山鹿流兵法の歴史・沿革


■山鹿流(やまがりゅう)は、山鹿素行(やまが・そこう)によって著された兵学(兵法)の流派


■林羅山に入門して漢学教育を受けた山鹿素行は、仏教、道教の思想にも通じ、神道和学の故実を踏まえて甲州流軍学の小幡景憲、北条流の祖・北条氏長の門下として軍学の修得をした


■朱子学を批判したことから播磨国赤穂藩へお預けの身となり、そこで赤穂藩士の教育を行う。赤穂藩国家老の大石良雄も門弟の一人であり、良雄が活躍した元禄赤穂事件以後、山鹿流には「実戦的な軍学」という評判が立つことになった


■山鹿素行の兵学直門は140名くらい。直系、血縁者で山鹿流を受け継いだのは、平戸藩の山鹿男系と、津軽藩の山鹿女系である


■山鹿素行の兵学を講受した諸大名には、津軽信政 、津軽信寿 、戸田忠真 、松浦鎮信 、松浦長祐 、松浦織部昌 、大村守純 、稲垣重昭 、小笠原長祐 、小笠原長重 、本多忠真、浅野長矩らがいる


■山鹿素行の教えは、後世の吉田松陰にも大きな影響を与えた


■山鹿素行は1685年に死去。墓所は東京都新宿区弁天町1番地の曹洞宗宗参寺にある


■山鹿素行(やまが・そこう)略歴
陸奥国会津(福島県会津若松市)にて浪人・山鹿貞以の子として生まれる。 寛永5年(1628年)に6歳で江戸に出る。寛永7年(1630年)、9歳のとき大学頭を務めていた林羅山の門下に入り朱子学を学び、15歳からは小幡景憲、北条氏長の下で軍学を、廣田坦斎らに神道を、それ以外にも歌学など様々な学問を学んだ
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