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上田合戦の歴史


■上田合戦(うえだかっせん)は、信濃国の上田城(現:長野県上田市)と近隣の山城周辺、上田市の東部を南北に流れる神川付近などで行われた真田氏と徳川氏の戦いの総称である


■この地で真田氏と徳川氏の戦は2回行われ、天正13年(1585年)の戦を第一次、慶長5年(1600年)の戦を第二次とし区別する


■上田は東信濃の小県郡にあり、この付近は上田城築城以前から武田氏・上杉氏・後北条氏の国境として不安定な地域であったが、真田昌幸が武田氏の下で上野国吾妻郡・沼田を平定後、小県郡を平定し、上田城を築城した


■この戦いで真田昌幸は主に上田城に籠もり戦ったことから、上田城の戦い、上田城攻防戦などとも呼ばれる。ただし、正確には上田城のみならず砥石城や丸子城など上田小県に点在する山城も含めた総力戦であったため上田合戦と呼ぶ方が相応しい


略歴・経歴(プロフィール)
■真田昌幸(さなだ・まさゆき)
【1547年~1611年】、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。甲斐の武田信玄の家臣となり信濃先方衆となった地方領主真田氏の出自。信玄・勝頼の2代に仕え、武田氏滅亡後に自立。織田信長の軍門に降り、滝川一益の与力となったが、本能寺の変後に再び自立し、近隣の後北条氏や徳川氏、上杉氏との折衝を経て、豊臣政権下において所領を安堵された


略歴・経歴(プロフィール)
■真田信繁(さなだ・のぶしげ)
【1567年~1615年】安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。江戸期に書かれた小説真田十勇士の真田幸村として知られている。勇猛果敢な武将と名高く、関ヶ原の合戦では父の昌幸とともに西軍に参加、上田城に籠城し、2000の兵で徳川秀忠率いる3万8000の軍を撃退した。関ヶ原後も徳川側に組することなく、大坂夏の陣で家康の本陣に突入し討死した。後世に江戸幕府・諸大名家の各史料にその勇将振りが記録され、それらを基に軍記物や講談や小説などが創作されて、真田十勇士を従えて宿敵・徳川家康に果敢に挑む英雄的武将として語られるようになり、庶民にも広く知られる存在となった


略歴・経歴(プロフィール)
徳川家康(とくがわ・いえやす)
【1542年~1616年(天文11年~元和2年)】江戸幕府初代将軍。岡崎城主松平広忠の子供として生まれるが、6歳のときより尾張の織田、駿河の今川で人質生活を送る。桶狭間の戦い以後、自立。信長と同盟、大大名になる。信長の死後、秀吉に臣従。秀吉の死後、関ヶ原の戦に勝利し3年後に幕府を開いた。大坂夏の陣で豊臣家を滅ぼす。75歳で没
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