ペリリュー島の歴史・概要


■ペリリュー島はパラオの島の一つ。パラオ諸島の主要な島の一つで、パラオの主要諸島の南西部に位置する


■面積はおおよそ13キロヘーホーメートル、標高は最大で50m。ペリリュー州に属しており、同州の住民の多くがこの島に居住しており、州の中心でもある


■第2次世界大戦時には太平洋戦争のマリアナ・パラオ諸島の戦いにおいてペリリューの戦いの中心地となり激しい戦闘が行われ、旧日本軍の歩兵第2・第15連隊は壊滅した


■天皇皇后は2015年4月8日から9日にかけてパラオ行幸啓に際し、島の南端に日本国政府が1985年設置した慰霊碑「西太平洋戦没者の碑」を、初めて訪問した


■ペリリューの戦いは、太平洋戦争中の1944年(昭和19年)9月15日から1944年11月25日にかけ、ペリリュー島(現在のパラオ共和国)で行われた日本軍守備隊(守備隊長:中川州男陸軍大佐)とアメリカ軍(第1海兵師団長:ウィリアム・リュパータス海兵少将、第81歩兵師団長:ポール・ミュラー陸軍少将)の陸上戦闘をいう


■要塞化した洞窟陣地などを利用しゲリラ戦法を用いるという日本軍が見せた組織的な抵抗、戦術は、後の硫黄島の戦いへと引き継がれていくことになった


■中川 州男(なかがわ・くにお)略歴・経歴(プロフィール)
【1898年~1944年】日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。熊本県出身。小学校校長・中川文次郎の三男として生まれる。玉名中学校を経て、1918年5月、陸軍士官学校(30期)を卒業し見習士官。1944年9月15日、アメリカ軍がペリリュー島に上陸、日米は熾烈な戦闘を継続(ペリリューの戦い)。昭和天皇から中川部隊へ嘉賞11度、上級部隊司令部から感状3度が与えられた。しかし次第に物量に勝る米軍の前に劣勢を強いられ、中川は自決した。満46歳没
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