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鹿鳴館の歴史・概要


■鹿鳴館(ろくめいかん)は、国賓や外国の外交官を接待するため、明治政府によって建てられた社交場である


■鹿鳴館を中心にした外交政策を「鹿鳴館外交」、欧化主義が広まった明治10年代後半を「鹿鳴館時代」と呼ぶ


■当時の極端に走った欧化政策を象徴する存在でもあった


■計画を推進したのは外務卿の井上馨である


■井上は欧米風の社交施設を建設して外国使節を接待し、日本が文明国であることをひろく諸外国に示す必要があると考えた


■同館落成の1883年(明治16年)より1887年(明治20年)までの時期がいわゆる鹿鳴館時代と呼ばれる


■建物は後に華族会館となり、1940年(昭和15年)に取壊された


■現在、跡地にはNBF日比谷ビル(旧大和生命ビル)が立っている


■鹿鳴館の正門として使用された旧薩摩藩装束屋敷跡の通称「黒門」は旧国宝に指定されていたが、1945年(昭和20年)の空襲で焼失した


略歴・経歴(プロフィール)
■井上馨(いのうえ・かおる)
【1836年~1915年】長州藩士、政治家、実業家。太政官制時代に外務卿、参議など。黒田内閣で農商務大臣を務め、第2次伊藤内閣では内務大臣など、数々の要職を歴任した
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