穴太衆の歴史  


■穴太衆(あのうしゅう)は、日本の近世初期にあたる織豊時代(安土桃山時代)に活躍した、石工の集団。主に寺院や城郭などの石垣施工を行った技術者集団である


■石工衆(いしくしゅう)、石垣職人(いしがきしょくにん)とも称す。「穴太」の歴史的仮名遣での読み仮名は「あなふ」である


■穴太衆積は自然の石を自然の形に積み重ねていくところに特徴があり、石の心がわかり石の声が聞こえてはじめて一人前といわれる


■穴太衆は、近江の比叡山山麓にある穴太(穴太ノ里[あのうのさと]などとも俗称。現在の滋賀県大津市坂本穴太。延暦寺と日吉大社の門前町・坂本の近郊)の出身で、古墳築造などを行っていた石工の末裔であるという


■穴太衆は寺院の石工を任されていたが、高い技術を買われて、安土城の石垣を施工したことで、織田信長や豊臣秀吉らによって城郭の石垣構築にも携わるようになった


■それ以降は江戸時代初頭に到るまでに多くの城の石垣が穴太衆の指揮のもとで作られた


■彼らは全国の藩に召し抱えられ、城石垣等を施工するようになったというが、不明な部分も多い



織田信長(おだ・のぶなが)略歴
1534年~1582年(天文3年~天正10年)尾張の戦国武将。尾張を統一し、桶狭間の戦いで今川義元を破ったのち、斎藤氏を破り美濃を制圧。足利義昭を追放して室町幕府を実質的に滅亡させた。1582年(天正10年)、天下統一を前に家臣の明智光秀に襲われ、京の本能寺で自害した。享年49歳


豊臣秀吉(とよとみ・ひでよし)略歴
1537年~1598年(天文6年~慶長3年)戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・天下人・関白・太閤。尾張出身の戦国武将。農家出身ながら、織田信長に仕え、頭角を現す。1582年(天正10年)、本能寺の変で信長が横死にすると明智光秀を討ち、その後の後継者争いに勝利する。1590年(天正18年)、北条氏を下して事実上の天下統一を達成した。 62歳で没
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