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新京極通の歴史・概要


■新京極通(しんきょうごくどおり)は、京都市中京区の南北の通りの一つ。三条通から四条通までの比較的短い通りである


■1872年に京都府参事槇村正直によって作られた比較的新しい通りである


■かつては広大な寺域を誇った時宗十二派の四条派の金蓮寺(こんれんじ)が、18世紀末から寺域の切り売りをはじめ、明治以前に売却地に料亭・飲食店・商店・見世物小屋が建っていた


■一つ隣の寺町通(寺町京極)に集まる寺院の境内が、縁日の舞台として利用されるようになり、人が多く集まったため、各寺院の境内を整理し、寺町通のすぐ東側に新しく道路を造ったのが新京極通のはじまりである


■明治の中頃には見世物小屋や芝居小屋が建ち並び、現在の繁華街の原型ができた


■槇村 正直(まきむら・まさなお)略歴・経歴(プロフィール)
【1834年~1896年】日本の官僚、政治家。貴族院議員、男爵。幼名は半九郎。1875年7月、京都府知事となり東京奠都後の京都復興に尽力した。1881年1月、元老院議官となる。1887年5月、男爵を授爵し華族となる。1890年2月から行政裁判所長官となり、また同年7月に貴族院議員(男爵議員)となり、ともに死去するまで務めた


■時宗十二派(じしゅうじゅうには)は、時宗として総括される念仏勧進聖系の12の派である。時宗は、一般に一遍智真を開祖とするが、その他にも遊行、踊り念仏、念仏札の賦算等をする念仏勧進聖である「時衆」は、多数存在した


■金蓮寺(こんれんじ)は、京都市北区にある時宗の寺である。山号は錦綾山。本尊は阿弥陀如来


■寺町通(てらまちどおり)は京都市の南北の通りの一つ。北は紫明通から南は五条通まで。途中の三条通で以北に比べ以南は西に少しずれており、真っ直ぐではないのが特徴
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