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ダイニチ工業の歴史・沿革


■ダイニチ工業株式会社は、新潟県新潟市に本社を置く石油暖房機器製造会社である


■業務用大型石油ストーブ、家庭用石油ファンヒーターのシェア首位


■加湿器、空気清浄機、焙煎機能付コーヒーメーカー、生ごみ乾燥処理機などの分野にも進出


■同じく新潟県が本社のコロナとは創業地が同じ三条市でライバル関係にあり、石油暖房機器分野でシェア争いを続けている


■創立:1964年(昭和39年)4月


■創立者:佐々木文雄


■市場情報:東証1部


■本社:新潟県新潟市南区北田中780番地6


■事業内容
・石油ファンヒーター、業務用石油ストーブ、加湿器、発煙用機器、その他部品(サービスパーツ)、コーヒーメーカー他


■現在のダイニチ工業が誕生したのは昭和39年4月、創業者の佐々木文雄を含めわずか18名でスタートした


■当初は様々な石油燃焼機器を生産・販売しており、業務用ブルーヒーターを発売する昭和46年までは、売上高で2億円、従業員数も50名ほどの会社であった


■その後は二度のオイルショックを乗り越えながら業務用ブルーヒーターで成長を続け、昭和55年には家庭用石油ファンヒーター市場に参入、現在は家庭用、業務用の開放式石油暖房機を中心に、培った技術を応用した様々な製品をラインナップに加えている


■1964年 石油バーナー、石油ふろ釜を製造販売するメーカーとして、新潟県三条市にダイニチ工業株式会社を設立


■1977年 業界初の全自動の石油暖房機器(大型石油ストーブ)を開発し、製造販売を開始


■1980年 着火スピードが業界最短の気化器を搭載した石油暖房機器(石油ファンヒーター)を開発し、製造販売を開始


■1987年 発煙用機器を開発し、製造販売を開始


■1997年 コーヒーメーカーを開発し、製造販売を開始

■1998年 株式を東京証券取引所市場第2部、新潟証券取引所(2000年3月1日付で東京証券取引所に吸収合併)に上場


■2003年 東京証券取引所市場第1部銘柄に指定


■2013年 新潟県新潟市西蒲区打越第1工業団地内に中之口工場を取得
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三八五流通の歴史・沿革


■三八五流通株式会社(みやごりゅうつう)は、青森県八戸市に本社を置く運送会社である


■青森県下の三戸、八戸および五戸などを地盤とする運送業として、1947年に八戸市において南部貨物自動車の三八五営業所の業務を開始し、1949年 三八五貨物自動車運送として発足した


■本社所在地:青森県八戸市大字長苗代字上中坪35番地1号


■創業年月日:昭和22年6月26日


■代表取締役社長:泉山元(いずみやま・はじめ)2015年12月現在


■事業内容
・一般貨物自動車運送事業(特別積合せ貨物運送)
・一般貨物自動車運送事業
・倉庫業[普通倉庫・定温倉庫・冷蔵倉庫・保税上屋]
・利用運送事業[鉄道・航空・自動車]
・産業廃棄物収集運搬業
・物品販売[融雪剤、酒類、煙草、産直品他]
・有料職業紹介事業・派遣業


■昭和22年青森県八戸市において南部貨物自動車(株)三八五営業所として業務開始


■昭和24年三八五貨物自動車運送株式会社として新発足


■昭和26年八戸~大館路線を開設し県外初の免許を取得


■昭和30年八戸~東京路線の第1便開始


■昭和38年 三八五自動車学校業務開始


■ 昭和46年 航空貨物の取扱業務開始


■昭和58年 引越業務本格開始・宅配業務開始


■平成25年 有料職業紹介事業許可更新


■平成26年 引越新システムの導入
北野建設の歴史・沿革


■北野建設株式会社(きたのけんせつ)は、長野県長野市に本社を置く長野県大手の建設会社(中堅ゼネコン)である


■長野本社:長野県長野市県町524


■東京本社:東京都中央区銀座1-9-2


■初代社長:北野吉登


■設立:昭和21(1946)年8月


■市場情報:東証1部


■1887年に4代目社長・北野貴裕の曽祖父が製糸業を始める


■生糸暴落をきっかけに祖父の代に製材業に転換


■戦後、焼け野原となった東京を舞台に父・北野次登が長野の木材をもとに建築業を始める


■以後、高度成長とともに順調に業績を伸ばし、1973年に上場を果たす。北野次登は、ホテル経営や企業メセナにも熱心で、長野放送の社長や上田女子短期大学(学校法人北野学園)の理事長なども務め、精力的ながらワンマンな経営者として名を馳せた


■1946年 北野建築工業株式会社設立


■1948年 商号を北野建設株式会社に変更


■1973年 東京証券取引所第2部上場


■1981年 東京証券取引所第一部へ指定替


■1985年 創立40周年。本社新館竣工


■1995年 創立50周年。ザ・キタノ ニューヨーク リニューアルオープン


■2011年 コーポレートステートメントを「未来を育てる人がいる」に改訂。社員と施工作品をテーマにした新しい企業CM放映開始


■2014年 太陽光発電事業(川中嶋太陽光発電所)を開始
サカキ重機の歴史・沿革


■株式会社サカキ重機は、ビル、工場、プラント、橋梁、煙突、木造家屋など、あらゆる構造物の解体工事を、関東地方を中心に広く手がけている


■見積作成から計画立案、施工ならびに管理までを、一貫して業務を行う


■近年においては、官公庁からの工事も受注している


■本社所在地:東京都練馬区高松6-37-3


■資本金:3,000万円(2015年12月現在)


■従業員:工事部50名、営業・経理・総務部15名


■営業品目
・建造物・工作物の解体撤去(ビル・工場・プラント・一般家屋等)
・各種アタッチメントの修理


■創業年月日:昭和55年1月12日


■設立年月:昭和60年1月


■HPに掲載されている経営幹部(2015年12月現在)
代表取締役社長:榊和博
代表取締役会長:榊三平  
専務取締役:皆川克己
専務取締役:榊友範


■昭和55年1月12日 個人にて創業


■昭和60年1月 有限会社サカキ重機を設立


■平成7年4月 株式会社サカキ重機に組織変更


■平成17年7月 役員変更


■近年においては、官公庁からの工事も受注している


■解体工事実績
・川崎製鉄解体工事(清水工区)
・川崎製鉄解体2期工事(清水工区) 
・専修大学附属高等学校解体工事 
・文化学園軽井沢山荘解体工事
・法政大学学生会館等解体工事 
・法政大学学生会館地下解体工事
・法政大学学生会館解体工事 3期工事
・三菱マテリアル株式会社総合研究所(S-3地区)
三菱商事の歴史・沿革


■三菱商事株式会社(みつびししょうじ)は、三菱グループの大手総合商社である


■2015年現在、総合商社(三菱商事、三井物産、伊藤忠商事、住友商事、丸紅、豊田通商、双日)中のトップである


■創立年月日:1954年7月1日(設立1950年4月1日)


■初代社長:高垣勝次郎(旧三菱商事最後の社長)


■1954年 総合商社・三菱商事が新発足し、東京・大阪両証券取引所に株式上場


■1967年 三菱商事初の経営計画を発表


■1968年 初の大型投資となるブルネイでのLNG開発事業への投資決定。オーストラリアやカナダの鉄鉱石・原料炭、メキシコの塩田事業に代表される、単なる商取引にとどまらない開発投資型ビジネスをグローバルに展開


■1992年 「健全なグローバル・エンタプライズ」を目標とする経営方針発表


■2010年 全社開発部門を地球環境事業開発部門・ビジネスサービス部門に改組し拡充を図る


■2013年5月 「経営戦略2015」を発表


略歴・経歴(プロフィール)
■高垣勝次郎(たかがき・かつじろう)
【1893年~1967年】旧三菱商事最後の社長で、戦後財閥解体された三菱商事を再興し初代社長も務めた。広島県尾道市出身。東京帝国大学法学部卒業。東京銀行の最後の頭取及び東京三菱銀行の初代頭取を務めた高垣佑は息子
ユアサ商事の歴史・沿革


■ユアサ商事株式会社(ユアサしょうじ)は、東京都中央区に本社を置く1666年創業の商社である


■本社所在地:東京都千代田区神田美土代町7番地


■事業内容:産業機器、工業機械、管材・空調、住宅・建材、建設機械など


■創業:1666年(寛文6年)3月


■設立:1919年(大正8年)6月25日


■創業者:初代湯淺庄九郎


■1666年(寛文6年)
初代湯淺庄九郎が京都にて創業


■1674年(延宝2年)
江戸に店を開く


■1688年(元禄元年)
屋号「やまずみ」の制定


■1919年(大正8年6月)
湯淺七左衛門商店を設立(本店京都、支店東京、大阪)資本金200万円


■1940年(昭和15年10月)
湯淺金物株式会社に商号変更


■1962年(昭和37年8月)
株式1部上場(東京、大阪)


■1978年(昭和53年6月)
湯浅商事株式会社に商号変更


■1992年(平成4年4月)
旧湯浅商事株式会社と旧ユアサ産業株式会社が合併。ユアサ商事株式会社に商号変更


■2009年(平成21年6月)
設立90周を迎える


■2015年(平成27年3月)
「ジャパン・レジリエンスアワード(強靭化大賞)」で金賞受賞
伍魚福の歴史・沿革


■株式会社伍魚福(ごぎょふく)は兵庫県神戸市長田区に本社を置く、珍味を中心とする食品メーカーである


■本社:神戸市長田区野田町8丁目5番14号


■創始者:山中正親(明治・大正年間、食品製造販売業を営む)


■初代社長:山中直次郎(1955年~1966年)


■社歴
・昭和30年4月1日 有限会社五魚福創立
・昭和45年1月8日 株式会社伍魚福に改組現在に至る


■伍魚福(ごぎょふく)は、先々代山中正親が明治年間より食品の加工製造を主生業としていたのを前身とする


■明治・大正年間、先々代 山中正親が食品製造販売業を営む


■1955年、有限会社五魚福として山中直次郎、山中勉の兄弟で創業。海産物を原料とした珍味を製造


■1960年「うに松葉」の開発に成功


■1966年 初代社長山中直次郎が死去、山中勉が社長となる


■1967年 垂水駅ショッピングセンターに出店


■1970年 株式会社伍魚福に改組


■1989年 業界初の冷蔵の珍味コーナー「チルド珍味シリーズ」を開発


■2011年 新ロゴ制定、CI導入
セーラー万年筆の歴史・沿革


■セーラー万年筆株式会社は、文房具を中心とした製造メーカーである


■日本初のボールペン製造や、カートリッジ式万年筆の特許取得など、日本の筆記用具業界をリードしてきた老舗である


■本社:東京都江東区毛利2-10-18


■市場情報:東証2部


■創業者:阪田久五郎


■創立年月日:1911年(明治44年)2月11日


■設立年月日:1932年(昭和7年)8月14日


■明治44年
阪田久五郎が広島県呉市稲荷町に阪田製作所を創業。国内初の万年筆、金ペン、画鋲、その他文房具類の製造販売を始める


■昭和7年
株式会社組織に変更し、社名を株式会社セーラー万年筆阪田製作所とする


■昭和23年
業界初のボールペン発売


■昭和24年
広島証券取引所上場


■昭和33年
カートリッジ式万年筆発売 (特許取得昭和29年)


■昭和35年
社名をセーラー万年筆株式会社に変更


■昭和36年
東京証券取引所市場第二部上場


■平成4年
世界初ボールペンチップ採用の修正ローリング発売


■平成21年
世界初無線コントローラ搭載のRZ-Σシリーズ開発


■平成23年
会社創立100周年


■平成23年7月
公式音声ペン通販ショップ『セーラー電子文具ショップ』(sailor-densibungu.jp)オープン


■平成23年8月
窓ガラス用断熱塗料「スマートコート」発売


略歴・経歴(プロフィール)
■阪田久五郎
日本の実業家。セーラー万年筆株式会社創業者。友人がイギリス土産にくれた万年筆に激しい衝撃を受けたことが原点となり、1911年(明治44年)広島県呉市に阪田製作所を創業。創業当時は、軸だけを製造し、輸入されたペン先を取り付けて販売。その後、研究と試行錯誤を重ね、昭和4年頃には、ペン先が2つに割れた金ペンを完成。昭和23年には、プラスチック射出成型で量産する日本最初の万年筆を、さらに昭和33年には他社に先駆けカートリッジ万年筆を発売するなど、市場の最先端を常に切り拓いてきた
明治のチョコレートの種類


■明治ミルクチョコレート
・1926年9月13日発売。ロングセラーの板チョコレート


■マーブルチョコレート
・1961年に発売


■アーモンドチョコレート
・1962年に発売


■アポロ
・1969年8月7日から製造販売しているチョコレート菓子である
・全体は円錐形で、側面にギザギザが入っている
・下部はミルクチョコレート、上部は苺味のチョコレートの2層になっている


■きのこの山
・1975年に発売。キノコの形をしたチョコスナック
・キノコの傘部分はミルクチョコレートとビターチョコレートの二層式になっている
・柄の部分はクラッカーである
・明治製菓社員がアポロチョコレートにビスケットを付けた姿がキノコに似ている事から、商品開発された


■たけのこの里
・1979年に発売
・きのこの山の姉妹品だが、売り上げはたけのこの里の方が多いという
・中身はクッキー。外側にチョコレートのコーティングがかかっており、このチョコレートはミルクチョコレートとビターチョコレートの二層になっている
ロッテのチョコレートの種類


■ガーナチョコレート
・ガーナチョコレートは、ロッテが販売しているチョコレートブランドの一つ
・ロッテ創業から16年後の1964年2月、それまでは主にチューインガムを製造していたロッテが初めてガーナミルクチョコレートを発売した


■クランキーチョコレート
・1974年9月発売開始
・麻袋をモチーフにしたパッケージは30年経った今もほとんど変わっていない
・サクサクッと軽いモルトパフとなめらかなミルクチョコレートとのバランスが売り


■ビックリマン
・1977年から発売
・本体となる「ビックリマンチョコ」は、チョコレートをウエハースではさんだもの
・おまけとしてシールが封入されており、特に「悪魔VS天使」シリーズは1980年代から1990年代初頭にかけて大ブームを起こし、アニメなど様々な関連商品を生み出した


■パイの実
・1979年から発売


■コアラのマーチ
・1984年3月より発売
・六角柱の箱にビスケットが約20個入っている
・ビスケットは、コアラの絵がカラメルで印刷され、中にチョコレートが注入されている
・ロングセラー商品の1つで、日本の他に10の国と地域で発売されている


■紗々(さしゃ)
・1995年発売開始
・セミビターチョコレートとホワイトチョコレートの2種類のチョコレートを使用
・それぞれの細い線状に加工されたチョコレートが編み上げられているのが特徴
株式会社明治の歴史・沿革


■株式会社明治(めいじ)は、日本の大手食品会社である


■菓子、牛乳、乳製品や一般用医薬品の製造・販売を主軸に事業展開を行う


■明治ホールディングスの完全子会社


■旧社名は明治乳業。明治グループの再編で、2011年4月1日を以って、旧明治製菓から同社の手掛けていた菓子・飲料・食品・一般用医薬品事業を引き継ぎ、現社名へ商号変更した


■本社所在地:東京都江東区新砂一丁目2番10号


■設立年月日:1917年12月21日


■創業者の一人:相馬半治(そうま・はんじ)


■1906年 明治製糖(明治グループの起源)設立


■1916年10月 明治製菓の前身となる、東京菓子株式会社が設立される


■1921年 「カルミン」発売


■1924年 社名を明治製菓株式会社に改称する


■1926年 「ミルクチョコレート」発売


■1957年 「ミルクチョコレートデラックス」発売


■1961年 「マーブルチョコレート」発売


■1940年 乳業部門を明治乳業へ委託する(1943年9月全面譲渡)


■1975年 「きのこの山」発売。ネーミングのよさと相まって大ヒット


■2001年 バイエル薬品と販売に関する業務提携を結び、解熱鎮痛薬「バイエルアスピリン」を発売


■2009年 明治乳業と共同持株会社「明治ホールディングス株式会社」を設立し、明治製菓は明治ホールディングスの完全子会社となる


■2011年 明治グループの事業再編に伴い、社名を「Meiji Seika ファルマ株式会社」に変更、医療用薬品事業部門に特化。菓子・食品・一般用薬品部門は「株式会社明治」(明治乳業から社名変更)へ移管された


略歴・経歴(プロフィール)
■相馬半治(そうま・はんじ)
【1869年~1946年】日本の実業家、研究者。明治製糖、明治製菓の創立者の一人。1869年8月15日、現在の愛知県で生まれる。1903年に東京高等工業学校(現東京工業大学)の教授となり、1906年に教授を辞めて明治製糖の設立に加わり、1916年に明治製菓設立に加わり、1923年から1942年まで明治製菓会長
鹿鳴館の歴史・概要


■鹿鳴館(ろくめいかん)は、国賓や外国の外交官を接待するため、明治政府によって建てられた社交場である


■鹿鳴館を中心にした外交政策を「鹿鳴館外交」、欧化主義が広まった明治10年代後半を「鹿鳴館時代」と呼ぶ


■当時の極端に走った欧化政策を象徴する存在でもあった


■計画を推進したのは外務卿の井上馨である


■井上は欧米風の社交施設を建設して外国使節を接待し、日本が文明国であることをひろく諸外国に示す必要があると考えた


■同館落成の1883年(明治16年)より1887年(明治20年)までの時期がいわゆる鹿鳴館時代と呼ばれる


■建物は後に華族会館となり、1940年(昭和15年)に取壊された


■現在、跡地にはNBF日比谷ビル(旧大和生命ビル)が立っている


■鹿鳴館の正門として使用された旧薩摩藩装束屋敷跡の通称「黒門」は旧国宝に指定されていたが、1945年(昭和20年)の空襲で焼失した


略歴・経歴(プロフィール)
■井上馨(いのうえ・かおる)
【1836年~1915年】長州藩士、政治家、実業家。太政官制時代に外務卿、参議など。黒田内閣で農商務大臣を務め、第2次伊藤内閣では内務大臣など、数々の要職を歴任した
日光東照宮の歴史


■日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)は、日本の関東地方北部、栃木県日光市に所在する神社


■江戸幕府初代将軍・徳川家康を神格化した東照大権現(とうしょうだいごんげん)を祀る


■日本全国の東照宮の総本社的存在である


■正式名称は地名等を冠称しない「東照宮」であるが、他の東照宮との区別のために、「日光東照宮」と呼ばれることが多い


■その歴史は少なくとも源義朝による日光山造営までさかのぼり得るもので、源頼朝がその母方の熱田大宮司家の出身者を別当に据えて以来、鎌倉幕府、関東公方、後北条氏の歴代を通じて、東国の宗教的権威となっていた


■こうした歴史を背景に、徳川氏は東照宮を造営したと考えられる


■源義朝(みなもとの・よしとも)略歴
【1123年~1160年】関東に源氏の基盤を築いた中興の祖。源義朝は清和源氏の棟梁であった源為義の嫡男で、幼少から青年期までを関東で過ごした。源氏の跡継ぎとして期待されていた義朝は、相模の豪族であった三浦義明の娘や波多野義通(はたの・よしみち)の妹との間に子を成すなど婚姻による勢力拡大を積極的に行い、最盛期には東国の15ヶ国を支配するまでに勢力圏を広げる


■源頼朝(みなもとのよりとも)経歴(プロフィール)
【1147年~1199年(久安3年~建久10年)】鎌倉幕府初代将軍。平治元年(1159年)、平治の乱で父・義朝が敗れ、頼朝は伊豆に配流される。20年後、平家打倒のため挙兵。関東を平定し、鎌倉を本拠とした。木曽義仲、平家を滅ぼし、諸国に守護・地頭を設置。鎌倉幕府を創設した。享年53歳


■徳川家康(とくがわ・いえやす)略歴
【1542年~1616年(天文11年~元和2年)】江戸幕府初代将軍。岡崎城主松平広忠の子供として生まれるが、6歳のときより尾張の織田、駿河の今川で人質生活を送る。桶狭間の戦い以後、自立。信長と同盟、大大名になる。信長の死後、秀吉に臣従。秀吉の死後、関ヶ原の戦に勝利し3年後に幕府を開いた。大坂夏の陣で豊臣家を滅ぼす。75歳で没
東京産業の歴史・沿革


■東京産業株式会社は東京都千代田区大手町に本社を置く、各種機械・プラント・資材・工具・薬品などの国内販売を行う会社である


■創業者:安江安吉


■設立:1942年(昭和17年)4月16日


■創立:1947年(昭和22年)10月20日


■市場情報:東証1部


■事業内容:各種機械・プラント・資材・工具・薬品などの国内販売ならびに貿易取引、不動産賃貸業


■本社所在地:東京都千代田区大手町二丁目2番1号


■1942年4月16日、安江安吉氏が機械機具の製造販売を業とする大和機械株式会社を設立


■1947年3月、商号を東京建材工業株式会社に変更


■1947年7月、連合軍総司令部覚書により三菱商事株式会社が解散を命ぜられ同社機械部の有志が東京建材工業株式会社の経営権を譲り受け、商号を東京産業株式会社に変更


■1947年10月 三菱系各社支援の下、一般産業機械及び器具類の国内販売、輸出入を業とする機械専門商社として新発足し10月20日を創立記念日とした


■1948年5月 本社を東京都中央区日本橋蠣殻町に移転


■1951年7月 本社を東京都千代田区丸の内二丁目8番地に移転


■1959年8月 東京証券取引所に店頭株として公開


■1961年10月 東京証券取引所市場第2 部上場


■1963年7月 本店を東京都千代田区丸の内三丁目2番地に移転


■1996年9月 東京証券取引所市場第一部銘柄に指定


■2006年8月 本店を東京都千代田区大手町二丁目2番1号に移転


■2014年7月 TOKYO SANGYO EUROPE GmbH 設立


略歴・経歴(プロフィール)
■安江安吉
日本の実業家。1942年4月16日、機械機具の製造販売を業とする大和機械株式会社を設立。1947年3月、商号を東京建材工業株式会社に変更
ビクセンの歴史・沿革


■株式会社ビクセンは、埼玉県所沢市に本社を置く望遠鏡や双眼鏡、顕微鏡などの光学機器メーカーである


■創業:1949年10月


■設立:1954年


■創業者:土田耕助


■本社所在地:埼玉県所沢市東所沢五丁目17番地3


■事業内容
・天体望遠鏡、双眼鏡、顕微鏡、スポッティングスコープ、ルーペ、コンパス、CCDカメラ等の開発、設計、製作業務及び各商品の国内販売、輸出、輸入業務等


■1949年 土田耕助の個人営業として創業。光学器の卸販売開始


■1954年 株式会社光友社設立。新宿区若松町にて営業


■1969年 工場部門を分離し、ビクセン光学株式会社を設立。(所在地:東京都板橋区)


■1970年 株式会社光友社より、株式会社ビクセンに社名変更


■1976年 国内初のダイキャストによる本格的赤道儀式天体望遠鏡『ポラリス』シリーズを発売


■1984年 世界初、アマチュア向け天体自動導入装置『スカイセンサー』を発売


■1985年 現、所沢市東所沢に本社用地として土地3,960m²建坪3,300m²を購入、新宿区若松町より移転


■2003年 ドイツにおいて現地法人ビクセンヨーロッパを設立


■2014年 新設計5群5枚構成、超短焦点アストログラフ『VSD100F3.8鏡筒』を発売


略歴・経歴(プロフィール)
■土田耕助
日本の実業家。株式会社ビクセン創業者。1949年 土田耕助の個人営業として創業。光学器の卸販売開始。1954年 株式会社光友社(現株式会社ビクセン)設立
萩原工業の歴史・沿革


■萩原工業株式会社(はぎはらこうぎょう)は岡山県倉敷市水島に本社を置くブルーシートのトップメーカーである


■本社所在地:岡山県倉敷市水島中通一丁目4番地


■創業:1892年(明治25年)


■設立:1962年(昭和37年)11月29日


■市場情報:東証1部


■事業内容
ポリエチレン・ポリプロピレンを主原料とした合成樹脂繊維のフラットヤーンを用いた関連製品、およびフラットヤーン技術を応用したスリッター等、産業機械の製造・販売


■1892年
岡山県浅口郡西阿知町(現倉敷市西阿知町)にい草を使用した畳表や花筵を扱う萩原商店として創業

■1962年
花筵たて糸用ポリエチレン糸の製造販売を目的に株式会社萩原商店水島工場を分社独立

■1965年
ポリプロピレン延伸テープ製造のため、乾式延伸機を開発


■1967年
アメリカ・中近東・中南米・東南アジアへのプラント輸出を開始


■1974年
世界初のポリエチレン・ターポリンシート、一貫製造工場完成


■2000年
大阪証券取引所市場第二部上場 10億8百万円に増資


■2001年
東京証券取引所市場第二部上場


■2014年
東京証券取引所市場第一部上場
千趣会の歴史・沿革


■株式会社千趣会(せんしゅかい)は、大阪市北区同心に本社を置く大手通信販売会社である


■「ベルメゾン」(Belle Maison)のブランド名でその名を知られている



■元々はこけしの頒布販売から始まり、社名も「こけし千体趣味蒐集の会」の略称に由来するものである


■事業内容:カタログ事業、 頒布会事業、ブライダル事業 、法人事業、その他事業


■本社:大阪府大阪市北区同心1-8-9


■設立年月日:1955年11月9日


■市場情報:東証1部


■1954年 千趣会の前身「味楽会」発足。こけし頒布会開始


■1955年 株式会社千趣会 設立


■1958年 料理カード付き雑誌「たべもの千趣」創刊


■1960年 「たべもの千趣」を「クック」に改称


■1976年 カタログ「ベルメゾン」を創刊


■1984年 大阪証券取引所第二部上場


■1988年 東京証券取引所第二部上場


■1990年 東京・大阪証券取引所第一部上場


■2007年 暮らす服ショップ一号店オープン


■2011年 新企業ビジョン「ウーマンスマイルカンパニー」制定


■2013年 株式会社主婦の友ダイレクト 子会社化
たたら製鉄


■踏鞴製鉄((たたらせいてつ)とは、世界各地でみられた初期の製鉄法で、製鉄反応に必要な空気をおくりこむ送風装置の鞴(ふいご)がたたら(踏鞴)と呼ばれていたためつけられた名称である


■日本列島においては、この方法で砂鉄・岩鉄・餅鉄を原料に和鉄や和銑が製造された。こうして製造された鉄や銑は大鍛冶と呼ばれる鍛錬によって脱炭された


■日本の中国山地は「たたら製鉄」とともに発展したと言われる


■中国山地で豊富に採れた良質の砂鉄の原料に、鉄を精錬する。「たたら」と呼ばれるふいごを使って風を送ることからその名が付けられた。


■宮崎駿監督のアニメ映画「もののけ姫」で、山の神々と戦う「タタラの民」と呼ばれる人々が営んでいるのがたたら製鉄である


■今でも島根県、出雲安来地方では、実際にたたらによって製鉄が行われ、日本刀など、刃金(はがね)を製造している
ペガサスミシン製造の歴史・沿革


■ペガサスミシン製造株式会社(ペガサスミシンせいぞう)は、大阪府大阪市福島区に本社を置く工業用ミシンメーカーである


■ニットなどに使用される環縫いミシン専業で、世界シェアは約40%でトップシェアを誇る


■本社所在地:大阪市福島区鷺洲五丁目7番2号


■創業:大正3年1月


■創業者:美馬嘉蔵


■初代社長:美馬隆一


■市場情報:東証1部


■1914年 美馬嘉蔵が美馬ミシン商会を創業


■1934年 美馬隆一が美馬ミシン商会を継承


■1937年 オーバーロックミシンの国産第一号完成


■1947年 株式会社美馬ミシン工業所設立。美馬隆一が初代社長に就任


■1948年 美馬ミシン工業株式会社に社名変更


■1959年 ペガサスミシン製造株式会社に社名変更


■2007年 東京証券取引所市場第一部に株式上場


■2014年 創業100周年を迎える


略歴・経歴(プロフィール)
■美馬成望(みま・しげみ)
ペガサスミシン製造株式会社6代目社長。1968年生まれ。大阪府出身。1992年 大阪経済大学経済卒業
化学及血清療法研究所の歴史・沿革


■一般財団法人化学及血清療法研究所(かがくおよびけっせいりょうほうけんきゅうしょ)は、熊本県熊本市北区に本所を置く一般財団法人


■通称は化血研(かけつけん)


■事業内容:ワクチン・血漿分画製剤など生物学的医薬品の研究・開発・製造・供給


■所在地:熊本県熊本市北区大窪一丁目6番1号


■設立年月日:1945年(昭和20年)12月


■創設者:太田原豊一(熊本医科大学教授)


■1945年12月
・熊本医科大学教授太田原豊一博士の首唱により、戦前熊本医科大学に、ワクチン、抗血清、診断抗原等の製造・供与を目的に 設置されていた実験医学研究所を母体として、熊本市米屋町 にて設立


■1946年3月
・熊本市古京町(熊本城三の丸)に移転し、施設の拡充に着手


■1991年
・国産初の生体組織接着剤「ボルヒール」を発売


■2001年
・新・血漿分画製剤製造棟(NS棟)が完成


■2013年
・新型インフルエンザワクチン原液棟(FC棟)、新配送センターが完成


略歴・経歴(プロフィール)
■太田原豊一(おおたわら・とよいち)
【1889年~1948年】岡山県出身。伝染病研究所に入り石原喜久太郎に師事、鼠咬症スピロヘータ、痘毒の研究に従事、大正11年熊本医科大学に転じ、13年衛生学教授となった。この間、熊本県の地方病であった流行性腺熱の研究を行い、癩、鼠癩、非病原性抗酸性菌の研究に携わった。昭和20年熊本医大学長
暮しの手帖社の歴史・沿革


■株式会社暮しの手帖社(くらしのてちょうしゃ)は、『暮しの手帖』を発行している出版社として知られる


■主に家庭に関連する領域(エッセイ、住まい、料理、育児、健康など)の本を出版している


■所在地:東京都新宿区北新宿1-35-20


■創業者:大橋鎭子


■暮しの手帖社の前身、衣裳研究所は、1946年3月に東京銀座で大橋鎭子と花森安治のコンビで創業された


■戦後まもない、物の無い時代でもおしゃれに美しく暮らしたいと願う女性への、服飾の提案雑誌『スタイルブック』出版がスタートとなった


■1948年9月 『美しい暮しの手帖』創刊。衣裳研究所から、暮しの手帖社に社名を変更


■1951年1月 株式会社に組織変更


■1956年2月 「婦人家庭雑誌に新しき形式を生み出した努力」に対し、第4回菊池寛賞を受賞


■1971年11月『からだの読本』が第25回毎日出版文化賞を受賞


■2003年12月 東京都新宿区北新宿1丁目に社屋を移転


略歴・経歴(プロフィール)
■大橋鎭子(おおはし・しずこ)
【1920年~2013年】日本の編集者、エッセイスト、実業家、経営者。株式会社暮しの手帖社の創業者。雑誌『暮しの手帖』の創刊者。1920年3月10日東京・麹町の榊病院で生まれる。東京府立第六高等女学校(現東京都立三田高等学校)卒業


略歴・経歴(プロフィール)
■花森安治(はなもり・やすじ)
【1911年~1978年】日本の編集者、グラフィックデザイナー、ジャーナリスト。生活雑誌『暮しの手帖』の創刊者として、その名を知られる。1911年10月25日兵庫県神戸市で生まれる。東京帝国大学卒業後、伊東胡蝶園(のちのパピリオ)宣伝部に入社、広告デザインに携わる。終戦後の1946年、編集者・画家の大橋鎭子(社長)と共に衣装研究所を設立し、雑誌『スタイルブック』を創刊した
株式会社高速の歴史・沿革


■株式会社高速(こうそく)は、宮城県仙台市に本社をおく食品向けトレー、ラップ、弁当容器を中心とした軽包装資材の専門商社である


■本社:宮城県仙台市宮城野区扇町七丁目4番20号


■創業者:赫規矩夫(てらし・きくお)


■設立年月日:1966年2月12日


■市場情報:東証1部


■創業者である 赫規矩夫(てらし・きくお)は、1957年 大学卒業と同時に金銭登録機や計算機を輸入し販売している「日本アレン金銭登録機械株式会社」に就職


■その後、1965年11月に、同社は全国の各営業所を独立させ同社の地域販社にするという組織改正により、同社の仙台営業所も「東北アレン株式会社」として独立


■本社役員兼務のまま同社の代表取締役として仙台に赴任、3ヶ月後の1966年2月には親会社の株を買い取り独立した


■独立を契機に事務機器の訪問販売の他に消耗品によるリピート販売にも着目する


■1975年 郡山支店、塩釜支店、八 戸営業所を開設


■1999年 東京証券取引所市場第二部に上場


■2002年 東京証券取引所市場第一部に指定替え


■2015年 関東物流センター竣工、開所


略歴・経歴(プロフィール)
■赫規矩夫(てらし・きくお)
日本の実業家。株式会社高速の創業者。昭和32年大学卒業と同時に金銭登録機や計算機を輸入し販売している「日本アレン金銭登録機械株式会社」に就職。その後独立する。2015年11月25日、病気のため81歳で死去。妻は由美子
株式会社ポーラの歴史・沿革


■株式会社ポーラは、主に婦人用の化粧品の製造・販売を行う企業である


■所在地:東京都品川区西五反田2-2-3


■事業内容:化粧品の製造・販売


■設立年月日:1946年7月11日


■創業者:鈴木忍


■1929年、創業者の鈴木忍が厳しい生活のため、手が荒れてしまった妻をいたわるため独学でクリームをつくった。これが化粧品事業のはじまりとなった

■1929年 鈴木忍が静岡で創業


■1940年「ポーラ化成工業株式会社」設立(法人化)


■1946年「株式会社ポーラ化粧品本舗」設立(法人化)


■2004年 袋井工場が緑化優良工場として内閣総理大臣賞受賞


■2006年 純粋持株会社 ポーラ・オルビスホールディングス設立


■2007年 ポーラ販売(株)を本社に統合。 株式会社ポーラ化粧品本舗を株式会社ポーラに改称


■2014年 静岡工場と袋井工場を統合


略歴・経歴(プロフィール)
■鈴木常司(すずき・つねし)
【1930年~2000年】日本の経営者。昭和5年7月6日生まれ。静岡県出身。立大卒。昭和29年創業者である父・鈴木忍の急死により留学先のアメリカから帰国、24歳でポーラ化成工業とポーラ化粧品本舗の社長となる。セールスレディーによる高級化粧品の訪問販売「ポーラ商法」で業績をのばした
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