碓氷峠の歴史


■碓氷峠(うすいとうげ)は、群馬県安中市松井田町と長野県北佐久郡軽井沢町との境にある日本の峠である

■標高は約 960 m。信濃川水系と利根川水系とを分ける中央分水嶺である

■峠の長野県側に降った雨は日本海へ、群馬県側に降った雨は太平洋へ流れる

■200 万年ほど前には現在の碓氷峠は海中にあり、クジラやサメなどが生息していた

■古来より坂東と信濃国をつなぐ道として使われてきたが、難所としても有名であった。この碓氷坂および駿河・相模国境の足柄坂より東の地域を坂東と呼んだ

■『日本書紀』景行紀には、日本武尊(ヤマトタケル)が坂東平定から帰還する際に碓氷坂(碓日坂)にて、安房沖で入水した妻の弟橘媛をしのんで「吾妻(あづま)はや」とうたったとある

■中世には碓氷峠付近の主要道は現在の大字峠(地図中の旧碓氷峠)を通るようになった

■江戸時代には中山道が五街道のひとつとして整備され、旧碓氷峠ルートが本道とされた

■碓氷峠は、関東と信濃国や北陸とを結ぶ重要な場所と位置づけられ、峠の江戸側に関所(坂本関)が置かれて厳しい取締りが行われた。峠の前後には坂本宿・軽井沢宿が置かれている

■明治に入ってもその重要性は変わらず、1882年に従来の南側に新道が作られ、1886年には馬や車での通行が可能となった

■鉄道においても碓氷峠を越えることは早くから重要視され、上野駅-横川駅間が1885年に、さらに軽井沢駅 - 直江津駅間が1888年に開通する


略歴・経歴(プロフィール)
■日本武尊(ヤマトタケルノミコト)第12代景行天皇の皇子、第14代仲哀天皇の父とされる。『日本書紀』では日本武尊、『古事記』では倭建命と記される
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