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加島屋の歴史


■加島屋は、鴻池(こうのいけ)屋と並び、江戸時代に経済の中心であった大坂を代表する大商人であった


■寛永の頃から大坂御堂前で米問屋を始め、両替商も兼営した。のちに「十人両替」に任命された。諸藩の蔵元・掛屋になり、大名貸で鴻池家と並び称された


■加島屋の初代となる広岡久右衛門正教(まさのり)は、1625(寛永2)年に大坂・御堂前(みどうまえ)に移り住んだとされ、最初に正教が手掛けたのは、精米業であった


■2代目当主・正保(まさやす)と3代目当主・正道(まさみち)の頃に御堂前から玉水町(現在の大同生命大阪本社ビル一帯)に店舗を移す


■4代目当主・正喜(まさのぶ)は堂島米会所設立の翌年、1731年、同会所の「米年寄(こめどしより)に任命される。これは会所の総責任者ともいうべき役職であり、市場の秩序の維持、仲買人や彼らの株札の管理などにあたった


■この正喜(まさのぶ)の時代に加島屋は天下の豪商となり、明治維新まで大坂経済の中心的役割を担った


■明治になり、名だたる豪商が潰れるなか、加島屋は、維新の勝者である長州藩のメインバンクを江戸時代から務めており、新政府の成立と同時に、金穀出納掛(きんこくすいとうがかり)という官職にも就くことができたため、この混乱を乗り越える


■加島銀行、大同生命を設立して、加島屋9代目当主・広岡久右衛門正秋が加島銀行初代頭取、大同生命初代社長に就任した


■加島銀行は昭和恐慌により廃業したが、大同生命は現在も存在しており加島屋が残した遺産企業といえる
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