日光東照宮の歴史


■日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)は、日本の関東地方北部、栃木県日光市に所在する神社


■江戸幕府初代将軍・徳川家康を神格化した東照大権現(とうしょうだいごんげん)を祀る


■日本全国の東照宮の総本社的存在である


■正式名称は地名等を冠称しない「東照宮」であるが、他の東照宮との区別のために、「日光東照宮」と呼ばれることが多い


■その歴史は少なくとも源義朝による日光山造営までさかのぼり得るもので、源頼朝がその母方の熱田大宮司家の出身者を別当に据えて以来、鎌倉幕府、関東公方、後北条氏の歴代を通じて、東国の宗教的権威となっていた


■こうした歴史を背景に、徳川氏は東照宮を造営したと考えられる


■源義朝(みなもとの・よしとも)略歴
【1123年~1160年】関東に源氏の基盤を築いた中興の祖。源義朝は清和源氏の棟梁であった源為義の嫡男で、幼少から青年期までを関東で過ごした。源氏の跡継ぎとして期待されていた義朝は、相模の豪族であった三浦義明の娘や波多野義通(はたの・よしみち)の妹との間に子を成すなど婚姻による勢力拡大を積極的に行い、最盛期には東国の15ヶ国を支配するまでに勢力圏を広げる


■源頼朝(みなもとのよりとも)経歴(プロフィール)
【1147年~1199年(久安3年~建久10年)】鎌倉幕府初代将軍。平治元年(1159年)、平治の乱で父・義朝が敗れ、頼朝は伊豆に配流される。20年後、平家打倒のため挙兵。関東を平定し、鎌倉を本拠とした。木曽義仲、平家を滅ぼし、諸国に守護・地頭を設置。鎌倉幕府を創設した。享年53歳


■徳川家康(とくがわ・いえやす)略歴
【1542年~1616年(天文11年~元和2年)】江戸幕府初代将軍。岡崎城主松平広忠の子供として生まれるが、6歳のときより尾張の織田、駿河の今川で人質生活を送る。桶狭間の戦い以後、自立。信長と同盟、大大名になる。信長の死後、秀吉に臣従。秀吉の死後、関ヶ原の戦に勝利し3年後に幕府を開いた。大坂夏の陣で豊臣家を滅ぼす。75歳で没
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