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メディチ銀行の歴史・概要


■メディチ銀行は1397年 メディチ王朝の創始者、ジョヴァンニ・ディ・ビッチ・デ・メディチにより創設された


設立の経緯
■ジョヴァンニは遠縁に当たり、銀行家として成功していたヴィエーリ・ディ・カンビオが、ローマに設立した商社の社員として働きはじめる


■その後、妻の持参金を投資して共同経営者となり、1393年にヴィエーリが引退すると、その事業を受け継いだ


■そして、1397年に本社をフィレンツェに移した。有名なメディチ銀行の設立である


■メディチ銀行は20年間で目覚ましい発展を遂げる。ローマやヴェネツィアへ支店網を広げ、1410年にはローマ教皇庁会計院の財務管理者となり、膨大な額の財務をほとんど一手に任された


■教皇庁の金融業務で優位な立場を得て、莫大な収益を手にすることに成功する


■1420年からメディチ銀行の経営はジョヴァンニの長男コジモが引き継ぐ


■コジモは父に優る経営手腕を発揮し、銀行はますます発展する。メディチ家はフィレンツェ指折りの大富豪となった

■そして統領をはじめ、市の要職を歴任。寡頭政治を牛耳っていたアルビッツィ家に対抗しうる一大勢力の領袖となる


■メディチ銀行創設者
ジョヴァンニ・ディ・ビッチ・デ・メディチ略歴・経歴(プロフィール)
【1360年~1429年】15世紀始めのフィレンツェのメディチ家当主で、メディチ銀行を創設。一族の繁栄を築いた。ローマ教皇庁とのつながりを深め、銀行業で成功した


■メディチ銀行2代目
コジモ・デ・メディチ略歴・経歴(プロフィール)
【1389年~1464年】フィレンツェ生まれ。父ジョバンニの築いたイタリア第一の銀行のオーナーの地位を受け継ぎ、さらに発展させた。父が亡くなり、メディチ家当主となりメディチ家のフィレンツェ支配を確立した。コジモはフィレンツェに納められた税金のおよそ65%を負担し、死後ロ-マ皇帝にならい、「祖国の父」「pater patriae」の称号を贈られた
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