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禁門の変の歴史・概要


■禁門の変(きんもんのへん)は、元治元年7月19日(1864年8月20日)に、京都で起きた武力衝突事件のことをいう


■蛤御門の変(はまぐりごもんのへん)、元治の変(げんじのへん)、元治甲子の変とも呼ばれる


■「禁門の変」あるいは「蛤御門の変」の名称は、激戦地が京都御所の御門周辺であったことによる。蛤御門は現在の京都御苑の西側に位置し、今も門の梁には弾痕が残る


経緯
■元治元年(1864年)7月19日。京都で勢力の挽回を図る長州藩と、御所を守る幕府軍の間で激しい戦いが繰り広げられた


■前年8月18日の政変で京都政界を追放された長州藩であったが、池田屋事件が火に油を注ぐ結果となり、ついに武力行使に至った


■兵力では圧倒的に劣っていた長州軍であったが、尊攘派浪士の猛攻は凄まじいものであった。しかし、薩摩藩・会津藩を主力とする大軍の幕府軍には力及ばず、長州藩は敗走した


■この戦いは禁門の変と呼ばれているが、中でも激戦区だったのは西側の蛤御門(はまぐりごもん)であったため、蛤御門の変とも呼ばれている


禁門の変に関わった人物
■久坂玄瑞(くさか・げんずい)略歴・経歴(プロフィール)
【天保11年~元治元年(1840年~1864年)】幕末の長州藩士。萩藩医・久坂良迪の次男として生まれる。松下村塾で英才を知られ、吉田松陰の妹と結婚。藩を超えた尊王攘夷運動の中心人物として、国元と江戸・京都で活動する。イギリス公使館焼き打ち、外国船砲撃事件など過激な運動に参加し倒幕に動くが禁門の変に敗れ自刃。享年25


■高杉晋作(たかすぎ・しんさく)略歴・経歴(プロフィール)
【1839年~1867年(天保10年~ 慶應3年)】幕末期の長州出身の武士。吉田松陰の松下村塾に入門。尊王攘夷運動に身を投じ、下関防衛のため奇兵隊を創設、藩の倒幕運動を主導した。慶応2年(1866年)には第2次長州征伐に乗り出した幕府軍との戦いを指揮したが、翌年肺結核で没した。享年29歳


■桂小五郎(かつら・こごろう)略歴・経歴(プロフィール)
1833年~1877年(天保4年~明治10年)幕末から明治時代初期にかけての武士、政治家。維新三傑の一人。桂小五郎と称し、のちに木戸と改姓。尊攘運動に参加、薩長同盟を結んで倒幕運動を指導。維新政府の中心となり「五箇条の御誓文」起草に参画、版籍奉還・廃藩置県を推進した。征韓論・征台論に反対。享年45歳
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