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櫛田神社の歴史・沿革


■櫛田神社(くしだじんじゃ)は、福岡市博多区にある神社である


■所在地:福岡県福岡市博多区上川端町1-41


■櫛田神社は、古くより博多の氏神・総鎮守として信仰を集めている神社である。7月の博多祇園山笠や10月の博多おくんちなどの祭事をおこなう


■祭神は大幡大神(櫛田大神)、天照皇大神、素盞嗚大神(祇園大神)の三神で、正殿に大幡主神、左殿に天照大神、右殿に素盞嗚神が祀られている


■社伝では、天平宝字元年(757年)、松阪にあった櫛田神社を勧請したのに始まるとされ、松坂の櫛田神社の祭神の大幡主神が天照大神に仕える一族の神であったことから、天照大神も一緒に勧請されたと伝えられる


■天慶4年(941年)、小野好古が藤原純友の乱を鎮めるために京都の八坂神社に祈願し、平定した後に素盞嗚神を勧請したと伝えられる


■平安時代末期、平清盛が所領の肥前国神埼の櫛田神社(櫛田宮)を、日宋貿易の拠点とした博多に勧請したものであるとする説がある


■戦国時代に荒廃したが、天正15年(1587年)、豊臣秀吉によって博多が復興されるときに現在の社殿が造営された


■明治元年(1868年)の神仏分離令より前の江戸時代までは東長寺に属する神護寺が櫛田神社を管理していた


■明治24年(1891年)に県社に列した


■平清盛(たいらの・きよもり) 略歴
【1118年~1181年(元永1年~養和1年)】平安時代末期の武将・公卿・政治家。伊勢平氏の頭領である平忠盛の嫡子として伊勢産品(うぶしな、現在の三重県津市産品)で生まれる。生母は不明だが祇園女御の妹という説がある。保元、平治の乱で対立する勢力を一掃し、藤原氏に代わって政権をにぎる。太政大臣となり、娘の徳子を高倉天皇の中宮に入れ、その子供が安徳天皇となる。平氏の全盛を招き一門の繁栄をはかったが、反平氏勢力が各地で旗揚げするなか病死する。享年64歳


■豊臣秀吉(とよとみ・ひでよし)略歴
【1537年~1598年(天文6年~慶長3年)】戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・天下人・関白・太閤。尾張出身の戦国武将。農家出身ながら、織田信長に仕え、頭角を現す。1582年(天正10年)、本能寺の変で信長が横死にすると明智光秀を討ち、その後の後継者争いに勝利する。1590年(天正18年)、北条氏を下して事実上の天下統一を達成した。 62歳で没

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