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上高地 概要
上高地の歴史・沿革
■上高地(かみこうち)は、長野県西部の飛騨山脈南部の梓川上流の景勝地である。中部山岳国立公園の一部ともなっており、国の文化財(特別名勝・特別天然記念物)に指定されている。標高約1,500m。全域が松本市に属する
■上高地は、飛騨山脈(北アルプス)の谷間(梓川)にある、大正池から横尾までの前後約10km、幅最大約1kmの堆積平野である
■かつて岐阜県側に流れていた梓川が焼岳火山群の白谷山の噴火活動によってせき止められ池が生じ、そこに土砂が堆積して生まれたと考えられている
■「日本近代登山の父」と呼ばれた、英国人宣教師ウォルター・ウェストンが1896年(明治29年)に英国で出版した『日本アルプスの登山と探検』で上高地や穂高連邦、槍ケ岳を称賛。以後、多くの外国人登山家や、国内の皇族などが上高地を訪れた。未開拓な地であったが、山岳リゾートの幕開けとなった
■芥川龍之介が、1927年(昭和2年)に発表した小説『河童』では、物語の冒頭に上高地と河童橋を登場させており、この小説の影響で上高地の名は一躍全国的な知名度を上げた
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[2016/09/19 Mon]
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佐渡金山 概要
佐渡金山の歴史・沿革
■佐渡金山(さどきんざん)は、新潟県佐渡市にある金山である。鉱石は主に銀黒(ぎんぐろ)と呼ばれる石英中に輝銀鉱および自然金の微粒子が脈状に存在するものであった。金山遺跡のうち相川鉱山関係遺跡が「佐渡金山遺跡」として国の史跡に指定されている
■佐渡金山は、1601年に山師3人により開山されたと伝えられる。1603年には徳川幕府直轄の天領として佐渡奉行所が置かれ、小判の製造も行われ江戸幕府の財政を支えた
■1601年(慶長6年)鶴子銀山の山師3人により発見
■1603年(慶長8年)佐渡奉行大久保長安の管轄となる
■1868年(明治元年)工部省に所属
■1889年(明治22年)宮内省御料局に所属
■1896年(明治29年)三菱合資会社に払い下げられる
■1918年(大正7年)三菱鉱業株式会社(現・三菱マテリアル)に引き継がれる
大久保長安(おおくぼ・ながやす/ちょうあん)略歴
【1545年~1613年】戦国時代の武将。武田氏、次いで徳川氏の家臣。後に江戸幕府勘定奉行、老中となった。まったくの外様(30歳近くまで徳川家と関わりがなかった)で老中(加判)に就いた唯一の人物であり、その謎めいた生涯は多くのフィクションの対象となっている
[2016/09/03 Sat]
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