桂川精螺製作所の歴史・沿革


■株式会社桂川精螺製作所(かつらがわせいらせいさくしょ)は東京都大田区に本社を置く、自動車部品、冷間圧造品、工作機械周辺装置などを製造する企業である

■創立:1938年9月1日

■創業者:石井義昌

■本社:東京都大田区矢口3-24-1

■生産品目
・自動車部品、冷間圧造品、工作機械周辺装置、小ねじ、座金組込みねじ、ボルト等の規格品


■1938年9月
初代社長石井義昌が、蒲田(現大田区)矢口418番地に桂川精螺製作所を設立。ねじの冷間圧造(塑性加工)の先駆をなす

■1951年11月
現在地の大田区矢口3−24−1に移転

■1979年5月
高松宮殿下のご台臨を仰ぎ、会社創立40周年記念式典を挙行。工場ご視察を賜り、ねじ業界の社会的地位を高める

■1980年9月
防衛庁認定工場(航空機ねじ関係)の指定を受ける

■2015年11月
株式会社桂川精螺製作所が株式会社桂川精螺掛川製作所を吸収合併し、資本金を1億円に減資


略歴・経歴(プロフィール)
■石井義昌(いしい・よしまさ)
日本の実業家。株式会社桂川精螺製作所の創業者。1938年9月蒲田(現大田区)矢口418番地に桂川精螺製作所を設立。ねじの冷間圧造(塑性加工)の先駆をなす。1983年4月に多年にわたる業界育成の功績により勲三等瑞宝章を受章。同年10月に死去
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潤野炭鉱の歴史


■潤野炭鉱(うるのたんこう)は嘉穂郡鎮西村(現在の福岡県飯塚市)にあった炭鉱である


■潤野炭鉱は明治19年(1886年)、明治の女性実業家、広岡浅子が37歳の時に買収したことで知られる炭鉱である


■最初、広岡浅子は石炭を購入して海外へ輸出する事業をしていたが、次に筑豊の炭鉱主への出資を手配。さらに福岡県嘉穂郡鎮西村(現在の福岡県飯塚市)にあった潤野炭鉱を買い取り、炭鉱経営そのものに手を伸ばした


■しかし失敗する。炭鉱には大きな断層がふさがり、思っていたような産出量にはならず、炭鉱は休業を余儀なくされた





略歴・経歴(プロフィール)
■「広岡浅子(ひろおか・あさこ)
【1849年~1919年】日本の実業家、教育者、社会運動家。山城国京都(現・京都府京都市)の小石川三井家六代当主・三井高益の四女として生まれる。17歳で大坂の富豪加島屋(かしまや)広岡信五郎と結婚。維新後は実業界にはいり、鉱山を経営。加島銀行設立、大同生命の創業にくわわった。日本女子大の創立にもつくした。晩年に受洗。日本YWCA中央委員
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