクウェア表参道」完成
■2011年 今市工場を閉鎖。新たに日光工場を建設、操業を開始
略歴・経歴(プロフィール)
■藤縄武士(ふじなわ・たけし)
日本の経営者。株式会社ヨックモックホールディングス社長。創業者の孫。藤縄利康会長は父に当たる。年齢44歳(2015年11月27現在)。ヨックモックホールディングス専務を経て、2015年11月24日 社長に就任
[2015/11/27 Fri]
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日本カーリット株式会社 沿革
日本カーリットの歴史・沿革
■日本カーリット株式会社は東京都中央区京橋に本社を置く、化学品、電子材料品等の製造及び販売を行う企業である
■社名の由来となったカーリット爆薬の技術力を基に産業用爆薬、自動車・高速道路用の発炎筒、電解による化学薬品、コンデンサなどに使われる電子材料、化学物質の危険性評価や蓄電池の充放電試験などの領域に事業を拡大し、日本の産業基盤を支えている
■本社:東京都中央区京橋1丁目17番10号
■創業者:浅野総一郎(浅野財閥創始者)
■創立:昭和9年(1934年)
■1916年
初代、浅野総一郎がスウェーデンカーリット社から爆薬カーリットの極東に於ける製造販売の特許権を取得し、浅野同族会社においてその研究開発に着手
■1918年
浅野同族株式会社に製薬部を新設し、同年カーリット爆薬の特許取得
■1919年
横浜市保土ヶ谷区に工場(保土ヶ谷工場)を建設し、爆薬「カーリット」の製造を開始
■1920年
(旧)日本カーリット株式会社を設立
■1934年
浅野カーリット株式会社(資本金150万円)を創立。 カーリット事業を浅野セメント株式会社より継承
■1951年
社名を日本カーリット株式会社と改称
■2013年
日本カーリット株式会社の株式移転により純粋持株会社「カーリットホールディングス株式会社」を設立
略歴・経歴(プロフィール)
■浅野総一郎(あさのそ・ういちろう)
【1848年~1930年】浅野財閥創業者。セメント王。越中国氷見郡(ひみぐん)(現・富山県氷見市)薮田(やぶた)村生まれ。明治17年浅野セメントを創業してセメント王への道を邁進。さらに造船、海運、電力、築港埋立、銀行の分野に進出して浅野財閥を形成した。また浅野学園(横浜市)の創立者でもある。82歳で没
[2015/11/26 Thu]
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株式会社日本製鋼所 沿革
日本製鋼所の歴史・沿革
■株式会社日本製鋼所(にほんせいこうしょ)は、鋼板、鍛造品、鋳造品、プラスチックの射出成形機、戦車や艦艇の砲を製造する日本の株式会社である
■本社:東京都品川区大崎1丁目11番1号
■創業:1907年(明治40年)11月1日
■設立:1950年(昭和25年)12月11日
■後に日本の鉄鋼業の一大基地となる北海道室蘭市に、兵器の国産化を目的として、英国側(アームストロング社・ビッカース社)と北海道炭礦汽船株式会社との共同出資による国家的事業としてスタート
■第二次世界大戦敗戦に伴い、1950年(昭和25年)に解散したが、新たに資本金2億円をもって(株)日本製鋼所を設立。旧会社から室蘭・広島・横浜・東京の4製作所および本店その他の営業所を継承して新発足した
■太平洋戦争後、蓄積した高度な技術・ノウハウを基盤に平和産業へ転換。優れた「鋼」
づくりと、それらを活かした「機械」の開発、さらに新規事業分野の開拓に努める。その
活動は、電力・鉄鋼・造船・石油化学などの重化学工業のみならず、自動車・電器・情報
機器などの幅広い分野にわたり、「鋼と機械の総合メーカー」として、国内はもちろん世
界的にも高い評価を得るようになる
略歴・経歴(プロフィール)
■石塚粂蔵(いしづか・くめぞう)
【1886年~1962年】日本の経営者。株式会社日本製鋼所社長を歴任。明治19年2月17日生まれ。東京出身。東京高等商業学校(のちの一橋大学)卒業後、日本製鋼所に入社。イギリスの兵器メーカーのビッカースに出向後、日本製鋼所室蘭工場次長、事務部長などを経て、1945年社長に就任。公職追放解除後1955年 社長に復帰。兵器産業界で指導的役割をはたした昭和飛行機工業社長、日経連理事などもつとめた
[2015/11/26 Thu]
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株式会社成城石井 沿革
成城石井の歴史・沿革
■株式会社成城石井は、関東地方を中心に、中部地方、近畿地方に店舗を展開する食料品主体のスーパーマーケットチェーンである
■事業内容:スーパーマーケット、輸入、卸売販売、食品製造、飲食店
■当初は、高級スーパーマーケットのカテゴリーに属していたが、レックス・ホールディングスの傘下になってからは、一般的なスーパーマーケットとしての経営方針に転換した
■本部所在地:神奈川県横浜市西区北幸二丁目9番30号横浜西口加藤ビル5階
■創業:1927年2月
■創業者:石井隆吉(いしい・りゅうきち)
■1927年 東京都世田谷区成城にて、食品店として創業
■1976年 「成城店」新店舗落成、スーパーマーケットとして営業開始
■1997年 初のエキナカ店舗である「アトレ恵比寿店」オープン
■2001年 初の阪急リテールズ FC店「梅田店」大阪府にオープン(関東圏外初出店)
■2013年 100店舗達成「イオンモールむさし村山店」オープン
■2015年 初の遠隔地単店オペレーションとして、山梨県初出店となる「セレオ甲府店」オープン
略歴・経歴(プロフィール)
■石井良明(いしい・よしあき)
日本の実業家。株式会社成城石井社長を歴任。1964年 慶應義塾大学商学部卒業。1976年成城石井「成城店」店舗落成、スーパーマーケットとして営業開始。1997年 初の駅ナカ店舗である「アトレ恵比寿店」オープン。2004年 レインズインターナショナル(現レックス・ホールディングス)へ株式の66.7%を譲渡
[2015/11/26 Thu]
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東京エレクトロン株式会社 沿革
東京エレクトロンの歴史・沿革
■東京エレクトロン株式会社は、東京都港区赤坂に本社を置く、半導体製造装置およびフラットパネルディスプレイ製造装置をビジネスとする会社である
■この分野でのシェアは、日本で第1位、世界で第3位である
■本社所在地:東京都港区赤坂5-3-1 赤坂Bizタワー
■創業者:久保徳雄、小高敏夫
■設立年月日:1963年(昭和38年)11月11日
■市場情報:東証1部
■東京エレクトロンの前身である東京エレクトロン研究所は1963年11月11日に東京で設立された
■設立当初は小規模で、従業員は6名であった
■東京エレクトロン研究所は、1970年頃からはじまるベンチャーブームより前に、日商(後の日商岩井、双日)をスピン・オフした、久保徳雄と小高敏夫らによって設立された
■初代社長は東京放送常務の遠藤幸吉だが、実質的には全権は久保、小高に委ねられた
■1978年 東京エレクトロン(株)に商号変更
■1980年 東京証券取引所市場第二部に上場
■1984年 東京証券取引所市場第一部に指定替え
略歴・経歴(プロフィール)
■久保徳雄(くぼ・とくお)
日本の経営者。東京エレクトロン株式会社創業者。大分大学卒業後、日商(のちの双日)入社。その後、東京エレクトロンの社長・会長などを務めた
略歴・経歴(プロフィール)
■小高敏夫(こだか・としお)
日本の経営者。東京エレクトロン株式会社創業者。1936年東京で生まれる。慶応義塾大学工学部電気科卒業。日商(現双日)入社。東京エレクトロン研究所の創立に参加。東京エレクトロン社長を歴任
[2015/11/26 Thu]
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鈴与株式会社 沿革
鈴与株式会社の歴史・沿革
■鈴与株式会社(すずよ)は、静岡県静岡市を本拠とする、物流業を営む企業である
■持株会社の鈴与ホールディングスは、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟する清水エスパルスの運営会社である株式会社エスパルスや静岡空港を拠点とする航空会社フジドリームエアラインズなどを傘下におさめる
■本社所在地:静岡県静岡市清水区入船町11-1
■創立者:初代鈴木与平
■創業:享和元(1801)年
■創立:昭和11(1936)年
■享和元年 初代鈴木与平、回漕業・播磨屋をはじめる
■文久3年 初めて製茶を横浜に送る
■明治9年 郵便汽船三菱社(日本郵船の前身)の積荷扱店となる
■明治27年 帝国海上保険(損保ジャパンの前身)の代理店となる
■明治28年 石炭販売業をはじめる
■昭和11年 鈴与商店を株式会社に組織変更
■平成13年 創業200周年記念としてフェルケール博物館に和船寄贈
略歴・経歴(プロフィール)
■鈴木与平(すずき・よへい)
日本の経営者。鈴与株式会社 社長を歴任。昭和16年静岡に生まれる。昭和40年 慶應義塾大学経済学部卒業。昭和42年 東京大学経済学部卒業。昭和52年 鈴与株式会社社長に就任
[2015/11/25 Wed]
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碓氷峠
碓氷峠の歴史
■碓氷峠(うすいとうげ)は、群馬県安中市松井田町と長野県北佐久郡軽井沢町との境にある日本の峠である
■標高は約 960 m。信濃川水系と利根川水系とを分ける中央分水嶺である
■峠の長野県側に降った雨は日本海へ、群馬県側に降った雨は太平洋へ流れる
■200 万年ほど前には現在の碓氷峠は海中にあり、クジラやサメなどが生息していた
■古来より坂東と信濃国をつなぐ道として使われてきたが、難所としても有名であった。この碓氷坂および駿河・相模国境の足柄坂より東の地域を坂東と呼んだ
■『日本書紀』景行紀には、日本武尊(ヤマトタケル)が坂東平定から帰還する際に碓氷坂(碓日坂)にて、安房沖で入水した妻の弟橘媛をしのんで「吾妻(あづま)はや」とうたったとある
■中世には碓氷峠付近の主要道は現在の大字峠(地図中の旧碓氷峠)を通るようになった
■江戸時代には中山道が五街道のひとつとして整備され、旧碓氷峠ルートが本道とされた
■碓氷峠は、関東と信濃国や北陸とを結ぶ重要な場所と位置づけられ、峠の江戸側に関所(坂本関)が置かれて厳しい取締りが行われた。峠の前後には坂本宿・軽井沢宿が置かれている
■明治に入ってもその重要性は変わらず、1882年に従来の南側に新道が作られ、1886年には馬や車での通行が可能となった
■鉄道においても碓氷峠を越えることは早くから重要視され、上野駅-横川駅間が1885年に、さらに軽井沢駅 - 直江津駅間が1888年に開通する
略歴・経歴(プロフィール)
■日本武尊(ヤマトタケルノミコト)第12代景行天皇の皇子、第14代仲哀天皇の父とされる。『日本書紀』では日本武尊、『古事記』では倭建命と記される
[2015/11/21 Sat]
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パラカ株式会社 沿革
パラカ株式会社の歴史・沿革
■パラカ株式会社は、時間制駐車場の管理・運営を行う企業である
■時間貸し駐車場運営・管理。土地賃借型を中心に土地自社保有型も展開。地方都市展開に重点を置いている
■本社:東京都港区麻布台1-11-9CR神谷町ビル9F
■創業者:内藤亨(ないとう・りょう)
■設立年月日:1997年(平成9年)8月22日
■市場情報:東証1部
■1997年8月 東京都新宿区にパルク株式会社を設立
■1997年9月 賃借駐車場第1号を文京区にオープン
■1998年3月 日本証券業協会に株式を店頭取扱有価証券として届出
■2004年9月 本社所在地を東京都港区麻布台に移転
■2004年12月 東京証券取引所マザーズ市場上場
■2013年9月 東京証券取引所市場第一部へ市場変更
■2014年11月 東京都新宿区に新宿営業所を開設
略歴・経歴(プロフィール)
■内藤亨(ないとう・りょう)
日本の実業家。パラカ株式会社の創業者。1956年7月生まれ。広島県出身。広島大学政経学部卒業。1979年4月 野村證券株式会社入社。1988年12月 ゴールドマン・サックス証券会社入社。1994年10月 有限会社リョウコーポレーション設立。1997年8月 パラカ株式会社設立、代表取締役社長に就任
[2015/11/20 Fri]
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小樽運河
小樽運河の歴史
■小樽運河(おたるうんが)は、北海道の小樽市にある運河である
■大正12年(1923年)に完成した
■札幌の北西約35キロメートルに位置する、北海道を代表する観光地・小樽。石造り倉庫群の並ぶ小樽運河は、異国情緒にあふれ、その他ガラスの町、寿司の町、石原裕次郎のふるさととしても知られている
■内陸に水路を掘ったものではなく、沖合を埋立て、陸との間に出来た水路であり、「埋立て式運河」と呼ばれる
■海上に停泊した船舶からの貨物を乗せた艀(はしけ)舟を係留し、貨物の荷揚げに使われた
■人力で荷揚げする方式は戦後に入り衰退していった
■戦後は樺太等との交易がなくなったため、物流の拠点としても急速に廃れていった
■無用の長物と化し、放置されていた小樽運河はヘドロがたまり悪臭が漂うようになった
■1960年代に入り、運河を埋め立てて、道路として整備する方針が小樽市から打ち出された
■1986年には北海道道17号小樽港線 (通称:小樽臨港線)が開通する。散策路やガス灯が整備され、大きく様変わりした運河周辺は、小樽の一大観光スポットに成長し、1996年には都市景観100選を受賞した
■現在では、立地の関係からか、当初の景色を残す北運河よりも、半分を埋め立てて散策路を整備した臨港線部分に観光客が多い。運河の両岸には煉瓦や札幌軟石で造られた重厚な倉庫群が立ち並び、往時をしのぶことができる
■石原裕次郎記念館(いしはらゆうじろうきねんかん)は、北海道小樽市築港5-10にある記念館及びそれを運営する石原プロモーションの関連会社(商号:株式会社石原裕次郎記念館)である。1991年(平成3年)に会社設立・開館した
■石原裕次郎は3歳から9歳までの幼少期を小樽で過ごしており、それが縁で開設された
略歴・経歴(プロフィール)
■石原裕次郎(いしはら・ゆうじろう)
【1934年~1987年】日本の俳優、声優、歌手であり、司会者やモデルといったマルチタレント。石原軍団総帥、石原プロモーション代表取締役社長(初代)兼会長を務めた。ヨットマンとしても活動していた。兵庫県神戸市須磨区で生まれる。神奈川県逗子市で育つ。身長183cm、血液型はA型。「銀座の恋の物語」、「二人の世界」、「夜霧よ今夜も有難う」などの数々のヒット曲もある。北海道小樽市に石原裕次郎記念館がある
[2015/11/13 Fri]
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株式会社桂川精螺製作所 沿革
桂川精螺製作所の歴史・沿革
■株式会社桂川精螺製作所(かつらがわせいらせいさくしょ)は東京都大田区に本社を置く、自動車部品、冷間圧造品、工作機械周辺装置などを製造する企業である
■創立:1938年9月1日
■創業者:石井義昌
■本社:東京都大田区矢口3-24-1
■生産品目
・自動車部品、冷間圧造品、工作機械周辺装置、小ねじ、座金組込みねじ、ボルト等の規格品
■1938年9月
初代社長石井義昌が、蒲田(現大田区)矢口418番地に桂川精螺製作所を設立。ねじの冷間圧造(塑性加工)の先駆をなす
■1951年11月
現在地の大田区矢口3−24−1に移転
■1979年5月
高松宮殿下のご台臨を仰ぎ、会社創立40周年記念式典を挙行。工場ご視察を賜り、ねじ業界の社会的地位を高める
■1980年9月
防衛庁認定工場(航空機ねじ関係)の指定を受ける
■2015年11月
株式会社桂川精螺製作所が株式会社桂川精螺掛川製作所を吸収合併し、資本金を1億円に減資
略歴・経歴(プロフィール)
■石井義昌(いしい・よしまさ)
日本の実業家。株式会社桂川精螺製作所の創業者。1938年9月蒲田(現大田区)矢口418番地に桂川精螺製作所を設立。ねじの冷間圧造(塑性加工)の先駆をなす。1983年4月に多年にわたる業界育成の功績により勲三等瑞宝章を受章。同年10月に死去
[2015/11/09 Mon]
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潤野炭鉱
潤野炭鉱の歴史
■潤野炭鉱(うるのたんこう)は嘉穂郡鎮西村(現在の福岡県飯塚市)にあった炭鉱である
■潤野炭鉱は明治19年(1886年)、明治の女性実業家、広岡浅子が37歳の時に買収したことで知られる炭鉱である
■最初、広岡浅子は石炭を購入して海外へ輸出する事業をしていたが、次に筑豊の炭鉱主への出資を手配。さらに福岡県嘉穂郡鎮西村(現在の福岡県飯塚市)にあった潤野炭鉱を買い取り、炭鉱経営そのものに手を伸ばした
■しかし失敗する。炭鉱には大きな断層がふさがり、思っていたような産出量にはならず、炭鉱は休業を余儀なくされた
略歴・経歴(プロフィール)
■「広岡浅子(ひろおか・あさこ)
【1849年~1919年】日本の実業家、教育者、社会運動家。山城国京都(現・京都府京都市)の小石川三井家六代当主・三井高益の四女として生まれる。17歳で大坂の富豪加島屋(かしまや)広岡信五郎と結婚。維新後は実業界にはいり、鉱山を経営。加島銀行設立、大同生命の創業にくわわった。日本女子大の創立にもつくした。晩年に受洗。日本YWCA中央委員
[2015/11/09 Mon]
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三浦工業株式会社 沿革
三浦工業の歴史・沿革
■三浦工業株式会社(みうらこうぎょう)は、愛媛県松山市に本社を置く、ボイラーを中心とした機器の製造開発をおこなう企業である
■小型貫流式蒸気ボイラーのシェアで日本国内トップを誇り、また食品加工機器などでも高いシェアを持つ
■事業内容
・小型貫流ボイラー・舶用ボイラー・排ガスボイラー・水処理装置・食品機械・滅菌器・薬品等の製造販売、メンテナンス、環境計量証明業 等
■本社:愛媛県松山市堀江町7番地
■創業者:三浦保(みうら・たもつ)
■設立:1959年(昭和34年)5月1日
■市場情報:東証1部
■1927年、精麦・精米機の製造・販売を目的とする三浦製作所として創業
■1959年 各種ボイラー・精麦・精米機の製造のため、株式会社三浦製作所(資本金2百万円、代表取締役 三浦保)を設立
■1960年 同社の主力となる小型貫流ボイラーの製造を開始、日本のみならず世界中でシェアを有する企業に成長する
■その後も水処理機器や蒸気滅菌機器、食品加工機器などの分野に進出、それぞれの分野で高いシェアを有する
略歴・経歴(プロフィール)
■三浦保(みうら・たもつ)
【1928年~1996年】日本の実業家、芸術家。三浦工業株式会社の創業者。愛媛県松山市生まれ。松山工業学校機械科卒業。徳島工業専門学校機械科卒業、四国機械工業(現・住友重機械工業愛媛製造所)入社。同年退社し、父・政次郎の三浦製作所に入社して精麦機などの改良開発に取り組む。1959年三浦製作所を株式会社として立ち上げ、代表取締役社長就任。1978年 販売部門の三浦工業(株)を吸収合併し、三浦工業に統合。1989年 代表取締役会長就任
[2015/11/03 Tue]
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いすゞ自動車株式会社 沿革
いすゞ自動車の歴史・沿革
■いすゞ自動車株式会社(いすずじどうしゃ)は、主にトラック・バスの商用車を製造する日本の自動車メーカーである
■日本国内の自動車メーカーの中で最も古い歴史を持つ企業のひとつであり、自動車・船舶・産業用ディーゼルエンジン技術を得意とする
■主要製品
・大型・中型・小型トラック、バス、自動車用ディーゼルエンジン、産業用ディーゼルエンジン
■本社:東京都品川区南大井6-26-1 大森ベルポートA館
■創業:1916年
■設立:1937年4月
■いすゞの創業は1916年。(株)東京石川島造船所と東京瓦斯電気工業(株)が自動車製造を企画したことに始まり、国内の現存自動車メーカーの中では最古の歴史を誇っている
■1922年にはウーズレーA9型国産第1号乗用車が完成
■1934年には商工省標準形式自動車を伊勢神宮の五十鈴川に因んで「いすゞ」と命名
■これが、いすゞの社名の由来となっており、1949年に商号を現在の「いすゞ自動車株式会社」に変更
■第二次大戦後、いすゞはトラックを精力的に開発・生産し、食糧はもちろんあらゆる物資を運び、戦後の復興に大きな役割を果たす
■1985年 日本初の自動車メーカーとして、中国・四川省重慶市で小型トラック (エルフ)の現地生産を慶鈴汽車との間で開始
■1987年 北米生産拠点としてスバル・イスズ・オートモーティブ(略称:SIA)創立
■2010年 国内年間トラック販売台数(大、中型の合計)で日野自動車を抜き初めて首位に立つ
[2015/11/02 Mon]
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